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2018/06/09

諸國里人談卷之二 石燈籠

 

    ○石燈籠(いしどうろう)

 相摸國小田原の寺に、星霜ふりたる石燈籠一基、藪中(そうちう)にあり。

 元祿年中、當所の天守經營の砌(みぎり)、江戸神田の棟梁北村何某(なにがし)、工ㇾ之(これをたくむ)。よつて、此所に暫く足をとゞむ。

左官棟梁弥三郞といふもの、此とうろを見出し、大棟梁に告(つげ)て云〔いはく〕、

「比類なき異風の燈爐(とうろ)[やぶちゃん注:ママ。]なり。これを得られかし。」

と也。因ㇾ之(これによつて)、住僧にこれを乞(こふ)に、

「迚も、藪中に埋(うづも)れたるもの。いと、心やすし。」

とて、頓(とみ)に附屬したり。

 人々、よろこび、普請小屋に運び入〔いれ〕て、笠(かさ)・火袋(ひぶくろ)・竿(さを)・臺(だい)、ひとつひとつに、箱を調へ、隈々(くまぐま)は藁(わら)を以〔もつて〕損せざるやうに補ひ、菰莚(こもむしろ)を以〔もつて〕箱を覆ひ、荷作りて、舩(ふね)の出(いで)しだいに、江戶へ運送せん事をはかる。

 一夜(あるよ)、下部(しもべ)の者、大熱(だいねつ)して、狂氣のごとく云(いふ)事、皆、燈籠の事なり。

「何ゆへに、吾(われ)が印(しるし)を他國へ送るなる。此事、とゞまらずば、祟(たゝり)あるべし。」

となり。

 人々、驚き急ぎ、元の所へ返してげり。

住僧、問(とう)て云〔いはく〕、

「此とうろ、何ゆへ、用(よう)に立〔たた〕ざるや。」

 よつて、しかじかの事を、かたる。

「扨は。おもひ合(あは)する事あり。以前に、二、三所より、所望のありて送りけるに、五、三日經(へ)て、たゞ何となく、返しぬ。しだいを聞(きか)ざれば、何心なく過(すぎ)たり。さだめて、いかめしき人の印(しるし)ならんと、その後はいづれにも送らず、今にあり。」

とぞ。【寺號、追可ㇾ考(おつてかんがふべし)。】

 墳(つち)に樹(き)を栽(うえ)、五輪石塔(ごりんせきたう)を立〔たつ〕るは、其霊を、これにとゞむるの理(ことわり)あり。此燈籠も巫石(みこいし)・殺生石(せつしやうせき)のごとく、其精灵(せいれい)、とゞまりけるにや。

[やぶちゃん注:直接話法が多いので読み易さを考えて特異的に改行させた。

「元祿年中」一六八八年~一七〇四年。

「當所の天守經營」小田原城天守閣。当時の城主は相模国小田原藩第二代藩主大久保忠増であったが、この元禄十六年十一月二十三日午前二時頃(一七〇三年十二月三十一日)に発生した南関東駿豆(すんず)地震(推定マグニチュード八・二。因みに、この地震は諸要素から関東震災とよく似た地震とされる)によって、小田原城は石垣が崩れ、天守等が類焼しているから、この時の火災損傷の修理と考えられる(なお、この時の損壊の全修復が終わるのは宝永三(一七〇六)年であった)。

「迚も」どうせ。所詮。

「頓(とみ)に」すぐに。

「附屬」ここは「授け与えること」の意。

「火袋(ひぶくろ)」灯籠は上から「宝珠」・「笠(かさ)」ときて、火を灯すところの「火袋」、以下、「中台(ちゅうだい)」(普通は仏像と同様に下部に蓮の花を模した「受花(うけばな)」(単弁)が附属する)を経て、支えとなる柱の部分である「竿」(さお)、最下部が「台座」(上から「反花(かえりばな)」(複弁)と「格狭間(ごうざま)」(通常は六角形)から成る「基礎」で、地面に接する部分は別に「基壇」と呼ぶ)と、それぞれ呼称する。

「菰莚(こもむしろ)」マコモ(被子植物門単子葉植物綱イネ目イネ科エールハルタ亜科Ehrhartoideaeイネ族マコモ属マコモ Zizania latifoliaの葉を編んで作ったむしろ。

「送るなる」強い不満感を余韻として表わすための推定の助動詞「なり」の連体中止法。

「用(よう)に立〔たた〕ざるや。」「切に願って貰い受けたはずのものが、どうして役に立たなかったのか?」。

「いかめしき人」恐れ多くも厳粛なるそれなりの人物。

「印(しるし)」記念の品。或いは記念としてその謂われある場所(現在あるところの藪の中)に建てられたもの。

「その後はいづれにも送らず、今にあり」こら! 坊さん! それを譲る時に先に言わんかい! ど阿呆!!!

「寺號、追可ㇾ考(おつてかんがふべし)。」「寺の名は今は判らない。追って調べておこうと思う。」の意。これで終わっていて、追記がないところをみると、遂に寺の名は判らなかったということである。一応、調べてはみたが、現在の小田原にそのような奇怪な灯籠は見当たらない。それらしいものを御存じの方は、是非、御教授あられたい。

「墳(つち)」墓。

「巫石(みこいし)」既出石」参照。

「殺生石(せつしやうせき)」既出殺生石」参照。

「精灵(せいれい)」「㚑」は「靈」の異体字。]

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