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2018/06/17

諸國里人談卷之二 皿屋敷

     ○皿屋敷

正保年中、武士の下女、十の皿を一井に落〔おとし〕たる科(とが)によつて、害せられ、其亡魂、夜々(よなよな)、井の端にあらはれ、一より九まで算(かぞへ)、十をいはずして、泣叫(なきさけぶ)と云〔いふ〕事、普(あまね)く世に知る所也。此古井の屋敷は、江戶牛込御門の内にあり。又、雲州松江に件(くだん)の井あり。又、播州にもあり。其趣、皆、同じ事也。いづれか一所は、其〔それ〕、眞(まこと)あるか。三所ともに同じ。皿碎(さらわり)の亡灵〔ばうれい〕、附會の說なり。

[やぶちゃん注:お馴染みのお菊皿屋敷。ヴァリエーションの詳細はウィキの「皿屋敷」を参照されたい。因みに、その出典「42」は私のブログ版「耳囊 卷之五 菊蟲の事」である(私がリンクさせたものではない。私は「ウィキペディア」のライターの一人であるが、「ウィキペディア」では公正性を欠く虞れから、自分の書いたネット記事やページへのリンクは出来ない決まりとなっているのである)

「正保年中」一六四五年から一六四八年まで。徳川家光の治世。

「江戸牛込御門の内」現在のこの附近(グーグル・マップ・データ)。ウィキの「皿屋敷」によれば、『江戸の「皿屋敷」ものとして最も広く知られている』ものは、宝暦八(一七五八)年に講釈士馬場文耕が書いた「皿屋敷弁疑録」を元として形成された怪談芝居「番町皿屋敷」で、『牛込御門内五番町にかつて「吉田屋敷」と呼ばれる屋敷があり、これが赤坂に移転して空き地になった跡に千姫の御殿が造られたという。それも空き地になった後、その一角に火付盗賊改・青山播磨守主膳の屋敷があった。ここに菊という下女が奉公していた』。承応二(一六五三)年(但し、作中設定)『正月二日、菊は主膳が大事にしていた皿十枚のうち』一『枚を割ってしまった。怒った奥方は菊を責めるが、主膳はそれでは手ぬるいと皿一枚の代わりにと菊の中指を切り落とし、手打ちにするといって一室に監禁してしまう。菊は縄付きのまま部屋を抜け出して裏の古井戸に身を投げた。まもなく夜ごとに井戸の底から「一つ……二つ……」と皿を数える女の声が屋敷中に響き渡り、身の毛もよだつ恐ろしさであった。やがて奥方の産んだ子供には右の中指が無かった。やがてこの事件は公儀の耳にも入り、主膳は所領を没収された』が、『その後もなお』、『屋敷内で皿数えの声が続くというので、公儀は小石川伝通院の了誉上人に鎮魂の読経を依頼した。ある夜、上人が読経しているところに皿を数える声が「八つ……九つ……」、そこですかさず上人は「十」と付け加えると、菊の亡霊は「あらうれしや」と言って消え失せたという』。『この時代考証にあたっては、青山主膳という火附盗賊改は存在せず(『定役加役代々記』による』『)、火付盗賊改の役職が創設されたのは寛文二(一六六二)年と『指摘されている』。『その他の時代錯誤としては、向坂甚内が盗賊として処刑されたのは』、慶長一八(一六一三)年で『あり、了誉上人にいたっては』実に二百五十年も前の応永二七(一四二〇)年に『没した人物である』。また、『千姫が姫路城主・本多忠刻と死別した後に移り住んだのは五番町から北東に離れた竹橋御殿であった』とある。また、「番町皿屋敷」より以前に「牛込の皿屋敷」なる怪談群が先行して存在し、これは『皿屋敷伝説の、重要要素である』十『枚の皿のうちの』一『枚を損じて命を落とす部分』が共通するとし、『早い例は』正徳二(一七一二)年の宍戸円喜作の「当世智恵鑑」という『書物に収録され』ており、『要約すると、次のような話である』。『江戸牛込の服部氏の妻は、きわめて妬み深く、夫が在番中に、妾が南京の皿の十枚のうち』、『一枚を取り落として割ってしまったことにつけ、それでは接客用に使い物にならないので、買』い『換えろと要求するが、古い品なので、もとより無理難題であった。更に罪を追及して、その女を幽閉して餓死させようとしたが』、五『日たっても死なない。ついに手ずから絞め殺して、中間に金を渡し』、『骸を棺に入れて運ばせたが、途中で女は蘇生した。女は隠し持った』二百『両があると明かして命乞いするが』、四『人の男たちはいったん』、『金を懐にしたものの、後で事が知れたらまずいと、女を縊りなおして殺し』、『野葬にする。後日、その妻は喉が腫れて塞がり、咀嚼ができずに危険な状態に陥り、その医者のところについに怨霊が出現し、自分に手をかけた男たち』は『既に呪い殺したこと、どう治療しようと』、『服部の妻は死ぬことを言い伝えた』。『三田村鳶魚は、この例「井戸へ陥ったことが足りないだけで、宛然皿屋敷の怪談である」としている』。『また、「牛込の御門内、むかし物語に云』う、『下女あやまって皿を一ツ井戸におとす、その科により殺害せられたり、その念ここの井戸に残りて夜ごとに彼女の声して、一ツより九ツまで、十を』言わずに、『泣けさけぶ、声のみありてかたちなしとなり、よって皿屋敷と呼び伝えたり』」と享保一七(一七三二)年の『「皿屋敷」の項に見当たる。牛込御門台の付近の稲荷神社に皿明神を祀ると、怪奇現象はとだえたと伝わる』とある。

