一つのメルヘン 中原中也
一つのメルヘン
秋の夜は、はるかの彼方に、
小石ばかりの、河原があつて、
それに陽は、さらさらと
さらさらと射してゐるのでありました。
陽といつても、まるで硅石か何かのやうで、
非常な個體の粉末のやうで、
さればこそ、さらさらと
かすかな音を立ててもゐるのでした。
さて小石の上に、今しも一つの蝶がとまり、
淡い、それでゐてくつきりとした
影を落としてゐるのでした。
やがてその蝶がみえなくなると、いつのまにか、
今迄流れてもゐなかつた川床に、水は
さらさらと、さらさらと流れてゐるのでありました……
[やぶちゃん注:本篇は昭和一一(一九三六)年十一月発行の『文藝汎論』初出(角川文庫「中原中也詩集」(河上徹太郎編)の年譜に拠る)。やはりこれも長男文也の急逝以前に書かれたものということになる。
「硅石」(けいせき:silica
stone)とは主に酸化珪素(けいそ)からなる鉱物としてはチャート(chert:堆積岩の一種)・珪質砂岩・珪岩・石英片岩や石英・水晶などが含まれ、見た目が白っぽいものが多い。古くは板ガラスの主原料であった。]