諸國里人談卷之三 阿蘇
○阿蘇
肥後國阿蘇山は、則(すなはち)、阿蘇郡(あそのこほり)なり。社(やしろ)は麓にあり。
神池(みいけ) 每日、猛煙、起聳(おこりそび)え、山谷、鳴動す。○「大明一統志」云(いはく)、『日本国阿蘇山、石火起接ㇾ天。俗異而禱ㇾ之。有二如意寶珠一大如二鷄卵一。色靑夜有ㇾ光。』。
[やぶちゃん注:「大明一統志」の返り点は③に従った。①では「有二如意寶珠一大如二鷄卵一」の「有二如意寶珠一」の一・二点が存在せず、吉川弘文館随筆大成版はそれを受けて「有」を前の「禱ㇾ之有」としているが、これは中国語としておかしいと感じた。中文サイトで「大明一統志」の原文を調べたが、現行の同書にはこの文字列を見出せなかった。しかし、黒木國泰氏の論文「壽安鎭國考―册封体制小論―」(『宮学短大紀要』第六号(平成二五(二〇一三)年度)の中に、「月令廣義」の一条を引かれ(一部の漢字が正字でないのはママ)、
《引用開始》
統志(大明一統志カ)日本國阿蘇山、石火起接天、俗異而禱之、有如意寶珠、大如鶏卵、色青、夜有光、永樂初年、封為壽安鎭國山。
《引用終了》
とあるのを見出せたので、かくした。なお、これはずっと先立つ「舊隋書」(唐の六五六年成立)の「卷八十一」「列傳第四十六」「東夷」「倭國」の条の、
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有阿蘇山。其石無故火起接天者。俗以爲異因行禱祭。有如意寶珠。其色靑大如雞卵。夜則有光。云魚眼精也。新羅百濟皆以俀爲大國。多珎物並敬仰之恆通使往來。
(阿蘇山、有り。其の石(せき)[やぶちゃん注:岩山。]、故(ゆゑ)無くして、火、起こり、天に接する者(こと)あり。俗、以つて異と爲(な)し、因(よ)りて禱祭(たうさい)を行ふ。如意寶珠、有り。其の色、靑く、大いさ、雞卵のごとくして、夜、則ち、光り有り。云はく、「魚(うを)の眼精(ぐわんせい)なり。」と。新羅・百済は、皆、俀(わ)[やぶちゃん注:倭。]を以つて、大國と爲す。珎物(ちんもつ)多く、並びに、之れを敬仰して、恆(つね)に通使し、往來す。)
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の古い記事を孫引きしただけなのではないかと私は疑っている。
「大明一統志」明の英宗の勅撰地理書(但し、先行する景泰帝の命じた一四五六年完成の「寰宇通志」の改訂版)。一四六一年に完成。全九十巻。最終の二巻は「外夷」(朝鮮国・女直・日本国・琉球国他)に当てられているが、説明は沿革・風俗・山川・土産のみで、簡略である。
以下、原典③の訓点に従って「諸國里人談」所収の漢文を書き下す。
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日本国、阿蘇山、石火、起り、天に接(まじ)はる。俗、異(い)にして、之を禱(いの)る。如意寶珠(によいほうじゆ)、有り、大きさ、鷄(とり)の卵(かいご)のごとし。色、靑く、夜(よる)、光り、有り。
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「接(まじ)はる」高く昇って天に「交はる」。「俗、異(い)にして」民はこの噴火を異常な凶兆として捉え、の意であろう。「如意寶珠」はサンスクリット語の「チンターマニ」(「チンター」は「思考」、「マニ」は「珠」の意)の漢音写で、仏教で霊験を表わすとされる宝の珠(たま)で「意のままに願いを叶える霊宝」の意。但し、この宝珠は不詳。阿蘇神社にも現存しない模様である。個人ブログ「吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流」の「阿蘇神界と火山神」で、吉田氏は『如意宝珠については謎ではあるが』、『私は阿蘇の火口の寶池のことだと勝手に理解している。というのも以前飛行機から火口の寶池を見た際にエメラルドグリーン色の丸い眼のようだと思ったことがあるからだ』と述べておられ、共感出来る。それに火口と宝池とで火と水とのペアになる』「かいご」の「かい」は「殻」の意で、小鳥や鶏などの殻のついたままのたまごを指す古語。上代から鎌倉・南北朝期頃までは、「卵」は「たまご」ではなく、「かいご」と呼ばれていた。国語辞典編集者神永曉氏のブログ「日本語、どうでしょう?」の『「たまご」は「卵」か「玉子」か?』によれば、源順の平安中期の辞書「和名類聚抄」には、「卵 陸詞曰、卵【音「嬾」・加比古。】、鳥胎也」とあり、『「嬾」は「ラン」、「加比古」は「かひこ(かいこ)」で』、『「かひ(かい)」は「貝」や「殻」と同語源であろう』とされ、また、近世初期、日本イエズス会が宣教師の日本語修得のために刊行した辞書「日葡(にっぽ)辞書」(慶長八~九年(一六〇二年~一六〇五年)刊)には、『「Tamago (タマゴ)〈訳〉鶏卵。カミ(上)ではCaigo(カイゴ)という」という記載があることから、近世初期までは「かいご」「たまご」が併用されていたことがわかる』『(「カミ」とは近畿方言のこと』)とある。沾涼は伊賀の生まれであるから、彼が「卵」を「かいご」と訓じても、これ、何らおかしくないと私は思う。
「社(やしろ)は麓にあり」阿蘇山の東北麓の熊本県阿蘇市一の宮町宮地にある阿蘇神社。ここ(グーグル・マップ・データ)。
「神池(みいけ)」先の吉田氏の述べられた、阿蘇の火口の宝池のことであろう。]