諸國里人談卷之二 髮切
○髮切(かみきり)
元祿のはじめ、夜中に、徃來(ゆきし)の人の、髮切る事、あり。男女共に、結(ゆひ)たるまゝにて、元結際(もとゆひぎは)より切〔きり〕て、結たる形にて、土に落(おち)てありける。切られたる人、曽て覺へ[やぶちゃん注:ママ。]なく、いつきられたるといふをしらず。此事、國々にありける中に、伊勢の松坂に多し。江戸にても切られたる人あり。予がしれるは、紺屋町(こんやちやう)金物屋の下女、夜(よる)、物買(ものかひ)に行きけるが、髮を切られたる事、いさゝかしらず、宿(やど)に皈(かへ)る。人々、髮のなきよしをいふにおどろき、氣をうしなひたり。その道を求(もとむ)るに、人のいふに違(たが)はず、結たるまゝにて、落てありける。其時分の事也。
[やぶちゃん注:「元祿のはじめ」元禄は一六八八年から一七〇四年まで。
「紺屋町」神田紺屋町であろう。ここ(グーグル・マップ・データ)。現在、南北に分離してあるが、これはウィキの「紺屋町」によれば、『それまで神田北乗物町の南部のみであった神田紺屋町の住民に対し』、享保四(一七一九)年(本書刊行より前であるが、ここは元禄初めとあるから、話柄内時制では分離していなかった南部方向周辺のみの紺屋町である)に『町の防火のために江戸幕府の命令で一部分の住民が神田北乗物町の北部に移されたことに由来する』とある。
「宿(やど)」奉公している主家たる金物屋。
「その道を求(もとむ)るに」その帰ってきた道筋を辿って探し求めてみたところが。
「其時分」冒頭に述べた元禄初め。]