米子 中原中也
米 子
二十八歲のその處女(むすめ)は、
肺病やみで、腓(ひ)は細かつた。
ポフラのやうに、人も通らぬ
步道に沿つて、立つてゐた。
處女(むすめ)の名前は、米子と云つた。
夏には、顏が、汚れてみえたが、
冬だの秋には、きれいであつた。
――かぼそい聲をしてをつた。
二十八歲のその處女(むすめ)は、
お嫁に行けば、その病氣は、
癒るかに思はれた。と、さう思ひながら
私はたびたび處女(むすめ)をみた……
しかし一度も、さうと口には出さなかつた。
別に、云ひ出しにくいからといふのでもない
云つて却つて、落膽させてはと思つたからでもない、
なぜかしら、云はずじまひであつたのだ。
二十八歲のその處女(むすめ)は、
步道に沿つて、立つてゐた、
雨あがりの午後、ポプラのやうに。
――かぼそい聲をもう一度、聞いてみたいと思ふのだ……
[やぶちゃん注:角川文庫「中原中也詩集」年譜によれば、昭和一一(一九三六)年十二月に三笠書房発行の雑誌『ペン』に発表したもの。これも創作から投稿・編集・発行に至る二ヶ月ほどのタイム・ラグから考えて、長男文也の急逝以前に創作されたものであろう。
「米子」「よねこ」。
「腓(ひ)」訓で「こむら」。脹脛(ふくらはぎ)、足の脛(すね)の後ろ側の膨らんだ部分のこと。]