幼獸の歌 中原中也
幼 獸 の 歌
黑い夜草深い野にあつて、
一匹の獸(けもの)が火消壺の中で
燧石を打つて、星を作つた。
冬を混ぜる 風が鳴つて。
獸はもはや、なんにも見なかつた。
カスタニエットと月光のほか
目覺ますことなき星を抱いて、
壺の中には冒瀆を迎へて。
雨後らしく思ひ出は一塊(いつくわい)となつて
風と肩を組み、波を打つた。
あゝ なまめかしい物語――
奴隷も王女と美しかれよ。
卵殼もどきの貴公子の微笑と
遲鈍な子供の白血球とは、
それな獸を怖がらす。
黑い夜草深い野の中で、
一匹の獸の心は燻る。
黑い夜草深い野の中で――
太古は、獨語も美しかつた!……
[やぶちゃん注:太古の古代人幻想詩篇。サイト「中原中也・全詩アーカイブ」の本詩篇の解説によれば、本詩篇は本『詩集の前の方に配されてい』るものの、創作時期は、没する前年の昭和一一(一九三六)年六月頃『と推測される』もので(中也二十九歳)、昭和一一(一九三六)年八月号の『四季』に発表されたもの、とある。
「黑い夜草深い野にあつて」現代仮名遣で「くろいよる//くさぶかい/のにあって」と読む。
「獸」これは獣類を指していないことは以下で火打石を打っていることからも判る。古代の野人の一人の成人の大人である。
「火消壺」「ひけしつぼ」。
「燧石」「ひうちいし」。
「カスタニエット」カスタネット(英語:castanet:英語をカタカナ音写するなら「キャスタネット」が近い)。元はスペイン語「castaña」(カスターニャ)で「クリの実」の意。形が似ていることに拠るといい、平凡社「世界大百科事典」によれば、実際に本来は原料にクリ材を用いるとあり、小学館「日本大百科全書」によれば、スペイン式カスタネットの起源は古代エジプトに溯るとある。古代エジプトの国家形成は紀元前三千年頃で、本邦では縄文時代中期から後期に当たる。本詩篇の幻想は本邦というよりは、この語の使用によって、一見、古代西洋的なニュアンスを感じさせるが、しかし、当時の縄文期も集落が大型化し、三内(さんない)丸山遺跡のような巨大集落が現われ、植林農法も進化して、それまでのドングリよりも、そのまま食べられるクリに変わって大規模化しているから(ここはウィキの「紀元前3千年紀」に拠った)、これを私は繩文幻想と採りたい気が強くしている。
「目覺ます」「めざます」。
「卵殼もどき」「らんかくもどき」。つるんとした傷一つない綺麗な(「貴公子」だから)の頰の形容。どことなく文弱な感じだが、それはそれで内在する貴種の力を思せる。それが知力は「遲鈍」であっても、やはり強靱なパワーを伏在させている野人の「子供」と対となると私は思う。
「白血球」は外敵を鋭く感知し、攻撃し、食い尽くすから、これはその古代の民の普通の「子供」の中に生得的に天賦されて内包されている、新たな世代の強靱な「血」=魂=霊力を換喩しているものと私は読む。
「それな獸を怖がらす」「な」は強調して念を押す間投助詞と採る。「それこそが」未だただの獣である常に力ある何者かに平伏す野人の大人を生理的に恐れさせる、の謂いと私は採る。
「燻る」「くすぶる」。
「獨語」「どくご」。しかし実は、そうした未だ野人の大人の、誰に言うでもないモノローグでさえも、既にして実はアニミスティクな呪的な超自然力を持った言霊(ことだま)なのであり、だからこそそれでさえも「美しかった!」のである。こういう、言葉が本来持っていたはずの呪的詩的パワーを我々は失って久しいのである。中也がこの詩で言いたかったのはそんな思いではなかったろうか? しかも、それでこそ、実はうわべだけでない、真正のダダイズム的詩篇として私は本詩篇を詠むのである。]