和漢三才圖會卷第四十二目録
原禽類
雞(にはとり)【ゆふ付とり】
矮雞(ちやぼ)
野鷄(きじ)
白雉(しらきし)
山雞(やまとり)
錦雞(きんけい)
吐綬雞(としゆけい)
鶡雞(かつけい)
白鷴(はつかん)
鷓鴣(しやこ)
英雞(えいけい)
竹雞(ちくけい)
鶉(うつら)
鷃(かやくき)
鷚(ひばり)
白頭翁(せぐろせきれい)
鴿(いへはと)
雀(すゝめ) 【饒奈雀(ニユウナイスヽメ)】
紅雀(へにすゝめ)
突厥雀(たとり)
蒿雀(あをじ)
野鵐(のじこ)
巧婦鳥(みそさゞい)【たくみとり・さゝき】
燕(つばくら) 【つはめ】
土燕(つちつはめ)
伏翼(かうもり)
夜明砂(やめいしや)
䴎鼠(むさゝひ) 【もみ・のふすま】
鶡鴠(かつたん)
五靈脂(ごれいし)
𪇆𪄻(さやつきとり)
和漢三才圖會卷第四十二
攝陽 城醫法橋寺島良安而順編
原禽類
にはとり 鳩七咜【梵書】
燭夜
雞【鷄同】
【和名加介
又云久゙太加介
又云木綿附鳥】
【俗云庭鳥】
唐音キイ
本綱鷄者𥡳也能𥡳時也其大者曰蜀小者曰荊其雛曰
𪇗【比與子】在卦屬☴巽在星應昴其類甚多大小形色亦異
其鳴也知時刻其棲也知陰晴無外腎而虧小腸
凡人家無故群鷄夜鳴者謂之荒鷄主不祥若黄昏獨啼
者主有天恩謂之盗啼老鷄能人言者牝鷄雄鳴者雄鷄
生卵者竝殺之卽已俚人畜鷄無雄卽以雞卵告竈而伏
出之南人以鷄卵畫黑煮熟驗其黃以卜凶吉雄鷄毛燒
着酒中飮之所求必得古人言鷄能辟邪則鷄亦靈禽也
鷄雖屬木各以色配之故黃雌雞者屬土坤象溫補脾胃
也烏骨鷄者受水木之氣故肝腎血分之病及虛熱者宜
之但觀鷄舌黑者則肉骨俱烏也白雄鷄者得庚金太白
之象故辟邪惡者宜之其他亦准之
古者正旦磔鷄頭【白雄雞良】祭門戸【東門】辟邪鬼葢鷄乃陽之
精雄者陽之体頭者陽之會東門者陽之方以純陽勝純
陰之義也
少兒五歳以下食雞生蚘蟲 雞肉同糯米食生蚘蟲
鷄肉不可合葫蒜芥李食之 雞肉同生葱食成蟲痔
鷄肉同鯉魚食成癰癤
都にてなれにしものを庭鳥の旅寢の空は戀しかりけり
万葉我がやとのきつにはめなてくたかけのまたきに鳴てせなをやりつる
古今たかみそき夕つけ鳥そ唐衣たつたの山に降りはへてなく
△按鷄家家畜之馴於庭因稱庭鳥又稱家鷄以別野鷄
其種類甚多尋常雞俗呼名小國能鳴告時而丑時始
鳴者稱一番鳥寅時鳴者稱二番鳥人賞之丑以前鳴
者爲不祥俗謂之宵鳴所謂荒鷄盗鷄之類矣呼鷄重
言之聲曰喌【音祝】俗云止止止
蜀雞【俗云唐丸】 形大而尾短其中有冠如大鋸齒者呼曰大
鋸初自中華來爲闘雞最強
暹羅雞【之夜無】 形大於蜀雞而尾殊微少大抵高二尺余
肩張脛大距尖而長身毛多兀而冠小性勁剛能闘雖
倒不欲逃是初自暹羅來焉
南京雞 初來於中華南京形似和雞而純白有尨毛脚
蒼黑冠亦黑色也其冠赤者名地南京
矮雞 形小而脚甚矮【詳于後】
本綱所謂朝鮮長尾鷄【尾長三四尺】南越長鳴鷄【晝夜鳴叫】南海
石雞【潮至卽鳴】蜀中鶤鷄楚中獊鷄【竝高三四尺】此等本朝未曾有
雞卵【中有黃肉白汁白者性寒黃者性溫】 筑前豊前多出之而不及於畿
内之卵味【畏山椒如藏之同噐則卵腐爛】煑之則白汁包黄肉爲塊譬
之天地兩象殻乃象總廓無星天【如初投熱湯煑之則殼肉不可離】
凡雞多淫生數子毎日生一卵人潜取之唯遺一卵則
逐日生卵數不定始終不取則十二而止矣母雞伏卵
於翅下二十日許而稍溫暖中子欲出吮聲曰啐母雞
