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2018/06/14

諸國里人談卷之二 月糞

 

     ○月糞(つきのふん)

美濃國御嶽の麓に、月吉(つきよし)村・日吉村といふあり。此所、秋に至つて、常每(よごと)に降(ふり)ものあり。長〔ながさ〕四寸ばかり、螺貝(ほらがひ)のごとく、屈曲にして、色、薄白き石なり。これを「月の糞」といふ。

[やぶちゃん注:「月吉(つきよし)村・日吉村」御嶽山からかなり離れるが、岐阜県瑞浪市に日吉町(五十三キロ南西のここ(グーグル・マップ・データ))が、そこに南西に接して月吉町があるから、ここであろう。一見、「麓」と言うにはちょっと離れ過ぎてるように感じるが、御嶽山からこの辺りまではなだらかに下っており、地図上では、広義の麓と称してもおかしくない気はした。

「夜每(よごと)」は「夜每」で「よごと」。これが当然のように思われるが、で表記した。これは後の私の考証を参照されたい。

「四寸」十二センチメートル。

「螺貝(ほらがひ)のごとく、屈曲にして」ここで「月糞」の私の考証に入る。

 これは所謂、カワニナのような殼頂が非常に高い尖塔状の巻貝、或いは、そのような形状の対象物であることを指すと考える。何故、「糞」なのか? それは当然、人の糞よろしく、蜷局(とぐろ)を巻いているからに決まってる。それがウンコ色ではなくて、白く時に輝いて見えるから、「日の糞」かも知れぬ。或いは、この「日吉」「月吉」という地名との如何にもな一致は、何か別にこの地に、日月信仰の伝承が隠されている可能性もある(こう考えた時はただの仮説であったが、後に引用するように、事実、これはあった)。しかし肝心なのは「薄白き石」であることである。

 例えば、有意な尖塔性を示すキセルガイ系の現生の陸産有肺類(腹足綱有肺目キセルガイ科 Clausliidae。本邦にはアジアギセル亜科 Phaedusinae に属する二百種ほどが関東(種によっては東北)以西以南に棲息するから、分布上は問題ない)であったとすれば、それが生貝でなく、死貝の殻であったとしても「石」とは言わないと思うからである。私の家の周囲にはかなり小型の、見かける時(これは色のせいもある)には白いことが多いキセルガイが多数棲息しているが、それは無論、落ち葉の下に生貝を確認することもあるから(カタツムリのような有意な運動行動は私はあまり見たことはない)、当時の人がキセルガイ類のことを日常的に見ており、それらが蝸牛類の仲間、或いは川螺の陸に住む奴ぐらいの認識はしていたはずであり、それが白っぽくなった(キセルガイ類は淡褐色から紫褐色をしたものが多いが、黄白色の個体もおり、老成個体では磨耗して薄く、しかも白色になる。私の家の周囲の種は恐らくは殻高さが二センチメートルほどであり、有意に殻が白い、腹足綱有肺亜綱柄眼(マイマイ)目キセルガイ超科キセルガイ科 Zaptychopsis 属ヒカリギセル Zaptychopsis buschi か、その近縁種ではないかと思われるが(和名は別に発光するからではなく、殻が白く、それが光って見えるというだけのことである)、その死貝の殻であっても、それを私が江戸時代の民衆の一人であったとしても、「石」とは決して表現しないと思う。従って、現生有肺類説は退ける

 そうなると、気淡水産或いは海産のやはり有意な尖がり帽子状を呈して螺の巻きの強いニナ系類の化石の可能性が高くなるこの月吉・日吉附近は内陸であるが、純海産であっても、化石だから、何ら問題ない

