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2018/06/29

進化論講話 丘淺次郎 第十七章 變異性の研究(一) 序・一 食物による變異

 

     第十七章 變異性の研究

 

 遺傳と變異とは極めて密接な關係のあることで、變異と離れては遺傳の研究は出來ぬ位故、この二つは殆ど同一物の兩面と見倣しても宜しからう。前章には自然に生じた變異が、如何に子孫に傳はるかを述べたが、次には先づ人工的に生活狀態を變じて、或る生物に一定の變異を生ぜしめ、更に之を繁殖せしめて、その變異が幾分でも子孫に傳はるや否やといふ問題に關し、最近の實驗の結果を述べて見よう。

Wineseibutu

[ヴィーン生物學試驗場]

[底本の国立国会図書館デジタルコレクションの画像をトリミング、補正して用いた。]

 

 抑人爲的に生活狀態を變じて生物體に一定の變異を生ぜしめ、これが子孫に傳はるや否やを實驗することは、生物進化の研究上に最も大切なことであるが、溫度、濕氣、食物の成分、住處の種類などを隨意に變更して生物を餌養するためには、なかなか大仕掛の設備と、之に相當する費用とを要するから、かやうな研究の出來る所は今日まだ甚だ少い。アメリカコールドスプリング、ハーボアの生物進化試驗場、フランスパリー大學の生物進化實驗室等は、當然かやうな設備があつて宜かりさうなものであるが、現今の所では經費等の都合で、まだ一向に出來て居ない。たゞオーストリヤヴィーン大學附屬の生物學試驗場だけは、梢完全にこの種類の研究に適する設備があつて、係の人々も絶えずこの方法による研究に從事して、その結果を報告して居る。この試驗場の建物は、先年ヴィーンに萬國博覽會のあつたときの水族館の跡を利用したものであるが、今では、鳥・獸・魚・蛙・昆蟲類などを、種々の條件の下に飼養することの出來る設備がある。所長はプシブラムといふて「試驗的動物學」といふ四册ものの立派な書物を著した人で、その次にカンメレルといふ極めて熱心な研究家も居る。この試驗場で行ふた研究の報告は、已に數多くあるが、孰れも頗る興味の多いもので、これから述べることも半はこの研究所の産物である。

[やぶちゃん注:「コールドスプリング、ハーボアの生物進化試驗場」コールド・スプリング・ハーバー研究所(Cold Spring Harbor LaboratoryCSHL)。アメリカ合衆国ニューヨーク州ロングアイランドにある民間非営利財団による研究所。生物学・医学の研究及び教育を目的とする。同ウィキのによれば、『最先端の研究で世界的に知られ、ノーベル賞受賞者も出している。有名な港町コールド・スプリング・ハーバー(サフォーク郡ハンティントン町)の名を冠しているが、所在地はその西隣のナッソー』(Nassau)『郡ローレル・ホロー』(Laurel Hollow)『村である』。一八九〇年に『ブルックリン財団が生物学研究所を、また』、一九〇四年に『ワシントン・カーネギー協会が実験進化研究所をこの地に設立したのに始まる。カーネギー協会の研究所は』一九二一年に『カーネギー研究所遺伝学部門となり、遺伝学の発展に大きく寄与した』一九六二年に『両研究所が合併し』、『コールド・スプリング・ハーバー研究所となった』(本「進化論講話」(新補改版第十三版)は大正一四(一九二五)年九月刊。因みに初版は明治三七(一九〇四)年一月刊)。研究所は二十世紀前半には『優生学研究でも知られた。「優生記録所」が置かれ、優生学者チャールズ・ダベンポート』(Charles Benedict Davenport 一八六六年~一九四四年:科学的人種差別論者として悪名が高い)『とハリー・ラフリン』(Harry Hamilton Laughlin 一八八〇年~一九四三年:強力な差別法であるアメリカの優生学法の原案作成者(同法によって、一九七〇年代前半に廃止されるまで、実に六万五千人が合法的な強制的不妊手術を施された)『がここで「劣悪人物の家系に関する研究」を行った。これはアメリカの移民排斥に理論的根拠を与え、ナチスの思想とも無関係でないといわれる。この研究・施設は』一九三五年に『科学的でないと問題にされ』、『閉鎖に至った』。一九四〇『年代には分子生物学の源流となる研究が行われ』、一九四四『年にはバーバラ・マクリントックがトウモロコシのトランスポゾン』(transposon:細胞内に於いてゲノム上の位置を転移(transposition)することの出来る塩基配列)『を発見し』(一九八三年にノーベル賞受賞)。『またマックス・デルブリュックとサルバドール・ルリア(彼らはファージ・グループと呼ばれる)がここをバクテリオファージ研究の中心とし、さらにDNAが遺伝物質であることを示す実験をアルフレッド・ハーシーとマーサ・チェイスが行った』りしている。