亦啄孚其雛不待哺自啄粟糏謂之※【※有側則不交※取避則生卵】
[やぶちゃん注:「※」=「𣫠」-「殳」+「鳥」(一字の中の構成要素に「鳥」が二つある)。]
凡經百八十日始鳴告時未亮亮如人呵坤又可二十
日聲大定能爲各曷課之聲其鳴也雌先啄叩雄翅令
知其時則雄發聲蓋此陰陽相待之義乎
韓詩外傳曰雞有五德頭戴冠【文也】足傅距【武也】敵在前敢
闘【勇也】見食相呼【仁也】守夜不失時【信也】葛洪云凡古井及五
月井中有毒不可輙入卽殺人宜先以雞毛試之毛直
下者無毒回旋者有毒也感應志云五酉日以白雞左
翅燒灰揚之風立至以黑犬皮毛燒灰揚之風立止也
相傳如有人溺于池川未尋獲屍骸則乘鷄於板筏泛
水上鷄能知所在而鳴於是探獲其骸焉
*
「和漢三才圖會」卷第四十二
攝陽 城醫法橋寺島良安而順編
原禽類
にはとり 鳩七咜〔(きゆうしちた)〕【梵書。】
燭夜〔(しよくや)〕
雞【「鷄」も同じ。】
【和名、「加介〔(かけ)〕、
又、「久゙太加介〔(くだかけ)〕とも
云ふ。又、「木綿附(ゆふづけ)鳥」
と云ふ。】
【俗に「庭鳥」と云ふ。】
唐音キイ
「本綱」、鷄は「𥡳」なり。能く時を𥡳(かんが)ふなり。其の大なる者、「蜀」と曰ひ、小なる者、「荊〔(けい)〕」と曰ふ。其の雛を「𪇗(ひよこ)」と曰ふ【「比與子」。】。卦(け)に在りては、「☴巽〔(そん)〕」に屬し、星に在りては「昴(すばる)」應ず。其の類、甚だ多し。大小・形・色も亦、異なり。其の鳴や、時刻を知り、其の棲(す)むや、陰晴を知る。外腎、無くして小腸を虧(か)く。
凡そ、人家、故無くして、群鷄、夜(よひ)に鳴く者は、之れを「荒鷄〔くわうけい)〕」と謂ひ、不祥を主〔(つかさ)〕どる。若〔(も)〕し、黄昏(ゆふぐれ)に獨り啼く者は、天恩有ることを主どる。之れを「盗啼〔(とうてい)〕」と謂ふ。老鷄、人言〔(じんげん)〕能くする者、牝鷄(めどり)の雄鳴(を〔なき〕)する者、雄鷄(〔を〕どり)の卵(たまご)を生〔(しやう)〕ずる者、竝びに之れを殺すときは、卽ち、已〔(や)〕む。俚人、鷄を畜〔(か)〕ふて、雄、無きとき、卽ち、雞-卵(たまご)を以つて、竈〔(かまど)〕に告げて、伏して、之れを出だす。南人、鷄卵を以つて黑を畫(えが)き、煮熟〔(しやじゆく)〕して其の黃を驗(こゝろ)み、以つて凶吉を卜〔(うらな)〕ふ。雄鷄の毛を燒きて、酒中に着〔(つ)〕けて之れを飮めば、求むる所、必ず、得〔(う)〕。古人の言〔(いは)〕く、「鷄、能く邪を辟〔(さ)〕く」といふときは、則ち、鷄も亦、靈禽なり。鷄、「木」に屬すと雖も、各〔おのおの)〕色を以つて之に配す。故に黃雌雞(あぶらのめどり)は「土」に屬す。坤〔(こん)〕の象〔(かた)〕ち、脾胃を溫補するなり。烏骨鷄〔(うこつけい)〕は「水」・「木」の氣を受くる故に、肝腎・血分〔(けつぶん)〕の病ひ及び虛熱の者、之れに宜〔(よ)〕し。但し、鷄の舌、黑き者を觀る〔は〕、則ち、肉・骨、俱〔(とも)〕に烏(くろ)し。白〔き〕雄鷄は、庚・金・太白の象〔(しるし)〕を得。故に邪惡を辟〔(さ)〕くるは、之れに宜〔(よ)〕し。其の他、亦、之れに准〔(したが)〕ふ。
古(いにし)へには、正旦に鷄の頭〔(かしら)〕を磔(はりつ)け【白〔き〕雄雞、良し。】、門戸に祭り【東門。】邪鬼を辟く。葢し、鷄、乃〔(すなは)ち〕、陽の精、雄は陽の体〔(てい)〕、頭は陽の會〔(くわい)〕、東門は陽の方〔(かた)〕。純陽を以つて純陰に勝つの義なり。
