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2018/05/17

子規居士(「評伝 正岡子規」原題) 柴田宵曲  明治三十二年 歌人来訪

 

   明治三十二年

 

     歌人来訪

 

 明治三十二年(三十三歳)[やぶちゃん注:一八九九年。この年の十月十四日で満三十二歳。]の初も比較的平穏であった。盥に飼った鴨を羯南翁の池に放つため、居士も人の背に負われて行って、「鴨の羽ばたき幾度となくしては遂に石の上で安らかに眠って居たのを見とどけて」帰って来た。人の背に負われてにもせよ、元日匇々戸外に出るなどということは、何年にもなかったことであろう。

 一月の『ホトトギス』に居士は「明治三十一年の俳句界」及「俳句新派の傾向」を掲げた。今まで『日本』に掲げていた前年俳句界の総評を『ホトトギス』に移したのは、俳句方面の仕事が大体ここに集中されたためであろうが、三十一年の俳句界について居士の説くところは極めて簡単であった。力を用いたのはむしろ「俳句新派の傾向」の方で、居士はこの一策において「明治二十九年の俳諧」以来の精細な批評を試みた。居士は先ず明治俳句の複雑性を古句に対比して説き、二箇の中心点を有する句とか、人事を詠じた句とか、印象明瞭の句とかいうに及んだが、特に明治の新趣味として挙げたのは、曖昧未了の裡に存する微妙な感を捉えた句で、油画における紫派、小説におけるスケッチ的短篇などと共通する傾向だといっている。例えば虚子氏の「宿借さぬ蠶(かひこ)の村や行き過ぎし」という句の如きもので、これを蕪村の「牡丹ある寺行き過ぎし恨(うらみ)かな」「宿借さぬ火影や雪の家つゞき」などの句に比べれば、その差は自(おのずか)ら明瞭になる。「行き過ぎし恨をいふにもあらず、宿借さぬ時の光景を述ぶるにもあらず、蠶飼(こがひ)に宿ことわられし前の村は既に行き過ぎて、宿借すべき後の村は未だ來らず、過去を顧(かへりみ)ず末來を望まず、中途に在りて步む時、何となく微妙の感興る。芭蕉・其角は勿論、蕪村・太祇もこゝに感得する能はざりしなり」というのである。普通の読者はこの種の句を読んでも、さほどに興味を感ぜず、明治俳句の新趣味がこういう曖昧未了の間に存するなどとは気がつかずに通過してしまう虞(おそれ)がある。居士が力説したのはそのためなので、「俳句新派の傾向」一篇は明治俳句の研究者に対し、多くの示唆を与えるもののように思われる。

[やぶちゃん注:『「明治三十一年の俳句界」及「俳句新派の傾向」』国立国会図書館デジタルコレクションの大正五(一九一六)年籾山書店刊の「合本俳諧大要」の、前者はここで、後者はここで読める。この「合本俳諧大要」は「俳諧大要」に「俳人蕪村」をカップリングした上、子規の俳句論「俳句問答」に始まり、「第五篇 明治三十二年の俳句界」までを附録で収める優れもので、無論、正字正仮名である。

「紫派」(むらさきは)は黒田清輝を中心として形成された明治期の洋画の傾向と、その画家たちを指す。ネットの「徳島県立美術館」の「美術用語集」から引く。フランスの外光派の画家ラファエル・コランに学んで、明治二六(一八九三)年に『帰国した黒田は、印象派の技法と伝統的な主題を折衷したサロン系の外光表現を日本に伝えたが、それまで日本の画壇は脂派』(やには)『と呼ばれる』、『褐色を基調として明暗のコントラストを鳶色と黒で描いた暗く脂っぽい表現が主流となっていたため、黒田の明るく感覚的な外光描写は若い画家たちに清新な感動をもって迎えられた。黒田は久米桂一郎とともに天真動場、次いで白馬会を創立し、また東京美術学校教授として後進の指導にあたり、それらの活動を通じて外光描写は当時唯一の官展であった文部省美術展覧会(文展)の画風を支配するに至った。名称の起りは、陰の部分を青や紫で描いたことを、脂派に対して正岡子規が紫派と揶揄したことによる。ほかに脂派との対比から新派、南派、正則派とも呼ぶ』とある。