「プシブラム」本書刊行当時、「ウイーン科学アカデミー生物学研究所」(英語:Biological Research Institute of the Academy of Sciences in Vienna)所長であったハンス・プリブラム Hans Leo Przibram 一八七四年~一九四四年)。ウィーン生まれのユダヤ人であったため、ナチス政権下、一九三八年五月一日にウィーン大学を追放されてしまう。その後、妻エリザベスととに翌年の十二月にはアムステルダムへ逃げたが、一九四三年四月二十一日に拘束されてナチス・ドイツがベーメン・メーレン保護領(チェコ)北部のテレージエンシュタット(チェコ名「テレジーン」)に置いていたユダヤ人ゲットー(収容所附設)へと移送され、一九四四年五月二十日過労によって衰弱死した。妻はその翌日、薬物自殺した。「試驗的動物學」(Experimental-Zoologie)は最終的に全七巻(一九〇七年~一九三〇年)。以上は本文サイトでは判らず、ドイツ語及び英語の彼のウィキペディアに拠ることで、辛うじて判明した。

「カンメレル」パウル・カンメラー(Paul Kammerer 一八八〇年~一九二六年)はウィーン生まれの世界的に知られた遺伝学者で、獲得形質の遺伝を主張したラマルク説の支持者であった。サイト「研究倫理(ネカト)」のこちらに彼の事蹟が詳しく載る。一九〇二年、二十一歳の時、ウィーンに「生物学研究所」(ドイツ語:Biologische Versuchsanstalt)が創設され、創設時からのメンバーとなった。一九一四年~一九二三年に「生物学研究所」が「ウィーン科学アカデミー」に吸収合併されたが、教授職を維持した。一九二三年には「生物学研究所」を退職、以後、欧州と北米を講演旅行したが、一九二六年八月七日、『ネイチャー』誌にデータ捏造が暴露され(彼が獲得形質の遺伝の例証として実験的に成功したとするカエルの足に生じたとする瘤(拇指隆起:nuptial pads)が、実際には足に墨(India ink)を注入して人工的に作ったものだという指摘)、それから六週間後の九月二十三日、モスクワ大学主任教授・モスクワ科学アカデミー生物実験室学主任に選出されて任地に赴く途中、オーストリア山中で四十六歳でピストル自殺している。]

 

 凡そ生物は生れたてより死ぬるまで常に外界に圍まれ、外物に接して居ること故、これより直接の影響を受けて、各個體の形狀に一定の變化を生ずることは極めて普通な現象である。例へば、同一の木より生じた種でも、一つを肥えた地に蒔き、一つを瘦せた地に蒔けば、生長してからの形は甚だしく違ふ。また地面に植ゑれば十間[やぶちゃん注:約十八メートル。]以上にも成るべき大木の苗でも、之を小さな植木鉢に植えて置けば、何年過ぎても僅に一尺位により延びぬ。鳩は常に堅い種子を食ふもの故、之を磨り碎くために、胃の壁の筋肉が大に發達して居るが、或る人が數年の間柔かいものばかりで鳩を養つた後に解剖して見ると、胃の筋肉が著しく退化し、壁は甚だ薄くなつて居た。またその反對に、鷗の類は常に柔い魚肉を食ふて居るが、或る人が之に穀物を食はせて數年の間飼つて置いたら、胃の壁が厚くなつた。蛙の蝌蚪[やぶちゃん注:「おたまじやくし(おたまじゃくし)」。]に植物性の食物ばかりを食はせて置くと、動物性の食物を與へたのに比べて、殆ど二倍位も腸が長くなる。同一種の生物でも、その生活狀態の異なるに隨つて、生長後の形狀に著しい相違の生ずることは、これらを見ても直に解るが、若しもこの變異が少しも子孫に遺傳せぬものならば、次の代にはまた先代と全く同一の出發點から蹈み出し、發生中に外界から同樣の影響を受けて、終に親と同樣な形までに生長するだけで、その變異が代々積つて著しくなることは決してない理窟である。之に反して、若し幾分かなりとも、斯かる變異が子に傳はるものならば、次の代には既に出發點から多少その性質が具はつてあること故、これより生ずる個體に對して外界から先代と同じだけの影響が附け加はつて來れば、その結果は尚一層著しい變異となつて、代々少しづゝ一定の方向に進むわけになる。實際孰れであるかは、長い間の爭いであつたが、今日までに知られた事實から推すと、斯かる變異の中で少くも或る種類だけは確に遺傳するやうである。

