諸國里人談卷之二 鸚鵡石
○鸚鵡石(あふむせき)
伊勢國度會(わたらへ[やぶちゃん注:ママ。])郡山田より西南五里がほど、一の瀨の鄕中村の里に【宮川ノ水上也。】「鸚鵡石」と云あり。石面(せきめん)、平(たひら)にして石塀(せきへい)のごとし。高さ九間、北面(おもて)にて、南は山に埋(うづ)めり。東西の長〔ながさ〕二十四間、西は高く、東は低し。此石の傍(かたはら)にして、琴(きん)・簫(しやう)・鐘皷(しやうこ)、或(あるは)、謠(うたひ)・小唄等、一時(いちじ)に發するに、前後をわかたず、石に響(ひゞき)て、その聲、少しも混(こんぜ)ず、音律(をんりつ)・絃管(げんくはん)、あきらかにうつる事、却(かへつ)て、こなたの聲よりも至つて鮮(あざやか)なり。唯、石中(せきちう)に神人(しんじん)あつて然(しか)るがごとし。日本無雙の奇石也。むかしは「物言(ものいひ)岩」といひしが、好事の者、これを名付て、今、「鸚鵡石」と云〔いへ〕リ。その謠所(うたひ〔どころ〕)の場は、西の方、石より三十間也。聞(きく)所は、石より十間斗〔ばかり〕脇也。
[やぶちゃん注:「一の瀨の鄕中村の里」現在の三重県度会郡度会町南中村(グーグル・マップ・データ)で、この石、現存する。サイト「伊勢志摩きらり千選」の『南中村「鸚鵡(おおむ)石」(度会町南中村)』によればここ(同ページの地図。グーグル・マップ・データでは「腰掛岩」とあるのが「鸚鵡石」である)、この『南中村地区の南側の山中にある大きな一枚岩』で、高さ三十メートル、幅六十メートル。「度会町史」によれば、亨保一五(一七三〇)年に、『藤堂藩の儒者、伊藤東涯が詩を作って道案内の村人に与えたが、その詩を、後に霊元上皇』(一六八七年~一六九六年)『が画工宗仙に屏風に画かせ、東涯がそれに序文を書いたという』。『さらに竹田出雲の浄瑠璃に語られたため、鸚鵡石は広く世間に知られるようになった』とあり、さらに、『この石に呼びかけるときは、石の右手約』三十『メートルの所にある小さな岩がありますので、その上に立ち、そこから呼びかけるのが最もよくこだまします』(本文は「三十間」で五十四メートル五十四センチ。不審)。『江戸末期の斉藤拙堂(津藩有造館の督学)によると』、『「石はかすかな声で歌いかけると、一言一笑でも』、『必ず答える。ただ』、『大声で怒鳴ってメロディーがないのは』、『答えようとしない。緩やかに抑揚をつけることだ」(度会町史)とあります』とあるので、この石は非常に繊細な音楽家であることが判る。非常に緻密な岩塊(注の最後に示したウィキの引用参照)で、石全体の形も関わって、前面の平滑面に当った音が反射し易いのであろう。
「宮川」ここを流れる一之瀬川は北方で、伊勢神宮の北西へと流れ下る宮川に合流する。
「二十四間」四十三メートル六十三センチ。幅だとすると、風化ではなく、損壊したものか。有意な損壊が事実なら、最も反響する位置が極端に短くなったのも腑に落ちる気もしないでもない。
「簫(しやう)」竹管を用いた縦笛(たてぶえ)。
「鐘皷(しやうこ)]「鉦皷(しやうこ)」の誤りであろう。これは既出既注であるが、再掲すると、「しょうご」とも読んで、本来は、雅楽に用いる打楽器の一つを指す。青銅又は黄銅製の皿形のもので、釣り枠につるして凹面を二本の桴(ばち)で打つもの。大(おお)鉦鼓・釣(つり)鉦鼓・荷(にない)鉦鼓の三タイプがあるが、通常は釣鉦鼓を指す。中型の銅鑼(どら)のような形態を考えればよい。また、別に仏家で勤行・法会の際に敲く円形で小型の皿状をした青銅製の鉦(かね)も指し(雅楽のそれのように吊るす中型のものも仏具にはあるが)、ここは後者であろう。
「一時(いちじ)に」ちょっと。
「發するに」「に」は逆接の接続助詞であろう。楽器や唄をほんの少しだけ、小さな音で奏でたり、歌ったりしただけなのに。
「前後をわかたず」間髪を入れず。
「少しも混(こんぜ)ず」そこで実際に鳴らした楽器の音や人の声と、調子が外れたり、濁ったりすることが少しもなく、の謂いであろう。実際の音と混じり合わない、というのでは、意味不明だからである。「音律(をんりつ)・絃管(げんくはん)、あきらかにうつる事」と続くのを見ても、そういう意味である。
「こなたの聲よりも至つて鮮(あざやか)なり」やはり、これは反響を起している岩自体がよほど緻密な組成でないと起こらない現象である。
「十間」十八メートル十八センチ。
最後に、ウィキには「鸚鵡石」があるのでそれを引いておく。『鸚鵡石(おうむいし)は、その石にむかって声や音を発すると、オウムのようにその声や音のまねをするとされる石である。その原理は、山彦に似る』。『日本の各地に鸚鵡石やその類と伝えられる石があるが、有名なのは三重県志摩市磯部町恵利原にある鸚鵡岩(おうむいわ)』『で、霊元天皇の叡覧に供したという』。以下、全国にある鸚鵡石の例として、福島県須賀川市大栗の「鸚鵡石」・愛知県田原市伊川津町の「鸚鵡石」を挙げた後に、本三重県度会郡度会町南中村の「鸚鵡石」が挙げられてある。次いで、三重県志摩市磯部町恵利原の「鸚鵡岩」と続き、最後の「鸚鵡岩」について解説がある。『伊勢志摩国立公園に属』し、幅百二十七メートル、高さ三十一メートルの『一枚岩で、「語り場」で声を発したり、備え付けの拍子木を打つと、約』五十メートル『離れた「聞き場」にいる人には』、『あたかも岩から音が発されているように聞こえる』。『地質学的には秩父層群のチャートでできている』とある。チャート(chert)は「角岩(かくがん)」とも称する堆積岩の一種で、主成分は二酸化ケイ素(SiO2:石英)で、この成分を持つ放散虫・海綿動物などの動物の殻や骨片(微化石)が海底に堆積して出来た岩石(無生物起源のものがあるという説もある)。断面をルーペで見ると、放散虫の殻が点状に見えるものもある。非常に硬い岩石で、層状を成すことが多い(ここはウィキの「チャート(岩石)」に拠った)。しかし、この『霊元天皇の叡覧に供した』という部分は、本「鸚鵡石」の記載と同じであるから、この志摩の「鸚鵡石」と、この「中村の里」の「鸚鵡石」は、混同されて伝聞していた可能性が高いと思われる。大きさや位置距離が現状と有意に異なるのも、その錯雑に拠る疑いが濃厚な気がするのである。]