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2018/05/21

三歲の記憶   中原中也

 

    

 

緣側に陽があたつてて、

樹脂(きやに)が五彩に眠る時、

柿の木いつぽんある中庭(には)は、

土は枇杷いろ 蠅が唸く。

 

稚厠(おかは)の上に 抱えられてた、

すると尻から 蛔蟲(むし)が下がつた。

その蛔蟲(むし)が、稚厠の淺瀨で動くので

動くので、私は吃驚しちまつた。

 

あゝあ、ほんとに怖かつた

なんだか不思議に怖かつた、

それでわたしはひとしきり

ひと泣き泣いて やつたんだ。

 

あゝ、怖かつた怖かつた

――部屋の中は ひつそりしてゐて、

隣家(となり)は空に 舞ひ去つてゐた!

隣家(となり)は空に 舞ひ去つてゐた!

 

[やぶちゃん注:「中庭(には)」は二字へのルビ。

「唸く」「うめく」。意味は「唸(うな)る」でよい。

「稚厠(おかは)」「おまる」のこと。小学館「日本国語大辞典」に「まかわ(歴史的仮名遣:おかは)」で載り、『子供用または病人用の楕円形の便器』とあり、『「お」は接頭語、「かわ」は「かわや(厠)」の略』とある。当初、家の側を流れる川畔に文字と通りの「かわや」がある、だから「浅瀨」とも読んではみたのだが、それではどうにもシチュエーションがおかし過ぎるのだ。何故なら、第一連は屋敷内の中庭に面した縁側のある部屋であり、最終連も「部屋の中は」「ひつそりしてゐ」るのだ。そこで「蛔蟲(むし)」「が下が」るのを見、「その蛔蟲(むし)が、稚厠の淺瀨で動く」のを見たからこそ「あゝあ、ほんとに怖かつた」! 「なんだか不思議に怖かつた」! だから「わたしはひとしきり」「ひと泣き泣いて やつたんだ」! と、遠い記憶を思い出しつつ、詩人は心の内に叫ぶのである。先に示した石川敏夫氏のサイト「詩のある暮らし」の「わたし流 近代詩の読み」の中原中也のパートの「第1部 父への反抗 第1話 奇蹟の子」中原家見取り図でも(年譜を調べると、三歳当時はここにいたことが確認出来る)、中庭に引き込んだ小流れなどはない感じで、そもそもが図の下(方位表示がないのでこう言っておく)と右が病室(病棟)であり、左は台所である。とすれば、この額縁の中の第二連と第三連が、中庭に降りて屋敷の外にある小川(あるかどうかも知らない。ただ、下方向は田圃ではあるから、そちらの方には用水用の小流れがあった可能性はある。しかし、自然のそこを子供用の厠に常時していたというのは、これ、ひどく潔癖で厳しい医師である父謙助が許そうはずもないではないか?!)というのでは、「吃驚」りしようがない! というより、驚きが、これ、ひどく間が抜けたものとなってしまうではないか?! やはりこれは「おまる」なのだ。その「おまる」の「浅くなったところ」(乾いていていいのである)に「蛔蟲(むし)」が動くの見たのである! これは人工のそれである故にこそ、三歳児にもつぶさに観察できたのだ! だから驚いたのだ! 小流れの浅瀬で抱えられて用を足している子が、その直後、有意な時間、観察など出来ようはずがないではないか?! 下手すりゃ、落ちて溺れて、詩人中原中也になるまえに死んでしまっているかも知れんぞ?! 冗談? 冗談じゃねえよ! 詩篇「月」の注を見て貰おうじゃあねえか! 父謙助は中也が小学校になっても、学校から帰った彼を出来うる限り、外へ出させないようにしてたんだぜ?! その結果、泳ぎも出来なかったんだぜ? 反論があるなら、受けて立とうじゃねか!

「蛔蟲(むし)」線形動物門双腺綱旋尾線虫亜綱回虫(カイチュウ)目回虫上科回虫科回虫亜科カイチュウ属ヒトカイチュウ Ascaris lumbricoides と同定してよかろう。安心なされよ。ここで詳細注をするつもりはさらさらないから。しかし、和漢三才圖會卷第五十四 濕生類 蚘(ひとのむし)の私の注をリンクさせておくこととはしよう。]

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