 

     一 食物による變異

 

 凡そ動植物の身體組織をなせる成分は、常に新陣代謝して暫時も止むことなく、昨日食つた滋養分は、今日は既に筋肉・神經等の一部となり、今日筋肉・神經等を成せる物の一部は、明日は最早分解して老廢物となつて體外に排泄せられてしまふ。我々人間もその通りで、生れたときは僅に八百匁[やぶちゃん注:三千グラム。]程のものが、二十貫[やぶちゃん注:七十五キログラム。]もある大きな人間になるのは、全く新陳代謝に於ける物質出納の不平均から生じた結果である。されば生物が暫時同一の形狀を保つて居る所を見ると、恰も岩石・鑛物等の如き無生物が、常に同一の形狀を保つのと同じやうに思はれるが、その存在する有樣を調べると全く違ふ。岩石・鑛物が昨年も今年も全く同一な形を保つて居るのは、之を成せる分子が、そのまゝに止まつて動かず、外から入つて來る分子も無く、外へ出て行く分子も無く、昨年あつたまゝの分子が、今年も尚その處に止まつて居るからであるが、動植物が昨日見ても今日見ても同じ形を保つて居るのは、全く之とは別で、外界からは絶えず新規に物質が入り來り、體内よりは絶えず物質が出で去つて、たゞ物質の出入の額が略相均しいから、形狀が變じないだけである。その有樣は恰も河の形は昨日も今日も同じでも、流れる水が暫時も止まらぬのと少しも違はぬ。而して生物の體内に入り來り、暫時生物の身體を造る物質は何かといへば、卽ち食物であるから、食物の異同が生物體に直接に著しい影響を及ぼすことは、毫も怪しむべき事でない。

 同一の親から生れ、初めは全く同一の性質を具へて居た二疋の動物でも、一疋には滋養分を澤山に與へ、一疋には粗末な餌を食はせて養つて置けば、終にはその間に著しい相違が生じ、體格の弱・大小、毛の色艷等まで相異なつたものとなることは、常に我々の經驗する所で、富豪の飼犬と飼主のない野犬とは、誰が見ても直に解り、貴族の飼馬と百姓馬とも、一見して明に違ふて居るが、或る勤物は食物次第で毛の色の全く變ずるものがある。例へばウォレースの報告によれば、ブラジルに産する一種の鸚哥[やぶちゃん注:「インコ」。]に鯰[やぶちゃん注:「なまづ(ななず)」。]の脂を食はせると、緣色の羽毛が赤色または黃色に變ずるが、土人はこの事を知つて居るから、隨意に羽色の違つた鳥を造る。また印度には非常に羽毛の美しい一種の鸚鵡があるが、この鳥の羽色を常に美しからしめるには、一定の特殊の食物を與へて置かねばならぬ。その他、鶸[やぶちゃん注:「ひわ」。]の類に麻の種子を食はせれば、羽毛が漸々黑くなり、「カナリヤ」に胡椒の實を與へれば、黃色が益濃くなることは、既に人の知る所である。これ等はたゞ從來の經驗からいひ傳へたことであるが、近頃態々行つた實驗の結果によつても全くその通りで、胡椒の實を食はせれば、鶸・「カナリヤ」に限らず、鷄・鳩の如きものでも、やはり著しく羽毛に變異を生ずる。但し生長し終つた鳥に與へたのでは格別に効能はない。まだ一度も羽毛の拔け變らぬ前の雛に食はせると、以上の如き結果が必ず生ずる。また、リスリンやアニリン染料などを餌に混じて食はせて見たれば、各何時も羽毛の色に多少の影響を及ぼした。

[やぶちゃん注:「ウォレース」複数回既出既注。第二章 進化論の歷史(5) 五 ダーウィン(種の起源)」の本文や私の注、第十二章 分布學上の事實(7) 六 ウォレース線、及び第十五章 ダーウィン以後の進化論(4) 四 ウォレースとヴァイズマン等を参照されたい。但し、以下の鳥の羽毛の人工的変異形成の出典は不詳。