 而して、これは、かの石狂木内石亭(享保九(一七二五)年~文化五(一八〇八)年)の「雲根志」(安永二(一七七三)年(前編)・安永八(一七七九)年(後編)・享和元(一八〇一)年(三編)刊)にあっていいはずだと知らべてみると、前編の巻之四の「十七」項目に「月珠」として出ていた。しかも本書(寛保三(一七四三)年刊)に基づくと思しい三十年の探索行らしい(引用は昭和五四(一九七九)年現代思潮社刊「復刻 日本古典全集 雲根志」(原本昭和五(一九三〇)年日本古典全集刊行会刊)を用いたが、気読点記号をオリジナルに附した)。

   *

國人(くにびと)、「日の糞」・「月の糞」又は「日の御降(おさが)り」などいふ。明和四年[やぶちゃん注:一七六七年。]亥(ゐの)春二月、求(もとめ)て、其産所をたづね行(ゆく)に、木曾街道御嶽(おたけ)の宿(しゆく)より、南の山道へ三里余入(いり)て、月吉村なる山中、土石の中に、此物、澤山なり。日吉村に赤色(あかいろ)の物あり、といへども、今はなし。誤説なるべし。舊説「里人談」にのせたれば、これを略せり。

   *

これは頗る略述で、どのような形状かも書いていない、石亭にしては如何にも杜撰な記載なのであるが、それよりもここで注目すべきは、その別名の中にある「日の御降(おさが)り」という別名である。「御降(おさが)り」とは「神仏に供えた後に下げた飲食物」を指し、古来より、一般にそれらは供えた人々が頂戴する有り難い下賜された物(食物なら食うことで「神人共食」をシンボライズする)なのである。そこで私は本条を読んだ最初から咽喉に刺さった魚の骨のように気になっていたことが、眼から鱗となったのである。則ち、本文の「秋に至つて、常每(よごと)に降(ふり)ものあり」の「降」である。これは確かに「ふり」とルビが振られている。しかも「秋」になると、「每」日(「常每」を「昼夜を問わず」の意で採るのだ。「常(よ)」は「世(よ)」の意で採れば問題ない。或いは「常(よ)」はある状態が「長く」続くなのだから、さらに問題ない、それが「降」るのだという。しかし、それをそのままに、この「月糞(つきのふん)」がジャカスカ降ってくると読んだのでは、如何にも奇天烈だ。眠れんぞ?

――十二センチもある、尖った貝殻が毎晩、空からバラバラ降ってくるんじゃ、たまったもんじゃないぞ!

――いや?! 待て!

――「秋」になって昼夜を問わず「降」ってくるものはないか?

――あるぞ! 秋の長雨だ! 秋の長雨なら「常每(よごと)」降るぞ! そうして、秋の長雨は地に沁み込み、山中の崖の泥土を溶ろかす。その「土石の中に、此物、澤山なり」だ! 埋もれていた巻貝の化石が出現するのだ!

 ここまで自力でやって来た私は、ある確信を得た気がした。そこで、やおら、ネット検索を「月糞 月吉 日吉」のフレーズで掛けてみた。あるある! 私の仮説をしっかり補強して呉れる記載が!

 個人サイト「鉱物たちの庭 "The Courtyard of our Minerals"」の「760.月のお下がり/蛋白石 Opal (日本産)」である。そこには、岐阜県瑞浪市土岐町字桜堂にある東濃地方屈指の古刹、通称、「桜堂薬師(さくらどうやくし)」、臨済宗瑞櫻山法妙寺に纏わる伝承が記載されてあるのだが、ここはまさに土岐川左岸、日吉・月吉の対岸直近なのである(ここ(グーグル・マップ・データ))。引用が長くなると、問題なので、頭の『日吉・月吉という二人の兄弟』の奇譚はリンク先を読んで戴きたい。下線は私が引いた(アラビア数字を漢数字に代えさせて貰った)。

