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2018/06/17

諸國里人談卷之二 窟女

 

     ○窟女(いはやのをんな)

勢州壱志郡川俣川、劔(つるぎ)が淵に、方一丈余の岩窟あり。寬文のころ、此窟の中に人、あり。川向(〔かは〕むかひ)の家城村より、これを見て、あやしみ、里人、筏(いかだ)を組(くみ)て、その所に至る。三十(みそじ)ばかりの女、髮をみだし、そらざまにして、髮のさきを、上の岩に漆膠(しつこう)を以〔もつて〕付〔つけ〕たるごとくに釣(つる)して、くるしげもなき躰(てい)にて、中(ちう)にあり。里人、抱きおろさんとするに、髮、はなれず。中(ちう)より髮を切(きつ)ておろし、里につれ行〔ゆき〕、水、そゝぎ、藥などあたへければ、正氣となりぬ。しだいを問ふに、前後をしらず。美濃國龍が鼻村の長(おさ)の妻なるよしを云〔いふ〕。此所は津(つ)の領分なれば、政所(やくしよ)に訴ふ。國主より濃州へ通じられける。迎(むかい)の者、大勢、來り、ぐして歸りぬ。

[やぶちゃん注:「勢州壱志郡川俣川」「壱志郡」は一志(いちし/いし)と読み、伊勢国及び旧三重県にあった郡。しかし、「川俣川」という川は不詳。「川俣」という地名はあるが、ここは旧一志郡内ではない。しかし、後の「川向(〔かは〕むかひ)の家城村」が判った。これは「いえきむら」で、現在の三重県津市白山町南家城を中心にした一帯である。(グーグル・マップ・データ)。現在、ここを貫流する川の名は「雲出川」であるが、一つのロケーションの可能性は雲出川が東へ屈曲する辺りか。東から支流が入って俣になっているからである。この川、ストリートビューで見ると、確かに岩盤河床が広がっている。

「一丈余」三メートル超。

「寬文」一六六一年から一六七三年まで。

「そらざまにして」上を向いているのであるが、これは何と、窟の上の方の岩に、髪の毛の先を漆(うるし)か膠(にかわ)で以って付着させたかようにして、そこから髪の毛だけで身体を吊るして、しかも一向に苦しそうな様子もせず、そのままぶら下がって、空中にいる、のである。なお、吉川弘文館随筆大成版は「漆膠」を『漆膝』と翻刻する。――ジーパンの末期風に――「何んじゃあ? こりゃあ!」

「中(ちう)より」髪の途中部分から。

「美濃國龍が鼻村」不詳。識者の御教授を乞う。]

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