「鶸」既注であるが、再掲しておく。スズメ目スズメ亜目スズメ小目スズメ上科アトリ科ヒワ亜科 Carduelinae に属する鳥の中で一般的には種子食で嘴の太くがっしりした小鳥の総称。英語の「フィンチ」(finch)は、以前は、ヒワ亜科に似た穀食型の嘴をもつ他の科の鳥もひっくるめた総称として用いられたため、現在でもヒワ亜科でない別種の鳥にも英名「フィンチ」の残っている種が多い。ヒワ亜科には約百二十種が含まれ、ユーラシア・アフリカ・南北アメリカに広く分布し、日本でもヒワ亜科カワラヒワ属マヒワ Carduelis spinusなど十六種が棲息する(なお、「ヒワ(鶸)という和名の種は存在しない)。孰れも穀食型の短く太い嘴を持ち、主に樹木や草の種子を摂餌する。一般に雌雄異色で、雄は赤色又は黄色の羽色を有する種が多く、日本の伝統色である鶸色は、先のマヒワの雄の緑黄色に由来した色名である(以上は主に小学館「日本大百科全書」を参照した)。

「リスリン」グルセリン(glycerin:油脂の加水分解によって脂肪酸とともに得られる無色透明で甘みと粘り気のある液体)の発音の訛り。

「アニリン」アニリン(aniline/ドイツ語:Anilin)特異な臭気をもつ無色油状の液体。空気や光に触れると、褐色を呈する。合成染料の原料として重要であるが、有毒。]

 

 昆蟲類に關しては、以上と同じやうな實驗が種々ある。先年アメリカテキサス州から、山繭蝶の一種の蛹をスウィス國に持つて來た所が、翌年それから生じた幼蟲に、本國に於けると少し異なつた樹の葉を餌に與へたので、形狀も色も大に異なつた蝶が之から出來た。素性を知らぬ昆蟲學者は、之を以て全く別種に屬するものと見倣した位であるが、その幼蟲時代の食物は何かといへば、本國に於ては胡桃の一種で、スウィス國に持つて來てからも、やはり胡桃の少し異なつた一種を食はせたばかりで、食物の相違は實に僅少であつた。幼蟲時代の食物の相違によつて同一種の蝶でも、色彩・斑紋等に著しい相違の起る例は、尚この外にも澤山に知られてある。ヨーロッパに産する一種の尺蠖[やぶちゃん注:「しやくとり(しゃくとり)」。]は、種々の菊科植物に附いて、その葉を食ふが、幼蟲の色はその附く植物の種類に隨つて異なり、白い花の咲く菊に附けば白色、赤い花の咲く菊に附けば赤色となる。また毛蟲の一種には、その留まつて居る枝の色と同一な色になるものがある。

[やぶちゃん注:「山繭蝶」「蝶」となっているが、「山繭蛾」、昆虫綱鱗翅(チョウ)目ヤママユガ科 Saturniidae 或いはヤママユ属 Antheraea に属するヤママユガ類の一種であろう。

「尺蠖」尺取虫(しゃくとりむし)のこと。昆虫綱鱗翅(チョウ)目シャクガ(尺蛾)上科シャクガ科 Geometridae に属する蛾類の幼虫を総称する語。詳しくは私の和漢三才圖會卷第五十三 蟲部 蚇蠖(シャクトリムシ)の注を参照されたい。]

 

 植物界に於ては、滋養分の相違が個體の形狀・性質に直接の影響を及ぼすことは更に一層明瞭で、その例は實に數へ盡されぬ程ある。ダーウィンアメリカの「たうもろこし」をヨーロッパに移せば、初め高さ二間[やぶちゃん注:三メートル六十四センチメートル弱。]もあるものが、翌年には一間半[やぶちゃん注:二メートル七十三センチメートル弱。]位となり、その翌年には更に低くなり、果實の方も著しく變化して、三年目にはアメリカ産のとは全く異なつたものになつてしまふことを、その著書の中に掲げたが、滋養分を種々に調合して、玉蜀黍を培養して見ると、誰に見せても確に別種かと思ふ程に相異なつたものが、幾通りも出來る。この他、園藝家や植木屋に就いて、その經驗談を聽けば、培養法によつて植物に甚だしい相違の生ずる例は、幾らでも知ることが出來よう。

[やぶちゃん注:ダーウィンの以上の「著書」は不明。「種の起原」かと思っていたが、どうも見当たらない。識者の御教授を乞う。]

 

 

[    豐年魚

(イ)鹹水産(ロ)淡水産]