少兒、五歳以下にして雞を食へば、蚘蟲〔(くわいちゆう)〕生ず。
雞肉、糯米〔(もちごめ)〕と同じく食へば、蚘蟲、生ず。
鷄肉、葫蒜〔(にんいく)〕・芥〔(からし)〕・李〔(すもも)〕に合せて之れを食ふべからず。
雞肉、生葱〔(なまねぎ)〕と同じく食へば、蟲痔と成る。
鷄肉、鯉魚〔(こい)〕と同じく食へば、癰癤〔(ようせつ)〕と成る。
都にてなれにしものを庭鳥の旅寢の空は戀しかりけり
「万葉」
我がやどのきつにはめなでくだかけのまだきに鳴〔(なき)〕てせなをやりつる
「古今」
たがみそぎ夕つげ鳥ぞ唐衣たつたの山に降りはへてなく
△按ずるに、鷄、家家、之れを畜ひて庭に馴〔(な)〕る。因りて「庭鳥」と稱す。又、「家鷄(かけ)」と稱す。以つて「野鷄〔(やけい/きじ)〕」に別〔(わか)〕つ。其の種類、甚だ多し。尋常(よのつね)の雞、俗に呼びて「小國〔(しやうこく)〕」と名づく。能く鳴きて、時を告げて、丑の時より始めて鳴く者を「一番鳥」と稱す。寅の時、鳴く者を「二番鳥」と稱し、人、之れを賞す。丑より以前に鳴く者を不祥と爲す。俗に之れを「宵鳴〔(よひなき)〕」と謂ひ、所謂、「荒鷄」・「盗鷄」の類ひなり。鷄を呼ぶ重言の聲を「喌(とゝ)」【音、「祝」。】と曰ひ、俗に「止止止(と〔とと〕)」と云ふ。
蜀雞(とうまる)【俗に「唐丸」と云ふ。】 形、大にして、尾、短し。其の中、冠(さか)、大鋸(だいぎり)の齒(は)の者ごとくなる者、有り。呼んで、「大鋸〔(だいぎり)〕」と曰ふ。初め、中華より來りて闘雞(とりあわせ[やぶちゃん注:ママ。])を爲す。最も強し。
暹羅雞(しやむどり)【「之夜無」。】 形、蜀雞〔(とうまる)〕より大にして、尾、殊に微少なり。大抵、高さ二尺余。肩、張り、脛〔(はぎ)〕、大(ふと)く、距(けづめ)尖りて長く、身の毛、多くは兀(はげ)て、冠(さか)小さし。性、勁剛にして、能く闘(たゝか)ふ。倒〔(たふる)〕と雖も、逃げんと欲せず。是れ、初め、暹羅より來れり。
南京雞(なんきんどり) 初め、中華の南京より來たる。形、和雞(しやうこく)に似て純白。尨毛(むくげ)有り。脚、蒼黑、冠も亦、黑色なり。其の冠〔(さか)〕、赤き者を「地南京」と名づく。
矮雞(ちやぼ) 形、小にして、脚、甚だ矮(ひく)し【後に詳〔(つまびら)〕かにす。】
「本綱」に所謂〔(いはゆ)〕る、朝鮮の「長尾鷄」【尾の長さ、三、四尺。】・南越〔の〕「長鳴鷄〔(ながなきどり)〕」【晝夜、鳴き叫ぶ。】・南海の「石雞〔(せきけい)〕」【潮、至れば、卽ち、鳴く。】・蜀中の「鶤鷄〔(うんけい)〕」・楚中の「獊鷄〔(さうけい)〕」【竝びに、高さ三、四尺。】、此等は、本朝、未だ曾つて有らず。
雞卵(たまご)【中に、黃肉・白汁、有り。白き者、性、寒。黃の者、性、溫。】 筑前・豊前、多く之れを出だす。而〔れども〕、畿内の卵の味に及ばず【山椒を畏る。如〔(も)〕し之れを同〔じき〕噐〔うつは〕に藏せば、則〔すなはち〕、卵、腐爛す。】。之れを煑るに、則ち、白汁、黄の肉を包む。塊〔(かたまり)〕を爲す。之れを天地の兩象〔りやうしやう〕に譬〔(たと)〕へ、殻は乃〔(すなは)ち〕、總廓無星天に象〔(かた)〕どる【如〔(も)〕し、初めより熱湯に投じて之れを煑れば、則ち、殼・肉、離るべからず。】。
