言葉なき歌 中原中也
言 葉 な き 歌
あれはとほいい處にあるのだけれど
おれは此處で待つてゐなくてはならない
此處は空氣もかすかで蒼く
葱の根のやうに仄かに淡(あは)い
決して急いではならない
此處で十分待つてゐなければならない
處女(むすめ)の眼(め)のやうに遙かを見遣つてはならない
たしかに此處で待つてゐればよい
それにしてもあれはとほいい彼方で夕陽にけぶつてゐた
號笛(フイトル)の音(ね)のやうに太くて繊弱だつた
けれどもその方へ驅け出してはならない
たしかに此處で待つてゐなければならない
さうすればそのうち喘ぎも平靜に復し
たしかにあすこまでゆけるに違ひない
しかしあれは煙突の煙のやうに
とほくとほく いつまでも茜の空にたなびいてゐた
[やぶちゃん注:本篇は昭和一一(一九三六)年十二月発行の『文學界』初出(角川文庫「中原中也詩集」(河上徹太郎編)の年譜に拠る)。やはりこれも(前の「幻影」の注で示したような理由(創作から投稿・編集・発行に至る二ヶ月ほどのタイム・ラグ)から)長男文也の急逝以前に創作されたものということになる。
「號笛(フイトル)」号笛(がうてき(ごうてき))は「合図のために吹く笛」で、英語のホイッスル(whistle)が腑に落ちる。ところが、中也の得意なフランス語では、“whistle”の相当語は“sifflet”(カタカナ音写:シフレ)で似ても似つかぬ。困って調べてみたところ、ネットのQ&Aサイトに、まさにこの詩のこの語の意味が判らないという質問に対し、昭和七五(一九五〇)年河出書房刊の「日本現代詩大系」所収の「在りし日の歌」では、その部分のルビが『フィフル』となっている(恐らくは編者による推定補正)とあるのを発見した。それならば、恐らくはフランス語の“fifre”(カタカナ音写:フィハァル)で「横笛」となる。思うに中也は、英語の“whistle”の「ホゥイスル」の音と、フランス語のその「フィハァル」の音を混同して誤表記したものと推定する。]