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2018/05/24

お道化うた   中原中也

 

    お 道 化 う た

 

月の光のそのことを、

盲目少女(めくらむすめ)に教へたは、

ベートーヹンか、シューバート?

俺の記憶の錯覺が、

今夜とちれてゐるけれど、

ベトちやんだとは思ふけど、

シュバちやんではなかつたらうか?

 

霧の降つたる秋の夜に、

庭・石段に腰掛けて、

月の光を浴びながら、

二人、默つてゐたけれど、

やがてピアノの部屋に入り、

泣かんばかりに彈き出した、

あれは、シュバちやんではなかつたらうか?

 

かすむ街の燈とほに見て、

ウヰンの市(まち)の郊外に、

星も降るよなその夜さ一と夜、

蟲、草叢にすだく頃、

教師の息子の十三番目、

頸の短いあの男、

盲目少女(めくらむすめ)の手をとるやうに、

ピアノの上に勢ひ込んだ、

汗の出さうなその額、

安物くさいその眼鏡、

丸い背中もいぢらしく

吐き出すやうに彈いたのは、

あれは、シュバちやんではなかつたらうか?

 

シュバちやんかベトちやんか、

そんなこと、いざ知らね、

今宵星降る東京の夜(よる)、

ビールのコップを傾けて、

月の光を見てあれば、

ベトちやんもシュバちやんも、はやとほに死に、

はやとほに死んだことさへ、

誰知らうことわりもない……

 

[やぶちゃん注:標題「お道化うた」は「おどけうた」と読みたい。

「月の光のそのことを、」「盲目少女(めくらむすめ)に教へた」「月光」の通称で知られる、ベートーヴェンが一八〇一年に作曲したピアノソナタ「ピアノソナタ第十四番嬰ハ短調作品二十七の二“Sonata quasi una Fantasia”(「幻想曲風ソナタ」)のこと。私もこの話は中学のリーダーの副読本で読まされたが(挿絵までよく覚えている)、これは全くの虚構である。ウィキの「ピアノソナタ第14ベートーヴェンによれば、『日本では戦前の尋常小学校の国語の教科書に、「月光の曲」と題する仮構が読み物として掲載されたことがあった』。『この物語は』十九『世紀にヨーロッパで創作され、愛好家向けの音楽新聞あるいは音楽雑誌に掲載された。日本では』明治二五(一八九二)『年に上梓された小柳一蔵著『海外遺芳巻ノ一』に『月夜奏琴』という表題で掲載された』。『『月夜奏琴』を口語調に書き直したものが『月光の曲』である』とし、そのシノプシスは、『ベートーヴェンが月夜の街を散歩していると、ある家の中からピアノを弾く音が聞こえた。良く見てみると』、『それは盲目の少女であった。感動したベートーヴェンはその家を訪れ、溢れる感情を元に即興演奏を行った。自分の家に帰ったベートーヴェンはその演奏を思い出しながら曲を書き上げた。これが「月光の曲」である』というものである。

「ベートーヹン」ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven)。

「シューバート」フランツ・ペーター・シューベルト(Franz Peter Schubert)。彼には重唱曲に“Mondenschein”(「月の光」)がある。]

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