凡そ、雞は多淫にして、數子を生む。毎日、一卵を生ず。人、潜かに之れを取りて、唯、一卵を遺(のこ)せば、則ち、日を逐(お)ひて卵を生ず。數、定まらず、始終、取らざるときは、則ち、十二にして止む。母雞、卵を翅の下に伏せ、二十日許りにして、稍〔(やや)〕溫-暖(あたゝま)り、中の子、出でんと欲して吮〔(すす)〕る。〔その〕聲を「啐(しゆつ)」と曰ふ。母雞も亦、啄(つゝ)いて、孚(かへ)る。其の雛、哺(くゝめ)を待たず、自〔(みづか)〕ら粟・糏(こゞめ)を啄(ついば)む。之れを「※(ひよこ)」と謂ふ【〔母雞、〕※〔(ひよこ)〕、側〔(そば)〕に有るときは、則ち、交(つる)まず。※、取り避けなば、則ち、卵を生ず。】。凡そ、百八十日を經て、始めて鳴きて時を告ぐ。未だ亮亮〔(りやうりやう)〕ならず。人の呵坤(あくび)するがごとし。又、二十日可(ばか)りにして、聲、大きに定まり、能く「各曷課(こつかつこを[やぶちゃん注:ママ。])」の聲を爲す。其の鳴くや、雌(めどり)、先づ、雄の翅を啄-叩(つゝ)いて、其の時を知らしむるとき、則ち、雄〔(をどり)〕、聲を發す。蓋し、此れ、陰陽相待の義か。
[やぶちゃん注:「※」=「𣫠」-「殳」+「鳥」(一字の中の構成要素に「鳥」が二つある)。]
「韓詩外傳」に曰く、『雞に五德有り。頭に冠(さか)を戴くは【「文」なり】。足に距(けづめ)を傅〔(つ)くる〕は【「武」なり】。敵、前に在りて、敢へて闘ふは【「勇」なり】。食〔(しよく)〕を見ては相ひ呼ばふは【「仁」なり】。夜を守りて時を失はざるは【「信」なり】』〔と〕。葛洪〔(かつこう)〕が云はく、『凡そ、古井(ふるゐ)及び五月〔の〕井中、毒、有り、輙(かるがるし)く入るべからず。卽ち、人を殺す。宜しく、先づ、雞の毛を以つて之れを試すべし。毛、直〔ただち〕に下る者は、毒、無し。回-旋(めぐ)る者は、毒、有るなり。』〔と〕。「感應志」に云はく、『五〔の〕酉〔(とり)〕の日、白雞の左の翅を以つて、灰に燒き之れを揚ぐれば、風、立ちどころに至る。黑犬の皮毛を以つて、灰に燒き、之れを揚ぐれば、風、立どころに止むなり。』〔と〕。相ひ傳ふ、如〔(も)〕し、人、有りて、池川に溺(をぼ[やぶちゃん注:ママ。])れて、未だ屍骸を尋ね獲〔(え)〕ざれば、則ち、鷄を板筏〔(いたいかだ)〕に乘せて水上に泛〔(うか)ぶれば〕、鷄、能く所在を知りて、鳴く。是に於いて、其の骸〔(むくろ)〕を探(さぐ)り獲〔(と)〕る。
[やぶちゃん注:鳥綱キジ目キジ科キジ亜科ヤケイ属セキショクヤケイ亜種ニワトリ Gallus gallus domesticus。
「𥡳」「稽」と同字。「稽」には「考える」の意がある。時の経過を認識するから鬨を挙げることが出来るのである。
「陰晴を知る」天候を予知する。
「外腎」漢方では「腎」「内腎」・「副腎」・「外腎」の三部に分かたれ、「内腎」・「副腎」は西洋医学の腎臓と副腎を指し、「外腎」は、腎臓及び副腎を除いた泌尿器(膀胱や尿道)と雌雄生殖器を指す。無論、この認識はトンデモないことなるが、鳥類は単一の総排出腔であるから、そうした認知があったとして不思議ではない。
