諸國里人談卷之一 熱田的射
○熱田的射(あつたのまとい)
尾張國熱田社(あつたのやしろ)に、每年正月十五日、的矢あり。六百人の社家(しやけ)、これを射る也。もし、射はづせば、其家を沒し、官錄を、はなたる。よつて、當社の社人、年中、おこたらず、これを勵(はげみ)て、五寸、三寸の的を、常に射はづす事なく、皆、達人也。ことに、其日の的は二尺ばかりの大的にて、いづれにも發(はづれ)ぬやうにする事なり。されども、行跡(かうせき)あしく、神慮に脊(そむ)く輩(ともがら)は、必(かならず)、射はづす事、時として、ありとぞ。
[やぶちゃん注:熱田神宮の歩射神事(ほしゃしんじ)は現在も新暦の一月十五日に行われている。「熱田神宮」公式サイト内の同神事の解説よれば、『豊年と除災とを祈る神事で、午後』一『時より神楽殿前庭で行』われ、『俗に「御的(おまとう)」ともいわれ』、『初立・中立・後立の各』二『人の射手(神職)が矢を』二『本づつ、各』三『回、計』三十六『本を奉射』する。『最後の矢が射られたと同時に』、『参拝者が一斉に大的を目指して押しかけ、特に大的の千木(ちぎ:大的に付した木片)は古くより魔除けの信仰があり、多数の参拝者がこれを得ようと奪いあうさまは壮観で』あるとある。的の裏には「鬼」と墨書されており、的の直径は一・八メートルと別な記載にあった。流石に今は外しても神職は首にはならんのじゃろうなぁ。
「社家」とは代々、特定神社の神職や社僧の職を世襲してきた家(氏族)を指す。熱田神宮は千秋家(せんしゅうけ)。しかし、今、「六百人」もおらんじゃろうなぁ。調べて見たが、熱田神宮の神官の人数なんてものは判らんもんなんじゃなぁ。]