   《引用開始》

このあたりは日月に縁りの土地とされる。西行作と伝わる古歌に、「夜昼のさかひはここに 有明の 月吉日吉 里をならべて」がある。旅の法師は二つの里の境に立ち、暁闇から払暁へ移ろう時の境に重ねて詠んだという。また月吉に「月の宮」という祠があって、ここに「榊葉に かけしかがみの 面影と 神もみまさん 月の休む間」と詠んだ。里には「月の手鏡」と称える池があって、風のない夜、ほとりに立つ大槇に月が下りて、静かな水面に映る自分の姿に見惚れたという伝承にちなんだとされる。大木の梢に掛かった月が、山里に抱かれた鏡のような池に映るさまを、「月の宿り」とみて親しんだ古人の風雅な心が偲ばれる。(一方、日吉には「天津日の宮神社」がある。)

あるいはこんな話もある。天地(あめつち)がまだ定まらない頃、日ごと東から西へ動き続けていた日神は、日吉の里に止まって、しばしの憩いをとってから旅を続けるのが習いだった。また月神は隣の里の月吉に憩いをとってやはり日ごと旅を続けた。彼らは折々大用を足してから出かけたもので、里の土には彼らの落としたものがたくさん埋まっている。やがて天地が分かれて定まると、日神も月神も高い天の上を通るようになり、里で休むことはなくなったが、ときどき丈高い大木を見つけて降りてくる。置き土産はやがて美しい石になって、今も見つけることが出来る。月吉の里人は月神の落としものを「月のおさがり」と、日吉の里人は日神の落としものを「日のおさがり」と呼んだ。これらは神の気配の宿った石なのである。「月のおさがり」は霊験あらたかな安産のお守りだそうだ。

画像はその「月のおさがり」。[やぶちゃん注:リンク先に画像有り。]

この種の石は昔からよく知られていたらしく、江戸中期の俗謡集「山家鳥虫歌」[やぶちゃん注:「さんかちょうちゅうか(歴史的仮名遣:さんかてうちゆうか)」は全二巻。天中原長常南山(中野得信)編(作者の伝未詳。読み方も不明)。明和九(一七七二)年刊。全国六十八ヶ国の民謡約四百首を集め、国別に纏めた歌謡集。]に、長さ一、二寸ばかりの、薄白い、法螺貝の如き月糞なる石が月吉に出ることが記されている。益富寿之助[やぶちゃん注:ますとみ かずのすけ:明治三四(一九〇一)年~平成五(一九九三)年:薬学者・鉱物学者・薬学博士(京都大学)。]は、明和四年(一七六七)二月に石人木内石亭が月吉を訪れ、この石が土地の人から「月の糞」または「月の御下がり」と呼ばれていると雲根誌に書いたと指摘し、「これは月の兎のもちつきという俗説に付会した至妙の諧謔であろう」と述べている。氏は何か月兎に因んだ言い伝えをも承知していたのかもしれない。

氏によるとこの石は月珠(つきのたま)とも呼ばれる玉髄化した巻貝の内型化石であり、巻貝は学名をビカリヤ・カローサという、殻にトゲのある新生代中新世の示準化石である。二枚貝と違って巻貝は泥が入り込みにくいので、内部に蛋白石(オパール)やめのう(玉髄)が出来やすいのだそうだ。[やぶちゃん注:中略。ここにはある図鑑に「砂岩の中に半透明の玲瓏とした石の貝が入っている神秘さゆえ、土地の人はそれを『月のおさがり』と名づけた」という引用がある。]

「月のおさがり」と「日のおさがり」の違いは、本来どちらの里で採れるかだったと思われるが、今日では巻貝の珪化した白い内型を前者、褐色の方解石で出来た内型を後者として区別するそうである。画像の標本は殻が溶失して内型のみが凝灰岩質の母岩に埋まっているが、「トゲのある」殻の化石を剥くと、中に「おさがり」が見出されることもあるという。[やぶちゃん注:中略。ここには「おさがり」の語の考証があり、私が推理したのと同じ考察をサイト主はなさっておられる。]

この石を「おさがり」と称する心には、里(地方)を訪れた神が残していったモノを有難く賜るニュアンスが含まれていると考えられる。また月から降った水(雫)が凝ったモノとして降雨との連想もあるかもしれない。