「小腸を虧(か)く」「虧」は「缺」(欠)に同じい。よく判らぬが、漢方医学では六腑の中の「小腸」は五行の「火」を司る機能を持つとされる。さて以下では鷄について五行に当て嵌めた叙述が続くが、そこでは基本、鷄は「木」に当たるとしつつも、色によってエレメントが変わり、「黃雌雞(あぶらのめどり)」は「土」であり、「烏骨鷄〔(うこつけい)〕は「水」・「木」であるとする。さらにまた、「白〔き〕雄鷄は、庚・金・太白の象〔(しるし)〕を得」と「金」が出る。則ち、この叙述を見る限りでは、「鷄」は五行の内の四つのエレメント「木」・「土」・「金」・「水」と親和性があることが記されているから、「火」の臓器である「小腸」はないということになるのかも知れぬ。
「夜(よひ)」「宵」。
「不祥」不吉な前兆。
「天恩有ることを主どる」東洋文庫版注に、「本草綱目」は『版によっては「天恩」が「火患」となっているものがある。「天恩」なら吉兆であろうが、「火患」なら凶兆であろう。意味は全く逆になる』とある。私の見た版では「火患」であり、朝を告げるのが吉兆で、夜は凶兆とくれば、物の怪の跳梁する夜の到来を危ない境界時間である黄昏、逢魔が時に鳴くそれはやはり凶兆(警告としての)であろう。「盗啼〔(とうてい)〕」という名も瑞兆を齎すものへの命名とは私には思われない。但し、後にも和歌に出るように「夕告げ鳥」は鶏のフラットな別名ではある。
「人言〔(じんげん)〕能くする者」人語を巧みに操る鷄。遇いたくない。
「牝鷄(めどり)の雄鳴(を〔なき〕)する者、雄鷄(〔を〕どり)の卵(たまご)を生〔(しやう)〕ずる者」これは鳥類では多種でも見られる♀の♂化(雄変:ホルモン・バランスの変化によって生じ、♀が♂のような行動(大きな鬨や求愛行動)を起したり、ニワトリの場合は鶏冠が♂並みに大きくなる現象)を誤認したものであろう。発生学上、鳥類が性転換することはあり得ない。
「竝びに」一律に。孰れも。
「雄、無きとき、卽ち、雞-卵(たまご)を以つて、竈〔(かまど)〕に告げて、伏して、之れを出だす」これは恐らく、鶏を飼育したものの、雄がいない場合は、彼らが生んだ卵を、竈に持って行き、竈神にその由を告げて、祈った上、雌鶏に「伏」せさせて=抱かせると、必ずや、雛が孵る、と言っているようである(東洋文庫訳もそのように訳している)。但し、雌鶏しかいないのだから、それは無精卵であって、決して孵ることはないのだから、これはあり得ない。こんなことが起こり得るのは、こっそり間男した近所の雄鶏とつるんで出来た有精卵だったんだろうねぇ。
「南人」旧中国の南方の民。
「鷄卵を以つて黑を畫(えが)き、煮熟して其の黃を驗(こゝろ)み、以つて凶吉を卜〔(うらな)〕ふ」「本草綱目」は、
*
南人、以鷄卵畫墨、煑熟驗其黃、以卜吉凶。
*
であるから、「黑」は「墨」誤記で、「墨(すみ)を以って占うための記号としての字を殻に画(か)き、それを茹でて、割れて噴出した、或いは割って見た黄身の様態を観察して、吉凶を占った、という意味と思われる。
「黃雌雞(あぶらのめどり)」鶏の一品種らしい。中文サイトのこちらに画像がある。
「脾胃」漢方では広く胃腸、消化器系を指す語。