[やぶちゃん注:底本の国立国会図書館デジタルコレクションの画像をトリミング、補正して用いた。次の「豐年魚の尾端の變異」も同じ。「鹹水産」は「かんすいさん」で塩分を含んだ塩水産の意。通常なら、「海水産」でよいのだが、ここは主体が陸封された、塩水湖を指すので、かく解説しておいた。]

 

 

[豐年魚の尾端の變異]

 

 風土・氣候等の異同によつて、植物に著しい變異が起るのと同樣に、海産の動物は、水中の鹽分の多少によつて、隨分甚だしい變異の生ずる場合がある。その例として最も著名なのは、シュマンキェウィッチといふロシヤ人の實驗にかゝる豐年魚の變異である。抑豐年魚といふのは夏日水田などに生じ、腹を上に向けて水の表面を澤山に泳ぎ廻る小さな蝦に似た下等の甲殼類であるが、豐年魚といふ名前は、曾て之を東京で賣り步いた金魚屋等が勝手に附けたもので、實は決して魚類ではない。日本には之を産する處が方々にある。さてロシヤには海の一部が海から離れ、陸に圍まれて湖水の如くになつた處が幾らもあるが、流れ込む水または蒸發する水などの割合によつて、鹽分の度は各相異なつて、鹽の甚だ濃い湖もあれば、また鹽の極めて淡い湖もある。豐年魚は元來、淡水の中ばかりに産する動物であるが、かやうな湖の中を搜すと豐年魚に似ながら梢異なつた種類が住んで居る。動物學者は之を普通の豐年魚とは別屬のものとし、その中を更に數種に分けるが、鹽分の度の違ふ湖に産するものは、形狀も必ず多少異なつて居る。そこで、シュマンキェウィッチは斯く鹽度の異なる處に必ず違つた種類の産するのは、或は鹽の多少が直接に身體に影響を及ぼした結果では無からうかとの疑を起し、實驗によつて之を調べて見た。その方法は先づ鹽分の濃い水の中に住む種類を養ひ、飼養器の中一滴づゝ淡水を加へ、極めて徐々と鹽分を薄めたのであるが、鹽分が薄くなるに隨つて身體の形狀が變じ、特に尾端の形が全く變つて、終には常に淡い鹹水の中に住んで居る所のものと同一な形狀を呈するに至つた。而してこの形狀を呈するものは、從來學者が全く別種と見倣して居たものである。それより尚淡水を增し、鹽分を減じて、眞に純粹な淡水にしてしまうたれば、その中に居た動物は淡水中に産する普通の豐年魚と全く同一なものに變じた。斯かる面白い結果を得たので、更にこの試驗を逆の順序に試み、豐年魚の飼つてある水の中に、鹽水を一滴づゝ加へて徐々と鹽水を增して見た所が、前の實驗と丁度反對に、漸々鹹水産の種類を隨意に造ることが出來た。尤も之は同一の個體が斯く變化した譯ではない。形狀がかやうに著しく變化するには數代を要したが、決して淘汰の結果でないことは勿論である。貝類にも鹽分の濃い所で育てれば三寸四寸にもなるが、淡水の混じた所では僅に一寸といふやうなことがあるが、これ等も恐らく鹽分を增すか、減らすかしながら養殖したら、一代每に變異の著しくなることを實驗することが出來るであらう。

