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2018/05/19

進化論講話 丘淺次郎 第十五章 ダーウィン以後の進化論(6) 六 最近の狀況 / 第十五章 ダーウィン以後の進化論~了

 

     六 最近の狀況

 

 以上はたゞダーウィン以後には種々の相反する議論が絶えず鬪はされて居たことを、二三の例に就いて示しただけであるが、大體は斯かる有樣で今日まで繼續して來た。但、最近十四五年間はその以前に比べると、著書にも議論にも著しく趣の異なつた所が出來た。その理由は、この頃から遺傳の實驗的研究が急劇に盛になつて、生物學の舞臺の正面に出たため、多數の人はこの方に注意を惹かれ、生物進化の大問題は却つて暫く等閑[やぶちゃん注:「なほざり」。]にせられたからである。尤も實驗的研究といつても、單に相異なる品種間に雜種を造つて、その結果を見るだけであつて、植物では特に行ひ易いから、近來は大に流行の氣味で、植物園とか、農事試驗場とかいふ所では、盛に行はれ、隨つて、近頃急に多數に出版せられる遺傳に關する書物も、その内容は大概この種類の實驗の結果で充たされて居る。何故斯く急に盛になつたかは次の章に述べるが、かやうな書物を讀み議論を聞く時に、特に忘れてならぬことは、事實と學説とを明に區別することである。多數の人々が、種々の材料を用ゐて熱心に實驗を行へば、それだけ遺傳に關する事實上の知識が增すこと故、學問の進步の上に極めて喜ぶべきことで、その事實に就いては疑を插むべき理由はないが、之を基として學者の考へた理論や學説の方は、素より各個人によつて、相異なるを免れぬ故、互に批評し講究すべき餘地は十分にある。遺傳に關する近頃の書物を讀んで見るに、雜種研究者は兎角、長い間に於ける生物の進化を忘れ、僅に二三代に亙る實驗の結果から推して、一々の性質を固定せるものの如くに見倣し、性質の組合(くみあはせ)はどうにもなるが、一々の性質そのものは一定不變のものである如くに考へる傾[やぶちゃん注:「かたむき」。]がある。後天的性質の遺傳を否定して居る者の多いのも、その爲ではないかと思ふ。素より今日も力を靈してラマルク説を主張する學者は相變らず有るが、數の上からいふと、親の新に得た性質は子に遺傳せぬと論ずる人の方が遙に多いであらう。現に我が國の著書を見ても、石川氏の進化新論はいふに及ばず永井氏の生命論、池野氏のローマ字書き實驗遺傳學など、皆この組に屬するもので、之に反對の考へを有する者は殆ど本書の著者人の如き有樣である。

[やぶちゃん注:「石川氏」動物学者で進化論学者の石川千代松(ちよまつ 万延元(一八六〇)年~昭和一〇(一九三五)年:石川千代松(ちよまつ 万延元(一八六〇)年~昭和一〇(一九三五)年:明治四二(一九〇九)年に滋賀県水産試験場の池で琵琶湖のコアユの飼育に成功し、全国の河川に放流する道を開いた業績で知られる。以下、ウィキの「石川千代松によれば、『旗本石川潮叟の次男として、江戸本所亀沢町(現在の墨田区内)に生まれた』が明治元(一八六八)年の『徳川幕府の瓦解により駿府へ移った』。明治五年に『東京へ戻り、進文学社で英語を修め』、『東京開成学校へ入学した。担任のフェントン(Montague Arthur Fenton)の感化で蝶の採集を始めた』(明治一〇(一八七七)年十月には当時、東京大学教授であったエドワード・シルヴェスター・モースが蝶の標本を見に来宅したことがモース著石川欣一訳「日本その日その日」の「第十章 大森に於る古代の陶器と貝塚 49 教え子の昆虫少年を訪ねる」に出る。リンク先は私のオリジナル注附きの全電子化の一部)。翌明治十一年、東京大学理学部へ進んだ。明治一五(一八八二)年、動物学科を卒業して翌年には同教室の助教授となっている。その年、明治一二(一八七九)当時のモースの講義を筆記した「動物進化論」を出版しており、進化論を初めて体系的に日本語で紹介した人物としても明記されねばならぬ人物である。その後、在官のまま、明治一八(一八八五)年、新ダーウィン説のフライブルク大学』(正式名称は「アルベルト・ルートヴィヒ大学フライブルク」(Albert-Ludwigs-Universität Freiburg)。ドイツ南西部のバーデン=ヴュルテンベルク州フライブルク・イム・ブライスガウにある国立大学)『アウグスト・ヴァイスマン』(Friedrich Leopold August Weismann 一八三四年~一九一四年:フライブルク大学動物学研究所所長で専門は発生学・遺伝学)の下で学び、『無脊椎動物の生殖・発生などを研究』、明治二二(一八八九)年に帰国、翌年に帝国大学農科大学教授、明治三四(一九〇一)年に理学博士となった。『研究は、日本のミジンコ(鰓脚綱)の分類、琵琶湖の魚類・ウナギ・吸管虫・ヴォルヴォックスの調査、ヤコウチュウ・オオサンショウウオ・クジラなどの生殖・発生、ホタルイカの発光機構などにわたり、英文・独文の論文も』五十篇に上る。『さかのぼって、ドイツ留学から帰国した』明治二十二年の秋には、『帝国博物館学芸委員を兼務』、以降、『天産部長、動物園監督になり、各国と動物を交換して飼育種目を増やした。ジラフを輸入したあと』、明治二八(一九〇七)年春に辞した。「麒麟(キリン)」の和名の名付け親であるとされる。

