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2018/05/30

諸國里人談卷之一 吉備津釜

 

     ○吉備津釜(きびつのかま)

 

備中國吉備津宮(きびつのみや)に「釜殿(かまどの)」といふ、あり。是に大〔おほき〕なる釜あり。祈願の人、吉凶を伺ふに、社人、玉襷(たまだすき)をして、一つの幣(へい)を釜中(ふちう)にうつし、法を修(しゆ)すれば、釜、鳴動(めいどう)す。そのひゞき、數〔す〕十町にきこゆ。これを「動ずる」といふなり。其音によつて、成就・不成就、病人、快全・不快を考ふる事なり。

當社は備中賀陽郡(かようのこふり)内、板倉川のひがし、備前の界也。

[やぶちゃん注:挿絵「早稲田大学図書館古典総合データベース」の寛保三(一七四三)年版(版本)(①。以降はこの記号のみで示す)でリンクさせておく。左頁の上図である。さても、上田秋成の「雨月物語」の「吉備津の釜」で人口に膾炙する、それである。

「備中國吉備津宮」現在の岡山県岡山市北区吉備津(岡山市西部、備前国と備中国の境の吉備の中山(標高百七十五メートル)の北西麓に北面して鎮座する吉備津神社。吉備の中山は古来より神体山とされ、北東麓には備前国一宮・吉備津彦神社が鎮座し、当社と吉備津彦神社ともに主祭神に当地を治めたとされる大吉備津彦命を祀り、また、命の一族を配祀している)にある吉備津神社。(グーグル・マップ・データ)。社史は参照したウィキの「吉備津神社を見られたい。ここで語られるのは、そこで行われる(現在も金曜日を除く毎日、行われている)鳴釜神事(なるかましんじ)である。ウィキの「鳴釜神事によれば、この特殊な『神事は、釜の上に蒸篭(せいろ)を置いて』、『その中にお米を入れ、蓋を乗せた状態で釜を焚いた』際、『鳴る音の強弱・長短等で吉凶を占う神事。吉備津の釜、御釜祓い、釜占い、等ともいう。元々』、『吉備国で発生したと考えられる神事』で、『一般に、強く長く鳴るほど良いとされる。原則的に、音を聞いた者が、各人で判断する』という。『女装した神職が行う場合があるが、盟神探湯』(くか(が)だち:真偽・祈誓を試す対象者に神仏に対して潔白などを誓わせた後に「探湯瓮(くかへ)」という釜で沸かした熱湯の中に手を入れさせて判じる呪法(うらない)。正しい者は火傷をせず、罪のある者は大火傷を負うとされる)・湯立(湯立(ゆだて/ゆだち:神前に大きな釜を据えて湯を沸かし、神がかり(トランス)状態にある巫女が持っている笹・幣串をこれに浸した後、自身や周囲に振りかける儀式。現在では単にお祓いの形式的儀礼として行われているが、古くは神事の大切なプレの儀式としての「禊(みそぎ)」の要素が大きく、同時に、神意を伺うための「占卜(ぼくせん)」の手段として「問湯(といゆ)」などと呼ばれてもいた。前の「盟神探湯」は、ここから発生したと考えられ、この流れを汲む中世に於ける湯起請(ゆぎしょう:室町記に正式な訴訟上の立証方法として認められた裁判法。原告・被告に起請文を書かせた上、熱湯中の石を摑み出させ、三日又は七日の間、神社などに籠らせて後、火傷の有無を以って正否を決したもの。有罪とされるべき反応を「湯起請失(ゆぎしょうしつ)」と称した)のことを「湯立」とも称した)『等と同じく、最初は、巫女が行っていた可能性が高い』。『現在でも一部の神社の祭典時や修験道の行者、伏見稲荷の稲荷講社の指導者などが鳴釜神事を行う姿が見られる』が、『いつの頃から始まったかは不明』で、『古くは宮中でも行われたという。吉備津神社の伝説では、古代からあったとする』。以下、「吉備津神社の鳴釜神事」の項。『同神社には御釜殿があり、古くは鋳物師の村である阿曽郷(現在の岡山県総社市阿曽地域。住所では同市東阿曽および西阿曽の地域に相当する)から阿曽女(あそめ、あぞめ。伝承では「阿曽の祝(ほふり)の娘」とされ、いわゆる阿曽地域に在する神社における神職の娘、即ち巫女とされる)を呼んで、神職と共に神事を執り行った。現在も神職と共に女性が奉祀しており、その女性を阿曽女と呼ぶ』。『まず、釜で水を沸かし、神職が祝詞を奏上、阿曽女が米を釜の蒸籠(せいろ)の上に入れ、混ぜると、大きな炊飯器やボイラーがうなる様な音がする。この音は「おどうじ」と呼ばれる。神職が祝詞を読み終える頃には音はしなくなる。絶妙なバランスが不思議さをかもし出すが、この音は、米と蒸気等の温度差により生じる熱音響』『とよばれる現象と考えられている。』百『ヘルツぐらいの低い周波数の振動が高い音圧を伴って』一ミリメートル『ぐらいの穴を通ると』、『この現象が起きるとされ』る。『吉備津神社には鳴釜神事の起源として以下の伝説が伝えられている。吉備国に、温羅(うら)という名の鬼が悪事を働いたため、大和朝廷から派遣されてきた四道将軍の一人、吉備津彦命に首を刎ねられた。首は死んでも』、『うなり声をあげ続け、犬に食わせて骸骨にしても』、『うなり続け、御釜殿の下に埋葬しても』、『うなり続けた。これに困った吉備津彦命に、ある日』、『温羅が夢に現れ、温羅の妻である阿曽郷の祝の娘である阿曽媛に神饌を炊かしめれば、温羅自身が吉備津彦命の使いとなって、吉凶を告げようと答え、神事が始まったという』とある。

「釜殿(かまどの)」ウィキの「吉備津神社に、現在のものは慶長一一(一六〇六)年に鉱山師安原知種によって再建されたもので、『単層入母屋造の平入で、本瓦葺。南北に伸びた長方形で、北二間に釜を置く』とある。国重要文化財。

「玉襷(たまだすき)」神事に用いる「襷(たすき)」なれば、尊称としての接頭語を附したもの。

「數〔す〕十町」一町は約一〇九メートルであるから、私の考える〈「数」は六掛け〉で、六百五十メートル前後。

「快全」全快。]

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