靑い瞳 中原中也
靑 い 瞳
かなしい心に夜が明けた、
うれしい心に夜が明けた、
いいや、これはどうしたといふのだ?
さてもかなしい夜の明けだ!
靑い瞳は動かなかつた、
世界はまだみな眠つてゐた、
さうして『その時』は過ぎつつあつた、
あゝ、遐い遐いい話。
靑い瞳は動かなかつた、
――いまは動いてゐるかもしれない……
靑い瞳は動かなかつた、
いたいたしくて美しかつた!
私はいまは此處にゐる、黃色い燈影に。
あれからどうなつたのかしらない……
あゝ、『あの時』はあゝして過ぎつゝあつた!
碧い、噴き出す蒸氣のやうに。
それからそれがどうなつたのか……
それは僕には分らなかつた
とにかく朝霧罩めた飛行場から
機影はもう永遠に消え去つてゐた。
あとには殘酷な砂礫だの、雜草だの
頰を裂る(き)やうな寒さが殘つた。
――こんな殘酷な空寞たる朝にも猶
人は人に笑顏を以て對さねばならないとは
なんとも情ないことに思はれるのだつたが
それなのに其處でもまた
笑ひを澤山湛えた者ほど
優越を感じてゐるのであつた。
陽は霧に光り、草葉の霜は解け、
遠くの民家に鷄(とり)は鳴いたが、
霧も光も霜も鷄(とり)も
みんな人々の心には沁(し)まず、
人々は家に歸つて食卓についた。
(飛行機に殘つたのは僕、
バットの空箱(から)を蹴つてみる)
[やぶちゃん注:「湛えた」はママ。
「遐い遐いい話」「とほいとほいいはなし」。「日本国語大辞典」の「遠い」によれば、方言として広島・周防大島の『トイイ』、鳥取・島根の『トイー』を記すから、この後半の「とほいい」は口語的詠嘆表現を含みながら、その方言の表記化とも思われる。
「罩めた」「こめた」。
「バット」知られた安煙草ながら愛煙されている「ゴールデンバット」(Golden Bat)のこと。]