夜更の雨 ――ヹルレーヌの面影―― 中原中也
夜 更 の 雨
――ヹ ル レ ー ヌ の 面 影――
雨は 今宵も 昔 ながらに、
昔 ながらの 唄を うたつてる。
だらだら だらだら しつこい 程だ。
と、見るヹル氏のあの圖體(づうたい)が、
倉庫の 間の 路次を ゆくのだ。
倉庫の 間にや 護謨合羽(かつぱ)の 反射(ひかり)だ。
それから 泥炭の しみたれた 巫戲けだ。
さてこの 路次を 拔けさへ したらば、
拔けさへ したらと ほのかな のぞみだ……
いやはや のぞみにや 相違も あるまい?
自動車 なんぞに 用事は ないぞ、
あかるい 外燈(ひ)なぞは なほの ことだ。
酒場の 軒燈(あかり)の 腐つた 眼玉よ、
遐くの 方では 舍密(せいみ)も 鳴つてる。
[やぶちゃん注:「護謨合羽(かつぱ)」は四字への、「反射(ひかり)」「外燈(ひ)」「軒燈(あかり)」は孰れも二字へのルビである。本篇はポール・マリー・ヴェルレーヌ(Paul Marie Verlaine 一八四四年~一八九六年)の一八七四年の詩集“Romances
sans paroles”(「言葉なき恋歌」)の中の“Ⅲ”、“Il pleut doucement sur
la ville
(Arthur Rimbaud)”(「街にしめやかに雨が降る(アルトゥール・ランボー)」のエピグラフを持つ有名な詩をもとにしている(原詩集はこちらで読める(PDF)。この詩集は彼が前年にランボーを二度銃撃しようとし(一度目は一九七三年七月十日のブリュッセルで、実際に撃ち、ランボーの手首に軽傷を負わせている)たため、ランボーに訴えられて入獄していた一年半の中に友人の手で刊行され、獄中の彼のもとに手渡されたものである。なお、私が中学二年の時に買った中込純次訳「ヴェルレーヌ詩集」(一九七〇年三笠書房刊)の本詩(訳題(「ぼくの心に雨が降る……」)の作品解題によれば、この『ランボーのエピグラフは』ランボー『の作品のなかに見当らない。最初はロングフェローの「雨が降っている。風は少しもおとろえない」というエピグラフがついていたという。ロンドン滞在中』(一八七二年九月から翌年七月初め)『の作である』とある)。無論、中也は原詩で読んでいる。しかし、これは堀口大學の訳詩集「月下の一群」(大正一四(一九二五)年第一書房刊)の名訳で知られ、少なくとも読者としての我々は、それを無化して読むことは出来ず、というより、寧ろ、堀口のあの訳詩のフィルターを通して読まざるを得ない人々が有意に多いと考えるのでここに掲げておくこととする。これは本詩をよりよく正しく味わうための、読者にとって実は極めて必要と思われるものであるから、著作権侵害には当たらない適切な〈引用〉と認識する(実際、ネット上には表記のいい加減なそれが馬糞のようにゴロゴロしている)。講談社文芸文庫の「月下の一群」を底本とするが、恣意的に漢字を正字化した。堀口はランボーのエピグラフはカットしている。彼は「われの心に淚ふる」を題であるかのようにして附しているが、私はこういうやり方を、実は、好まない。
《引用開始》
われの心に淚ふる
巷に雨の降るごとく
われの心に淚ふる。
かくも心に滲(にじ)み入る。
この悲しみは何ならん?
やるせなき心のためには
おお、雨の歌よ!
やさしき雨の音は
地上にも、屋上にも!
消えも入りなん心のうちに
故もなく雨は淚す。
何事ぞ! 裏切りもなきにあらずや?