「雲州松江に件(くだん)の井あり」ウィキの「皿屋敷」によれば、『正保の頃、出雲国松江の武士が秘蔵していた十枚皿の一枚を下女が取り落として砕き、怒った武士は下女を井戸に押し込んで殺す。だが「此ノ女死シテ亡魂消へズ」夜毎に一から九まで数え、ワッと泣き叫ぶ。そこで知恵者の僧が、合いの手で「十」と云うと、亡霊はそれ以来』、『消滅した』(元禄二(一六八九)年「本朝故事因縁集」)とある。

「播州にもあり」ウィキの「皿屋敷」によれば、主に「播州皿屋敷実録」に基づくもので、同作は『成立時は明らかではないが』、『江戸後期に書かれた、いわば好事家の「戯作(げさく)」であり』、『脚色部分が多く加わっている』。『姫路城第』九『代城主小寺則職の代』(永正一六(一五一九)年以降。但し、作中設定)、『家臣青山鉄山が主家乗っ取りを企てていたが、これを衣笠元信なる忠臣が察知、自分の妾だったお菊という女性を鉄山の家の女中にし、鉄山の計略を探らせた。そして、元信は、青山が増位山の花見の席で則職を毒殺しようとしていることを突き止め、その花見の席に切り込み、則職を救出、家島に隠れさせ再起を図る』。『乗っ取りに失敗した鉄山は家中に密告者がいたとにらみ、家来の町坪弾四郎に調査するように命令した。程なく』、『弾四郎は密告者がお菊であったことを突き止めた。以前からお菊に惚れていた弾四郎はこれを好機としてお菊を脅し、妾になれと言い寄るが、お菊に拒まれる。その態度を逆恨みした弾四郎は、お菊が管理を委任されていた』、十『枚揃えないと意味のない家宝の毒消しの皿「こもがえの具足皿」のうちの一枚をわざと隠す。そして皿が紛失した責任をお菊に押し付け、ついには責め殺して古井戸に死体を捨てた』。『以来』、『その井戸から夜な夜なお菊が皿を数える声が聞こえたという』。『やがて衣笠元信達(則職の家臣)によって鉄山一味は討たれ、姫路城は無事、則職の元に返った。その後、則職はお菊の事を聞き、その死を哀れみ、十二所神社の中にお菊を「お菊大明神」として祀ったと言い伝えられている。その後』、三百『年程経って城下に奇妙な形をした虫が大量発生し、人々はお菊が虫になって帰ってきたと言っていたといわれる』。なお、『姫路城の本丸下、「上山里」と呼ばれる一角に』は事実、『「お菊井戸」と呼ばれる井戸が現存する』。「お菊虫」が出てきたところで、私の 之五 菊蟲の事及びその続編である菊蟲再談の事をリンクさせておく。

「其趣、皆、同じ事也。いづれか一所は、其眞(まこと)あるか。三所ともに同じ。皿碎(さらわり)の亡灵〔ばうれい〕、附會の說なり」「その趣向の核心部分は、これ、孰れも皆、同一の内容である。孰れか一箇所の怪談話には、真実性があるのだろうか? しかし、三ヶ所とも、どれもこれも展開さえも基本、同じではないか! こんなに似通った変な話が、お目出度くも、三箇所で別々に、別な時代に起こるなんてことは、あり得ない! 皿が割れることを主調とするところの亡霊話とは、全くのコジツケ話に過ぎず、信ずるに足りない! と、ここは、沾涼、珍しく、現実的な批判をして、バッサリ、斬って捨てた感がある。何故かは知らぬが、沾涼は「皿屋敷」怪談総体が嫌いだったように見受けられる。]

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