「牡丹ある寺行き過ぎし恨(うらみ)かな」「蕪村遺稿」所収。所持する岩波文庫「蕪村俳句集」(尾形仂校注・平成元(一九八九)年刊)では、

 牡丹有(ある)寺行き過しうらみ哉

の表記。安永六(一七七七)年四月十三日の作。

「宿借さぬ火影や雪の家つゞき」「蕪村句集」所収。所持する「新潮日本古典集成 与謝蕪村集」(清水孝之校注・昭和五四(一九七九)年刊)の頭注によれば、句稿では、

 宿借さぬ灯影や雪の家つゞき

と書いて改めている、とある。前記の岩波文庫「蕪村俳句集」によれば、明和四(一七六七)年十一月四日の作。数え五十三歳。また、清水氏は上記頭注で東北行脚の体験に基づく作と推定されておられる。蕪村の奥羽遊歴は巻末の清水氏の年譜によれば、句作から溯る二十五年も前の、二十七、八歳の折り、寛保二(一七四二)年秋か冬に始まり、約一年間と推定されておられる。傍観的言い放ちの写生なんぞではない、溜めに溜めて熟成させた詠句ということになる。個人的には私は正岡子規の賞揚には激しい違和感を感ずる(そもそも私は虚子嫌いであるせいもあるが)。虚子のこの句は面白くもなんともないし、子規の言うような糞のような『微妙の感』など微塵も覚えぬ。比較に出した蕪村のこの二句の方が遙かに名句である。]

 

 この月「俳諧叢書」の第一編として『俳諧大要』がほととぎす発行所から刊行された。

[やぶちゃん注:俳諧叢書第一編。「ほとゝぎす発行所」刊。明治三二(一八九九)年一月二十日発行。同年二月二十五日発行の再版の一部画像が「国文学研究資料館」公式サイト内の「電子資料館」で視認できる。また、先に示したが、国立国会図書館デジタルコレクションの画像では、最も古いもの(大正五(一九一六)年籾山書店刊)として、「合本俳諧大要」がここで読める(無論、正字正仮名)。新字旧仮名で良ければ、「青空文庫」のこちらで電子化翻刻が読める。]

 二月は居士が前年「歌よみに与ふるの書」を公にした月である。居士の歌論は一世を聳動(しょうどう)[やぶちゃん注:驚かし動搖させること。恐れ動搖すること。この場合の「聳」は「そびえる」ではなく「おそれて立ちすくむ」の意。]し、居士の作歌も「百中十首」以後引続き『日本』に現れたが、これに呼応して起(た)つ者は存外多くなかった。碧梧桐、虚子、露月らの諸氏の歌は『日本』にも『ホトトギス』にも出ておらぬことはないが、子規庵における歌会が一度開かれたきりで、その後絶えているところを見ると、俳句のような熱はなかったのであろう。然るにこの年の二月になって、機運は俄然到来した。香取秀真(かとりほずま)、岡麓(おかふもと)の諸氏が居士を訪ねるようになったのがそれである。

[やぶちゃん注:「香取秀真」(明治七(一八七四)年~昭和二九(一九五四)年)は千葉県印旛郡生まれの鋳金工芸師で歌人・俳人。明治三〇(一八九七)年に東京美術学校鋳金科を卒業後、東京美術学校(現・東京芸術大学)教授・帝室博物館(現在の東京国立博物館)技芸員を歴任、文化勲章も叙勲されている。「アララギ派」の歌人としても知られ、かの芥川龍之介の田端の家のすぐ隣りに住み、龍之介とは隣人であると同時に、非常に親しい友人でもあった。

「岡麓」(明治一〇(一八七七)年~昭和二六(一九五一)年)は書家で歌人。東京本郷生まれ。本名は三郎。東京府立一中(現在の東京都立日比谷高等学校)中退。この明治三二(一八九九)年に正岡子規に入門している。明治三六(一九〇三)年には短歌雑誌『馬酔木(あしび)』(一九〇三年六月~一九〇八年一月/通巻三十二冊/「根岸短歌会」発行。正岡子規の翌年、その門下生らの機関誌として伊藤左千夫の主唱により始められ、左千夫の他には香取秀真・岡麓・長塚節(たかし)らが初期編集同人で、斎藤茂吉・古泉千樫・島木赤彦・石原純・中村憲吉らを育てた。子規の写生道・万葉主義を受け継いだが、次第に同人が減って衰退しため、明治四二(一九〇九)年に左千夫が新たに『アララギ』を創刊した。ここは「ブリタニカ国際大百科事典」に拠った)の編集同人となる。節や茂吉らと交わり、大正五(一九一六)年からは『アララギ』に短歌を発表した。大正一五(一九二六)年に処女歌集「庭苔(にわごけ)」(国立国会図書館デジタルコレクションの画像で読める)を刊行、戦後に日本芸術院会員となっている。]