「烏骨鷄〔(うこつけい)〕」ウィキの「烏骨鶏」より引く。『烏骨(黒い骨)という名が示す通り、皮膚、内臓、骨に到るまで黒色である。羽毛は白と黒がある。成鳥でもヒヨコ同様に綿毛になっている』。『足の指が、普通のニワトリと同じ前向き』三『本に加え、後ろ向きの指が普通のニワトリの』一本に対し、二~三本あり、計五~六本あるのも『大きな特徴である。一般的な鳥類は指の数が』四『本であり』、五『本(以上)ある種類は本種のみである』。『一般的なニワトリのみならず、鳥類全般から見ても特異な外見的特徴から、中国では霊鳥として扱われ、不老不死の食材と呼ばれた歴史がある。実際、栄養学的に優れた組成を持ちまた美味であるため、現在でも一般的な鶏肉と比較して高価格で取引されている。また、卵も同様の理由により非常に人気が高く、産卵数も週に』一『個程度と少ないことから、一般的な鶏卵と比較して非常に高価である』。『商用として飼育するほかにも愛玩用として家庭で飼育される事もある。コンテストなども開かれている。手入れ次第では鶏とは思えないほど非常に綺麗な毛並みとなる』。『マルコ=ポーロ著「東方見聞録」にもウコッケイに関する記述が見られる』とある。
「血分」病が血にあるもの、温熱病(急性の熱性疾患)でも最も深いレベルに病いがあること、月経閉止により水気病(水の代謝異常に起因する病気)になること等を指す。
「虛熱」陽気は正常値であるが、陰気が不足しているために発生する熱性症状を指す。
「庚・金・太白の象〔(しるし)〕」東洋文庫注に。『庚は十干の一つ。五行では金、星では太白にあたる』とある。
「蚘蟲〔(くわいちゆう)〕回虫。現行では狭義には線形動物門双腺綱旋尾線虫亜綱回虫目回虫科カイチュウ Ascaris lumbricoides であるが、ここでは広汎なヒト寄生虫の総称。
「蟲痔」不詳。或いは寄生虫が多数寄生して腸を閉塞させて生じた痔か。単なる便秘とも思われない。
「癰癤〔(ようせつ)〕」「癰」は浅く大ききな悪性の腫れ物。「癤」は毛包(毛根の周囲)が細菌に感染し、皮膚の中で膿が溜まって炎症を起こしている毛嚢炎の状態を指す。
「都にてなれにしものを庭鳥の旅寢の空は戀しかりけり」出典不詳。
「我がやどのきつにはめなでくだかけのまだきに鳴〔(なき)〕てせなをやりつる」「万葉」集とするが、「伊勢物語」の誤り。これは第十四段(「姉葉の松」)に出る女の歌、
夜も明けばきつにはめなで腐家鷄(くたかけ)のまだきに鳴きてせなをやりつる
で、陸奥が舞台で、方言らしく、諸説ある歌として知られる。「腐れにわとり」め未だ明けぬに鳴いて「背な」(愛しい男)を帰してしまったわ! 夜が明けたらあいつを「きつ(水を入れた木桶)に嵌(は)め込んで溺れ殺してやらぬものか!」とも、「狐(きつ)に食(は)ませてやる!」の意とも。初句も異なり、どこからどうして引いたものか? 不審極まりない。
「たがみそぎ夕つげ鳥ぞ唐衣たつたの山に降りはへてなく」「古今和歌集」巻第十八「雑歌下」の「よみ人知らず」の一首(九九五番)であるが、「鳥ぞ」は「鳥か」の誤りであり、「降り」の漢字表記は半可通な誤りと思う。
誰(た)が禊(みそぎ)ゆふつけ鳥か唐衣(からもろも)龍田の山にをりはへて鳴く
