蜻蛉に寄す 中原中也
蜻 蛉 に 寄 す
あんまり晴れてる 秋の空
赤い蜻蛉が 飛んでゐる
淡(あは)い夕陽を 浴びながら
僕は野原に 立つてゐる
遠くに工場の 煙突が
夕陽にかすんで みえてゐる
大きな溜息 一つついて
僕は蹲んで 石を拾ふ
その石くれの 冷たさが
漸く手中(しゆちう)で ぬくもると
僕は放(ほか)して 今度は草を
夕陽を浴びてる 草を拔く
拔かれた草は 土の上で
ほのかほのかに 萎えてゆく
遠くに工場の 煙突は
夕陽に霞んで みえてゐる
[やぶちゃん注:サイト「中原中也・全詩アーカイブ」の本詩篇の解説によれば、この一篇は『むらさき』という『女性向けの教養雑誌に初出』するもので、『この雑誌は、紫式部学会の編集』であるという(創作は昭和一一(一九三六)年八月頃と推定されているとある。因みに『ぬらさき』は昭和九年五月創刊で現在も続いている)。サイト主の合地舜介氏も述べておられる通り、本篇は言葉遣いや内容の平易さを見ると、多分に女性雑誌を意識した作品のように感じられる。なお、以上で「在りし日の歌」の第一大パート「在りし日の歌」は終わっている。
「蹲んで」「しやがんで(しゃがんで)」。
「放(ほか)して」捨てて。「ほかす」は上方(かみがた)語。名古屋の亡き義母がよく使っていたのを思い出すから、中部以西の方言であろう。一部の辞書類はまことしやかに「放下す」などと漢字表記しているが、ちょっと私はクエスチョンだ。]