月夜の濱邊 中原中也
月 夜 の 濱 邊
月夜の晚に、ボタンが一つ
波打際に、落ちてゐた。
それを拾つて、役立てようと
僕は思つたわけでもないが
なぜだかそれを捨てるに忍びず
僕はそれを、袂に入れた。
月夜の晚に、ボタンが一つ
波打際に、落ちてゐた。
それを拾つて、役立てようと
僕は思つたわけでもないが
月に向つてそれは抛れず
浪に向つてそれは抛れず
僕はそれを、袂に入れた。
月夜の晚に、拾つたボタンは
指先に沁(し)み、心に沁みた。
月夜の晚に、拾つたボタンは
どうしてそれが、捨てられようか?
[やぶちゃん注:「北の海」とともに私の中也遺愛の歌。サイト「中原中也・全詩アーカイブ」の本詩篇の解説によれば、本篇は昭和一二(一九三七)年二月号『新女苑』に『発表されたのが初出で』あるが、実はやはり、『制作は文也の死んだ』昭和十一年十一月十日『以前と推定されてい』るとある。そこで、サイト主合地舜介氏は、『となれば』、『ミステリーじみてくる』が、この詩は、文也急逝から三ヶ月後の『新女苑』に『発表された詩』ではあるが、創作は明らかにそれ以前であり、本詩の詠吟(その感懐)は文也の死と直接は関わらないものであった。しかし、『「在りし日の歌」に収録される』詩篇が『編集』された『時期は文也の死後であり』、『偶然にも「月夜の浜辺」が追悼詩としても成立すると見なした詩人が「永訣の秋」の中に配置した、と考えれば矛盾しないはずで』ある、と述べておられる。『新女苑』はこの前月昭和一二(一九三七)年一月から実業之日本社が『少女の友』の姉妹誌として創刊した若い女性向け雑誌(昭和三四(一九五九)年七月終刊)で、これも如何にも掲載誌を意識して作った感は強い。]