小泉八雲 神國日本 戶川明三譯 附やぶちゃん注(36) 死者の支配(Ⅳ)
勿論對話の事項も態度も制限を受けて居た。そして言語の自由に關する制限の性質は、動作の自由の上に加へられた制限の性質から推斷される次第である。動作は非常に細かく、少しの容赦もなく規定されて居た。それは單に男女とか、階級とかに依つて變化する無數の程度を有する敬禮に關しての事のみならず――また顏の表情、笑ぴ方、息の仕方、坐り方、立ち方、步き方、起き方等に關しての事であつた。人はみな幼少の頃から、表情と行狀との、この作法の訓練を受けた。上長の前にあつて、樣子若しくは身振りに依つて、悲痛若しくは苦痛の感をあらはす事が、どういふ時期に始めて不敬の標[やぶちゃん注:「しるし」。]となるものか、吾々には解らないが、この點について尤も完璧なる自己抑制が、有史以前の時代から勵行されて居たといふ事を信ずるだけの理由はある。併し行狀に關しての極めて細かい法規は、單に受動的にそれに服從するといふ事以上を要めた[やぶちゃん注:「もとめた」。]のであるが、それは徐に――恐らく一部は支那の敎への下に、發達したものであつた。その要めた處は、單に怒りや苦痛の感を外面の表情にあらはしてはならないといふのみならず、その人の顏竝びに態度は却つて反對の感を示すやうにしなければならないと云ふのである。不承不承の服從は惡るい事であり、單なる自動的從順では不十分であつた、服從の眞實の程度は、樂しさうな微笑に依り、また快い聲の調子に依つて示されなければならないのであつた。が、その微笑にも亦規定があつた。微笑の性質についても注意しなければならぬ、たとへば上長に對してものを言ふに際し、奧齒の見えるやうな微笑をするのは非常に失禮な事であつた。武家階級にあつては、この種の動作の法規は少しも容赦する處なく勵行された。侍の婦人はスパルタの婦人のやうに、自分の夫若しくは子息が戰死した事を聞いても、喜びの樣子を示すやうに要められて居た。さういふ事情の下にあつて、少しでも自然の感情を出す事は、重大な禮節上破壞であつた。あらゆる階級に於ける動作は嚴しく規則を以て定められ、爲に今日に於てさへ、人々の態度は到[やぶちゃん注:この「到」は底本では印刷不鮮明(殆んど脱字に近い)で推定。]る處に昔の規律の如何なるものであつたかを示して居るのである。尤も不思議な事は、この昔の態度は、それが習練して得られたといふよりも、自然に人に備はつて居たやうに思はれ、訓練に依つて爲されたといふよりも、本能的であるやうに見えるといふ事である。お辭儀――頭を下げ、また神々に祝禱をする時に行はれる靜かに音を出して息を內へ引く事――人を迎へまたは別かれる時、床の上に兩手を置くその位置――客の前で、坐り、立ち上り、また步くその仕方――もの受け取り又は捧げるその樣子――すべて恁ういふ普通の行爲も、只だ敎へただけでは、出來さうにも思はれないやうな、一見自然らしい魅力をもつて居る。これは一層高い作法になるといよいよさうなる、――則ち修養ある階級に於ける昔の訓練から生ずる精巧な作法に於ては左樣である――特に婦人に依つてそれが示された場合には。吾々は、さういふ態度を習得する能力は遺傳に依る處著しいと思はなければならない――規律の下にあつた人種の過去の經驗に依つてのみ作られ得たものであると考へなければならない。
上品といふ事に關してかくの如き規律が、一般の人民に取つて、どういふ風な意味をもつて居たかといふ事は、家康が粗暴な事を爲した三階級(農、工、商)の何人をも殺害して宜いといふ權利を、侍に與へたその條例から推測する事が出來る。但し注意すべき事は、家康が『粗暴』といふ字の意味を注意して限定して居る事である。粗暴なものに就いての日本語は『慮外もの』を意味する――それ故死を値するやうな犯罪をなしたといふのには 、意想外、則ち『慮外な』行を爲したといふ事が要件であつた、言ひかへれば、定められたる作法に反いたといふ事が要件であつたのである――
[やぶちゃん注:以下の英文は底本では全体が日本語で一字分下げである。]
