お道化うた 中原中也
お 道 化 う た
月の光のそのことを、
盲目少女(めくらむすめ)に教へたは、
ベートーヹンか、シューバート?
俺の記憶の錯覺が、
今夜とちれてゐるけれど、
ベトちやんだとは思ふけど、
シュバちやんではなかつたらうか?
霧の降つたる秋の夜に、
庭・石段に腰掛けて、
月の光を浴びながら、
二人、默つてゐたけれど、
やがてピアノの部屋に入り、
泣かんばかりに彈き出した、
あれは、シュバちやんではなかつたらうか?
かすむ街の燈とほに見て、
ウヰンの市(まち)の郊外に、
星も降るよなその夜さ一と夜、
蟲、草叢にすだく頃、
教師の息子の十三番目、
頸の短いあの男、
盲目少女(めくらむすめ)の手をとるやうに、
ピアノの上に勢ひ込んだ、
汗の出さうなその額、
安物くさいその眼鏡、
丸い背中もいぢらしく
吐き出すやうに彈いたのは、
あれは、シュバちやんではなかつたらうか?
シュバちやんかベトちやんか、
そんなこと、いざ知らね、
今宵星降る東京の夜(よる)、
ビールのコップを傾けて、
月の光を見てあれば、
ベトちやんもシュバちやんも、はやとほに死に、
はやとほに死んだことさへ、
誰知らうことわりもない……
[やぶちゃん注:標題「お道化うた」は「おどけうた」と読みたい。
「月の光のそのことを、」「盲目少女(めくらむすめ)に教へた」「月光」の通称で知られる、ベートーヴェンが一八〇一年に作曲したピアノソナタ「ピアノソナタ第十四番嬰ハ短調作品二十七の二“Sonata
quasi una Fantasia”(「幻想曲風ソナタ」)のこと。私もこの話は中学のリーダーの副読本で読まされたが(挿絵までよく覚えている)、これは全くの虚構である。ウィキの「ピアノソナタ第14番(ベートーヴェン)」によれば、『日本では戦前の尋常小学校の国語の教科書に、「月光の曲」と題する仮構が読み物として掲載されたことがあった』。『この物語は』十九『世紀にヨーロッパで創作され、愛好家向けの音楽新聞あるいは音楽雑誌に掲載された。日本では』明治二五(一八九二)『年に上梓された小柳一蔵著『海外遺芳巻ノ一』に『月夜奏琴』という表題で掲載された』。『『月夜奏琴』を口語調に書き直したものが『月光の曲』である』とし、そのシノプシスは、『ベートーヴェンが月夜の街を散歩していると、ある家の中からピアノを弾く音が聞こえた。良く見てみると』、『それは盲目の少女であった。感動したベートーヴェンはその家を訪れ、溢れる感情を元に即興演奏を行った。自分の家に帰ったベートーヴェンはその演奏を思い出しながら曲を書き上げた。これが「月光の曲」である』というものである。
「ベートーヹン」ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven)。
「シューバート」フランツ・ペーター・シューベルト(Franz Peter Schubert)。彼には重唱曲に“Mondenschein”(「月の光」)がある。]