この喪(も)その故を知らず。
故(ゆゑ)しれぬかなしみぞ
實(げ)にこよなくも堪へがたし、
戀もなく恨もなきに
わが心かくもかなし。
《引用終了》
この詩と、中原中也のこのヴェルレーヌへのオードとしての本篇を並べて読んでみると、どちらがヴェルレーヌの陥った極度の悲哀と抑鬱気分をリアルに捉えているかは一目瞭然である。堀口大學のそれは洒落たアンブレラを差しかけ、一滴の雨にも濡れることなく、シャンゼリゼを軽快に歩くスタイリストのデカダンを気取った三文詩人でしかない。原詩の湿度とその雨を含んだ重みはそこでは致命的に減衰してしまっている。翻って、この中也のヴェルレーヌのモノクロームの肖像画はと言えば、これ、驚くべきリアリズムの映像で、落魄した、しかし、しかも執拗に何かに縋ろうとする詩人が、路地を肉の塊りのような図体を引き摺りながら彷徨(さまよ)う姿を撮りきっているのである。なお、最後に言っておくと、私はその中二の時の中込純次訳「ヴェルレーヌ詩集」で彼を知り、その解説から、直ぐに同じ三笠書房の高橋彦明訳「ランボー詩集」を求め(書庫の紙魚の餌になったらしく、こちらは見当たらない)たのが、最初のヴェルレーヌ→ランボー体験なのであった。今ではランボーの訳集の方が所持している冊数は多いけれど、しかし、今でも実は、私は美少年ランボーの詩よりも、禿げ上がった金柑頭の胡乱な目つきのビア樽みたような図体のヴェルレーヌの詩の方が、好きかも知れない。
第二連「巫戲けだ」「ふざけだ」と読む。
第三連「遐くの」既出既注。「とほく(とおく)」で「遠くの」に同じ。
「舍密(せいみ)」「舍密」とは幕末から明治期にオランダ語の「chemie」(ケェミイ)の音訳漢字表記で「化学」の旧称であるが、このままでは意味が採れない。山田兼士氏の小論「ヴェルレーヌと中原中也―音楽的化合について」(二〇〇三年十一月発行『國文學』所収)では、本詩を後半で採り上げ、『一杯の安酒を求めて街を彷徨するうらぶれた詩人晩年の姿だ。だが、それでも人は生き続けることができる。ノンシャランと言えば言えるし、タフと言えばそうとも言える、人生に病み疲れた果ての磊落なストイシズム』『が晩年のヴェルレーヌの真骨頂だ。そしてここに(影のようになって)流れ続けている雨の唄こそが中也=ヴェルレーヌの音楽の原基だ。リズムやメロディのことではない。魂の奥底に流れ続ける通奏低音のような音楽のことだ。その音楽に導かれ、詩人は一軒の酒場に逢着する。このとき中也は、いわば晩年のヴェルレーヌに化合している。「遐(とお)く」で鳴る「舎密(せいみ)』『」とは二人の詩人の音楽的化合の喩なのである』とされる(但し、この山田氏が繰り返す「晩年の」という謂いにはやや違和感を覚える。“Romances
sans paroles”中のかの詩篇は一八七二年の作品で、この時のヴェルレーヌは未だ二十八、彼は五十一まで生きている。彼の晩年の複数の娼婦のヒモ生活をすることになる属性が既に内包として決定していて、寧ろ、過去の詩篇の謎の語句をそれが逆照射するというのは、ヴィトゲンシュタインの鏡像理論のようで面白くはあるが、やや作品論的器械油の臭いがして私は好かない)。而して、山田氏はこの謎の語「舍密」に注されて、『上田敏訳によるラフォルグの詩「お月様のなげきぶし」に「宇宙の舎密が鳴るのでせう」の用例がある』とされる。これは「牧羊神」の中の一篇で、冒頭の「星の聲」(台詞形式)の第五連目、
*
――もう、もう、これで澤山よ、
おや、どこやらで聲がする。
――なに、そりや何(なに)かのききちがひ、
宇宙の舍密(せいみ)が鳴るのでせう。
*
を指す。全篇を読む必要がある。これは「青空文庫」がよい(正字正仮名)。これはしかし、「化学」(ケミストリー)というより、その語源であるところの、宇宙の不可知な錬金術的(アルケミー)な超化学的変性の際に発せられる深奥摩訶不思議な音として私は腑に落ちる。以下、山田氏は続けて、『「同音を借りて蝉の意か」(飛高隆夫「中也詩語辞典」『國文学』一九八三年四月号)、「神の現れとしての有機的かつ無機的な現象」(小山俊輔』『)等諸説がある。私見では、ヴェルレーヌ『叡智』第三章第一三篇の一節「忽ち鐘の音の波、/笛の如、渦巻き上り」(河上訳)に見られるように、距離を隔てて「鐘の音」が「笛」のように聞こえる(さらには波や渦と化す)現象の意を読み取りたい。空気や風や雨によって音楽的化合(=舎密)が生じる、と。パリのヴェルレーヌにとっては鐘の音、東京の中也にとっては遠くの化学(舎密)工場から聞こえるサイレンか何かの音かもしれない』と纏めておられる。私はかつて読んだ時は「遠い空の彼方から幻のように聴こえてくる鐘の音(ね)」の意と読んだ。しかし、それは実際の教会の鐘である必要は、ない。逆に、遠雷のゴロゴロという音(おと)でも、構わない。ともかくもそれが何らかの予兆――ツルゲーネフの「猟人日記」の“Живые мощи”(「生ける聖遺体」)のルケリヤの最期の「その音が教會からではなく、『上から』聞こえて來ると言つたさうだ、――おそらく、彼女は敢へて『天から』とは言はなかつたのであらう」(中山省三郎譯。リンク先は私の全電子化)を思い出すが、この時の中也にとってのそれは、そんな瑞兆の摩訶不思議なイオンの匂いはしない。寧ろ、鼻を撲(う)つ粘膜を焼け爛らす強いオゾンの臭いが漂ってくる気が私にはしているのである……。]