骨 中原中也
骨
ホラホラ、これが僕の骨だ、
生きてゐた時の苦勞にみちた
あのけがらはしい肉を破つて、
しらじらと雨に洗はれ、
ヌックと出た、骨の尖(さき)。
それは光澤もない、
ただいたづらにしらじらと、
雨を吸收する、
風に吹かれる、
幾分空を反映する。
生きてゐた時に、
これが食堂の雜踏の中に、
坐つてゐたこともある、
みつばのおしたしを食つたこともある、
と思へばなんとも可笑しい。
ホラホラ、これが僕の骨――
見てゐるのは僕? 可笑しなことだ。
靈魂はあとに殘つて、
また骨の處にやつて來て、
見てゐるのかしら?
故鄕(ふるさと)の小川のへりに、
半ばは枯れた草に立つて、
見てゐるのは、――僕?
恰度立札ほどの高さに、
骨はしらじらととんがつてゐる。
[やぶちゃん注:本篇は珍しく創作日が原詩稿に記されている詩篇らしい。サイト「中原中也・全詩アーカイブ」の本詩篇の解説に『制作は、詩篇末尾に日付がある通り』、昭和九(一九三四)年四月二十八日で、これは中也が前年末の十二月三日に遠縁の縁者であった六歳歳下の上野孝子と結婚してから、『およそ』五『カ月後の制作で、この頃、東京四谷区の花園アパートに住んでい』たとあり、本詩篇の初出は前年昭和八年五月に同人となった、坂口安吾主宰の雑誌『紀元』の同年六月号とする(但し、新潮社「日本詩人全集」第二十二巻「中原中也」の年譜によれば、中也は『紀元』同人を四月に脱退している)。
「光澤」上記新潮社版に従い、「つや」と読んでおく。
「恰度」「ちやうど(ちょうど)」。]