   《引用終了》

 ここに出る「山家鳥虫歌」は所持しているはずなのだが、見当たらない。しかし、幸いなおことに、MineralhunterサイトMineralhunters「山家鳥虫歌」にみる石と鉱物に詳述されてあるのを発見した。そこに同書の「美濃」の中に「月糞」の記載がある由の紹介があったので、国立国会図書館デジタルコレクションの藤井乙男他校訂「近代歌謠集」(大正一二(一九二三)年有朋堂書店刊)の画像で同書を見てみた。からである。句読点・記号をオリジナルに打って翻刻する。

   *

美濃國、心やはらかにしてよき風なり。此の國、月吉村といふ所に長さ、一、二寸ばかりある、薄白き寶貝(ほらかひ)の如き、「月糞」といふ石あり。同所、村田の邊に「星糞」と云ふものあり。上天の星は末代かはらず、「流星」は、地中より出づる陽氣にて空へあがり、「冷際」と云ふ大寒の所あるにあたり、すれて光を發し、落つるものを「流星」と名づけいふなり。土中の陽なるゆゑ、土氣を含み、のぼる。大なる「流星」は地まで、火光、とゞく。ともし火のしんあるが如く、陽は發し、土氣はかたまりて、黑き燒石の如くもの[やぶちゃん注:底本頭注に『如きものの誤りなるべし』とある。]、地へ落つる。これを「星糞」といふなれば、岩村に限りてあるとは、いぶかし。

   *

陰陽五行説による解説や考察は半可通で、「同所村田」とか「岩村」とかも誤字・錯字が疑われるが、ともかくも確かに「月吉村」の「月糞」の記載であることで、ここは満足しよう(しかも、実は本「諸國里人談卷之二」の次の条の「星糞」も出てきた。「星糞」はまた、Mineralhunter氏の同ページを用いて解明出来ることが判った。それはそちらに回す)Mineralhunter氏も、この「月糞」について、石亭の探索の事実を挙げ、「月糞」を『玉髄化した巻貝(ビカリヤ・カローサ)の化石』としておられる。

 さてもそこで、いよいよこの「月の御降り」=「ビカリヤ・カローサ」であるが、これは、

腹足綱直腹足亜綱新生腹足上目吸腔目 Cerithiimorpha 亜目キバウミニナ科 Potamididae に属するビカリア属ビカリア・カローサ Vicarya callosa japonica

である。ウィキの「ビカリア」によれば、ビカリア属は『新生代第三紀』(約六千四百三十万年前から二百六十万年前)『に繁栄したが』、『現在は絶滅しており、各地で化石として産出する』。『内部がケイ酸で置換されたものを「月のおさがり」という』(太字下線は私)。殻長十センチメートル『ほどの円錐形の巻貝で』、キバウミニナ科Potamididaeの現生種であるキバウミニナ属キバウミニナTerebralia palustris・キバウミニナ科 Telescopium 属センニンガイTelescopium telescopium)・キバウミニナ科 Cerithidea 属フトヘナタリ Cerithidea moerchii)『などに似ている。殻の表面には太い螺肋や角状突起がある』。『新生代第三紀の始新世』(約五千六百万年前から約三千三百九十万年前)『から中新世』(約二千三百万年前から約五百万年前)『にかけての地層から産出し、示準化石として重要である』。『世界中の熱帯』から『亜熱帯に分布し、マングローブなどの汽水域に分布していた。日本も当時は熱帯』或いは『亜熱帯気候だったと考えられており、各地で化石が発見されている』とある。

 久し振りに、眼から鱗がすっきり落ちるほどに、爽快な考察とその確証が出来た。最後に改めて、「鉱物たちの庭 "The Courtyard of our Minerals"のサイト主の方と、採集サイトMineralhuntersMineralhunter氏に心から謝意を表して終りとする。]

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