 

 香取氏らは前に『うた』という雑誌を出していたことがあり、三十二年一月からは雑誌『こゝろの華』の編輯員に名を列ねてもいた。年に因んで三十二番歌合なるものを作り、山本鹿洲氏を使者として居士の判を乞うたのは、この年の一月中であったが、それが最初の機縁になって、遂に居士を訪うに至ったのである。「歌よみに与ふる書」当時の反響は一時にとどまり、真に歌を作ろうとする仲間を見出しかねていた時分だから、この訪問はひどく居士をよろこばした。自ら師長[やぶちゃん注:師と長上。先生と目上の人。]を以ておらぬ居士は、当時香取氏らのやっていた「新月集」という互選の巻にも直に歌を寄せる、香取、山本両氏が鋳金家であるところから、鋳物に関する話を興味を持って聞く、という調子で直に親しくなった。

[やぶちゃん注:『こゝろの華』歌人佐佐木信綱を中心とする短歌結社「竹柏会」の機関誌として明治三一(一八九八)年二月に創刊された短歌雑誌。現在も続く。現行の『心の花』誌名の方が通りがよい。初期には正岡子規・伊藤左千夫らの「根岸短歌会」や、落合直文・与謝野鉄幹らの「あさ香社」、さらには旧派の歌人たちの寄稿もあって、短歌総合誌の感があった。しかし 明治三六(一九〇三)年からもともと編集人であった石榑千亦(いしくれちまた)が独りで編集担当を始めてからは、純然たる「竹柏会」機関誌となった。温雅な歌風ながら、個性を生かす信綱の指導の下、川田順・木下利玄・片山廣子(芥川龍之介が最後に愛した女性である。私は龍之介と廣子の言わば「追っかけ」である)・柳原白蓮・九条武子らの優れた歌人を育てた(ここは主に「ブリタニカ国際大百科事典」に拠った)。なお、正確には貞光威氏の論文「伊藤左千夫考(上)」(PDFでダウン・ロード可能)によれば、秀真と麓は鶯蛙吟社の発行していた短歌雑誌『詞林』(明治初期短歌界の名家で元官僚の鈴木重嶺が発行)の編集員だったものが、『詞林』が『心の花』に合併し、そのまま移ったものである。

「山本鹿洲」根岸短歌会の初期メンバーとして載るが、詳細事蹟不詳。]

 

 二月の『ホトトギス』に出た「繪あまたひろげ見てつくれる歌の中に」という十首は香取、岡両氏が訪問する以前のもので、この年になって最初の歌であるかどうかわからぬが、とにかくこれ以前に発表されたものは見当らぬようである。

[やぶちゃん注:国立国会図書館デジタルコレクションのアルスの全集第六巻の画像のから校訂した。]

 

 なむあみだ佛つくりがつくりたる佛見あげて驚くところ

 もんごるのつは者空三人(みたり)二人立ち一人坐りて楯つくところ

 岡の上に黑き人立ち天の河敵の陣屋に傾くところ

 あるじ馬にしもべ四五人行き過ぎて傘持ひとり追ひ行くところ

 木(こ)のもとに臥せる佛をうちかこみ象蛇どもの泣き居(を)るところ

 うま人のすそごのよそひ駒立てて遠くに人の琴ひくところ

 かきつばた濃きむらさきの水滿ちて水鳥一つはね搔くところ

 いかめしき古き建物荒れはてゝ月夜に獅子の壇登るところ

 星根の無き屋かたの内にをとこ君姫君あまた群れゐるところ

 看板にあべかは餅と書きてありたび人ふたり餅くふところ

 

[やぶちゃん注:「裾濃」同系色で、上方を淡くし、下方をしだいに濃くする染め方や織り方を指すが、ここは上方を白く、次を黄として次第に濃い色に下げて彩どった、甲冑の威(おどし)であろうと私は読む。]

 

 これらの歌は居士の創意に出ずるものであろう。すべてが画の内容を説明する程度でなしに、鮮にポイントを捉えて生々(いきいき)と表現してある。従ってこの歌を誦(よ)むと、まだ見ぬ画が直(ただち)に眼前に繰りひろげられるものの如く感ぜられる。画の内容は一枚ずつ異っているが、全体を貫くもののあることは、「足立たば」「われは」などの歌と同じである。居士の歌として注目すべきものの一たるを失わぬ。

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