「進化新論」石川千代松が明治二四(一八九一)年敬業社から刊行したもの。国立国会図書館デジタルコレクションの画像全篇。進化論が日本の生物学者に消化され、紹介され、論じられる時代の第一歩となる著作とされる(以上は八杉龍一「進化論の歴史」(一九六九年岩波書店刊)の評言)。

「永井氏の生命論」医学者で生理学者の永井潜(ひそむ 明治九(一八七六)年~昭和三二(一九五七)年):広島県賀茂郡下市村(現在の竹原市)出身。明治三五(一九〇二)年、東京帝国大学医科大学を卒業後、翌年からドイツのゲッティンゲン大学に留学、冬眠動物の代謝生理の研究を行い、四年後に帰国、大正四(一九一五)年には東京帝国大学医科大学生理学教室第二代教授に就任した。その前後から、一般雑誌や婦人雑誌などに、盛んに優生学や生命論をはじめとした論稿を多数、発表し、昭和五(一九三〇)年に「日本民族衛生学会」を設立、理事長として優生学研究の推進と、悪名高き「国民優生法」(昭和一五(一九四〇)年の前身である「民族優生保護法案」の提出に大きな役割を果たした。昭和九年、東京帝国大学医学部長となり、昭和一五(一九三七)年に定年退官するが、その後も海外に赴任して、台北帝国大学医学部長・京城帝国大学医学院名誉教授を歴任している(以上はウィキの「永井潜に拠る))が大正二(一九一三)年に洛陽堂から出版した「生命論」か。国立国会図書館デジタルコレクションの画像全篇

「池野氏のローマ字書き實驗遺傳學」植物学者・遺伝学者の池野成一郎(せいいちろう 慶応二(一八六六)年~昭和一八(一九四三)年:明治二三(一八九〇)年、東京大学植物学科卒業。明治二九(一八九六)年ソテツの精子を発見し、同年、平瀬作五郎を指導してイチョウの精子も発見させている。この植物学上重要な研究発見により、種子植物とシダ植物が系統的に近いことが明らかにされた。明治三九(一九〇六)年にドイツ・フランスに留学、帰国して東京大学教授となった。彼は熱心なローマ字普及論者としても著名で、主著の一つであるこの「実験遺伝学」(大正七(一九一八)年「日本のローマ字社」刊)は総てローマ字で書かれており、書名も無論、Zikken-Idengaku」である(以上は主に「ブリタニカ国際大百科事典」に拠った)。圧倒的に読み難いと思われるにも拘らず、評判が良くて売れ、再版まで出ていることが、新著紹介資料PDF。国立国会図書館デジタルコレクションの画像)で判る。内容は植物の実験遺伝学のようである。]

 

 生物進化の理を明にするには先づ以て、遺傳及び變異の現象を詳[やぶちゃん注:「つまびらか」。]にすることは無論必要であるが、品種間の雜種を造つて研究する方法は、たゞ已に存在する性質が如何に子孫に傳はるかを調べるのであるから、遺傳に關する一部分のことを知り得るだけである。されば、飼養動植物の品種の改良を圖るに當つては、この種類の研究は甚だ有益なものであるが、長い年月の間に、自然に生物各種が進化し來つた原因を探るためには、他に之よりも更に重大な問題がある。それは、先づ人工的に生活狀態を變へて、或る生物に新しい變異を起させ、それが少しでも子孫に遺傳するか否かを試して見ることであるが、ダーウィン以後の論爭の中心點ともいふべき後天的性質の遺傳に關する疑を解くには、之が最も大切な實驗的研究である。この方面の研究も近年は幾らも行つた人があるが、品種間の雜種を造るのとは違つて、稍大仕掛けの設備と費用とを要する故、到底雜種研究の如くに手輕くは行はれず、隨つてその結果の發表せられた數はまだ比較的に少い。倂し、この方面の研究の結果は、殆ど皆外界から生物個體に及ぼす影響は、たゞその一代に止まらず、後の代にまで及ぶことを示すものばかりである。遺傳及び變異に關する最近研究の結果は次の二章に略述するが、現今の生物學理論界の狀況を一言でいへば、雜種研究に重きを置いて、後天的性質の遺傳を否認する多數者と、人工的飼養實驗によつて後天的性質の遺傳を證明せんとする少數者との戰の最中であるというて宜しかろう。然もその爭の大部分は、事實に就いての爭ではなく、同一の事實を眼の前に控へながら、その説明を異にするとか、用語の意味が違ふとかの爲に相爭つて居るのである。

[やぶちゃん注:本箇所より以降、底本で「」を「々」としていたのを、原本通りに表示することとした。]

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