わが半生 中原中也
わ が 半 生
私は隨分苦勞して來た。
それがどうした苦勞であつたか、
語らうなぞとはつゆさへ思はぬ。
またその苦勞が果して價値の
あつたものかなかつたものか、
そんなことなぞ考へてもみぬ。
とにかく私は苦勞して來た。
苦勞して來たことであつた!
そして、今、此處、机の前の、
自分を見出すばつかりだ。
じつと手を出し眺めるほどの
ことしか私は出來ないのだ。
外(そと)では今宵、木の葉がそよぐ。
はるかな氣持の、春の宵だ。
そして私は、靜かに死ぬる、
坐つたまんまで、死んでゆくのだ。
[やぶちゃん注:サイト「中原中也・全詩アーカイブ」の本詩篇の解説によれば、本篇は昭和一一(一九三六)年七月号初出とある。結核性脳膜炎で彼が入院先の鎌倉養生院(現在の清川病院)急逝するのは翌昭和十二年十月二十二日午前〇時十分のことであった。]