[やぶちゃん注:「豐年魚」甲殻亜門鰓脚綱サルソストラカ亜綱 Sarsostraca無甲(ホウネンエビ)目ホウネンエビ科ホウネンエビ属ホウネンエビ Branchinella kugenumaensis。但し、これと以下の解説は本邦産の代表種であって、ここに出るそれは、ホウネンエビ属ではあるが、別種の可能性が高い。以下、ウィキの「ホウネンエビより引く。『日本では初夏の水田で仰向けに泳いでいるのがよく見かけられる』。『体は全体的に細長く、体長は』十五~二十ミリメートル『程度。身体を支えるような歩脚をもたず、分類名が示すように鰓脚と呼ばれる呼吸器を備えた遊泳脚のみをもつ。体色は透明感のある白色だが、緑を帯びた個体、青みを帯びた個体も見られる。頭部には左右に突き出した』一『対の複眼と触角、口器をもつ。第一触角は糸状で頭部の前方へ短く伸びる。第二触角は雌では小さく、雄では繁殖時に雌と連結するための把握器として大きく発達している。雄の頭部の大きさの半分程もあるので、雌雄の区別は一目で分かる』。『頭部に続く体は多数の鰓脚をもつ胸部と、鰓脚のない腹部に分かれる。胸部は』十『節以上あり、各節に』一『対ずつほぼ同じような形状の鰓脚がつく。雌では胸部の最後部に卵の入る保育』囊『があり、腹部に沿って突出する。腹部は細長く、最後に一対の尾叉がある。尾叉は木の葉型で平たく、鮮やかな朱色をしている』。『通常は腹面を上に向けた仰向けの姿勢で、水面近くや中ほどの位置でその姿勢を保ってあまり動かないか、ゆっくりと移動しているのがみられる。常に鰓脚を動かし、餌は鰓脚を動かした水流で、腹面の体軸沿いに植物プランクトンなどの有機物を含む水中の懸濁物を口元に集めて摂食している。 外敵が近づいた時などには瞬間的に体を捻って、跳躍するように水中を移動することがある。その行動は素早く、また体色が周囲に紛れやすいことから、捕獲は意外と難しいが、走光性があるので、夜に照明を当てると比較的』、『容易に捕獲できる』。『水田の土中で休眠していた卵は春、水が張られた後水温が上昇すると一斉に孵化する。最初の幼生はノープリウス』(Nauplius)『と呼ばれる形態で体長』一ミリメートル『たらず、やや赤みを帯びた体色で、三対の付属肢をもつ。その後幼生は脱皮を繰り返し、次第に体節と鰓脚を増やし細長く成長すると同時に、遊泳に用いられた第二触角は小さく目立たなくなって、成体と同じ姿となる』。『繁殖時には、雄は雌の後方から追尾し、把握器を伸ばして雌と連結する。把握器の先端は枝状に分かれた複雑な形状になっており、雌の身体に雄の身体をしっかりと固定することができる。雌を把握した雄は体を曲げて交接し、その後もしばらく連結したままで生活する。 受精卵は保育のうに保持された後水底にばら撒かれ、成体はその後死亡する。卵はすぐに孵化することはなく、土中で卵の状態のまま休眠し冬季の低温に耐える。この卵は乾燥させて貯蔵することも可能であり、このような長期の乾燥に耐える現象をクリプトビオシス』(cryptobiosis)『とよぶ。この現象は、クマムシ』(既出既注)『やネムリユスリカ』(双翅(ハエ)目長角(カ)亜目カ下目ユスリカ上科ユスリカ科ユスリカ亜科属 Polypedilum ネムリユスリカ Polypedilum vanderplanki)『などと同様に二糖類のトレハロース』(trehalose:グルコースが由来の二糖の一種。高い保水力を有する)『を含有することが深く関与している』。『和名のホウネンエビは豊年蝦の意味で、これがよく発生する年は豊年になるとの伝承に基づく。ホウネンウオ、ホウネンムシの名も伝えられる』。『地域によってはタキンギョ(田金魚)という呼び名もあるようである。尾が赤いのを金魚にたとえたことによるらしい』。『属名の「Branchinella」は「鰓脚(さいきゃく)類の」という意味で、このホウネンエビが「鰓(えら)状の脚」をもっていることを示している。なお、中国ではこの学名から「鵠沼枝額蟲」とも呼ばれている』。『水産上の利用はなく、同所的に生息する同じ鰓脚綱のカブトエビ類が水田の除草役とされるのとはちがい、農業に有用な動物として利用されることもないが、かみつくことも』、『稲に害を与えることもない無害な生物である』。『このように人間との関わりのほとんどない小動物であるが、水田に多数発生し』、『その姿が興味を引いたためか、前述のように各地に呼び名が残るなど』、『古くから存在は知られていた。江戸時代には観賞用に取引されたこともあったようだが、寿命が短いので採集して水槽にいれても長くは観賞できない』。

「シュマンキェウィッチ」不詳。識者の御教授を乞う。]

 

 前の「たうもろこし」の例でも今の豐年魚でも、一代每に一步一步變異の度の進んで行くのは、如何に考へても外界から受けた影響がその一代に止まらず、次の代まで傳はり、そこへ更に同じ影響を蒙つて、次第に積り重なる結果と見倣すの外に途はなからう。若し外界から生物體に及ぼす影響が、その一代だけに限り、決して次の代に關係せぬものとすれば、アメリカの「たうもろこし」をドイツヘ移して、第一代目に質が變じて丈が低くなることは宜しいが、第二代目に至つて、何の淘汰もないに係らず、更に一層原種より遠かつたものと成るのは何故であるか、到底説明の仕方があるまいと考へる。

 

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