“The Samurai are the masters of the four classes. Agriculturists, artizans, and merchants may not behave in a rude manner towards Samurai. The term for a rude man is ‘ other-than-expected fellow ’ and a Samurai is not to be interfered with in cutting down a fellow who has behaved to him in a manner other than is
expected. The Samurai are grouped into direct retainers, secondary retainers, and nobles and retainers of high and low grade ; but the same line of conduct is
equally allowable to them all towards an other-than-expected fellow.”―〔Art. 45〕
[やぶちゃん注:恒文社版(一九七六年刊)の平井呈一氏訳「日本――一つの試論」の訳文を、ここに引用させて貰う。
《引用開始》
「サムライは、四つの階級のうちの長である。農耕者、工匠、商人は、サムライに対して不礼な態度・行ないをしてはならない。慮外者ということばは、『考慮する以外の人間』ということばである。サムライは、そういう慮外な行ないをした者を斬って捨てても、どこからも干渉されない。サムライは直臣、予備の家来、また貴族、身分の高いもの低いものなど、いろいろあるけれども、慮外者に対して許されている行為は、すべて同列である。」
《引用終了》
以下は訳者戸川氏の参考注であるが、底本では全体がポイント落ちで四字下げ。]
士者四民の司農工商之輩對ㇾ士不ㇾ可ㇾ致二無禮之働一無禮者今云慮外者也對士慮外者也對士慮外いたす者は士於ㇾ誅ㇾ之不ㇾ妨ㇾ之士又直臣陪臣上下君臣之品有於二慮外一者其筋可ㇾ爲二同前一事(第四十五條)
[やぶちゃん注:一応、条文を自己流で訓読しておく。「對士」はレ点の落ち。国立国会図書館デジタルコレクションの「德川禁令考」卷七(司法省・明一一(一八七八)年~明治二三(一八九〇)年刊)のここで確認した(左丁四行目以下)。
『士は四民の司(つかさ)、農・工・商の輩(やから)、士に對し、無禮の働(はたらき)、致すべからず。「無禮」は、今、云ふ、「慮外者」なり。士に對し、慮外いたす者は、士、之れを誅するに於いては、之れを妨げず。又、直臣(ぢきしん)・陪臣・上下君臣の品(ひん)、有り。慮外に於いては、其の筋(すぢ)、同前と爲(な)すべき事。』]
併しながら家康が殺害の新しい特權を作りたと考へるのは少し無理である。恐らく家康は永くすでに行はれて居た武家の權利を律令として確定したに過ぎないのである。上長に對する下級の行爲についての嚴格な規則は、武家の權力の勃興以前に疾く用捨なく勵行されて居たと考へられる。第五世紀の終りに雄略天皇が、その侍臣の、言葉をかけられたに拘らず、恐れて默つて居たといふ過失のために、それを殺したといふ事を聞いて居る。なほこの天皇は一杯の酒をもつて來た官女を打ち倒したといふ事、竝びにその婦人が非常な落ち着きをもつて居て、慈悲を求める一句の歌をもつてうたひ出したので、首を刎ねられるのを免れたといふ事も聞いて居る。この婦人の過失といふのは、酒杯をもつて來る時、その內に木の葉の落ち込んだのを氣づかずに居たといふに過ぎなかつたのである――恐らくそれは宮中の習慣で、その中に息の入らないやうにして、杯をもつて行かなければならなかつた爲め、氣がつかなかつたのであらう。また天皇や位の高い貴族は神々のやうな奉仕を受けて居たので、そんな風にして杯を捧げられたのである。雄略天皇には、些細な過失のために、人を殺す風のあつたのは事實である、併し今のべたやうな場合に於ける過失は、長く定められて居た禮節を破壞するものと考へられたのである。
[やぶちゃん注:以下、一行空け。]