技巧臭い頗る厭な歌だが、一応、注しておく。「禊」「ゆふつけ」(後述)「唐衣」及び「龍田」の「たつ」(截つ)や「をり」(織(お)り。「古今和歌集」では「おりはえて」と歴史的仮名遣を誤記している)は縁語であろう。「ゆふつけ鳥」は「木綿(ゆふ)付け鳥」(木綿は楮(こうぞ)の木の皮で作った襷(たすき)で神への奉仕の際に掛ける神聖具であるが、古くは鶏にこの木綿をつけて、都の四境の関所で祓(はらえ)をした)と「夕告げ鳥」(鶏の異名)の掛詞。なお、前者及び後者の鶏は人を隔てる関というアイテムから、通常は男女の関係を邪魔するものとして使用されることが殆んどで、ここも時間の経過を急かすように告げるそれと読んでよかろう。「唐衣」「たつ」の枕詞。「をりはへて」「をる」は「重ねる」の、「はふ」は「延ばす」の意で、「長く続けて」。
「野鷄〔(やけい/きじ)〕」鳥綱キジ目キジ科キジ亜科キジ属キジ Phasianus versicolor。なお、現在は別にニワトリを含むキジ亜科ヤケイ属 Gallus が種群として実際に別に存在するので注意が必要。次の次で独立項「きじ きぎす 野鷄」として出る。
「其の種類、甚だ多し」ウィキの「ニワトリ」によれば、『欧米では、主に卵用や肉用に、産卵性や増体性を特化させて飼育されてきた品種が多い中』、日本では古くから『観賞用に多くのニワトリを飼育し、親しまれてきた。外観の美しさを重視したものでは、尾や蓑の羽毛が長いもの、色彩の豊かなもの、個性的な特徴をもつものを選抜した。さらに、鳴き声にも注目し、美しく鳴くもの、長く鳴くもの、変わった鳴き方をするものを選抜した。そうして作られた品種を日本鶏(にほんけい)と呼ぶ』。世界規模ではニワトリは二百五十品種(より細分化すると、五百品種を上回るとされるものの、素性が不明なものが多く含まれる)程の品種が存在するが、その内、日本鶏は五十品種に上回る、とある。
「小國〔(しやうこく)〕」一般的には「小国鶏」と書いて「しょうこく」と呼ぶことが多く、別に「おぐにどり」と呼ばれることもある。既に昭和一六(一九四一)年に国指定「天然記念物」となっている。主な飼育地は京都府・三重県等。平安初期に中国寧波府昌国(現在の浙江省舟山(しゅうざん)市定海区昌国。ここ(グーグル・マップ・データ))から日本に渡来したことからの命名とされる。闘鶏の一種として古くから飼われ、多くの日本鶏の成立に関わった。体重は♂二千グラム・♀千四百五十グラム。鳴き声は長く、時間を正しく知らせたことから「正告」または「正刻」とも呼ばれた。「尾長鶏」は、この品種から改良されたものだと伝えられる(「はてな・キーワード」の「小国鶏」を主に参考にした)。凛々しい姿はサイト「烏骨鶏 にわとりのページ」の「にわとり画像掲示板」のこちらで見られる。
「丑の時」午前一時から午前三時頃。
「寅の時」午前三時から午前五時頃。
「荒鷄」「あらどり」と訓じておく。古い時代に完全に野生化した個体群であろう。
「盗鷄」「ぬすみどり」と訓じておく。比較的近い時期に家畜であったものが脱走し、野生化した個体群であろうか。
「鷄を呼ぶ重言の聲」ニワトリを呼び寄せる時に声がけする連続した同一音のこと。
「喌(とゝ)」現代中国語(zhōu:カタカナ音写:ヂォゥ)でも、擬声擬態語で「鶏を呼ぶ声」とあり、辞書には『喌喌』で『トットッ』と訳がある。
「蜀雞(とうまる)【俗に「唐丸」と云ふ。】」昭和一四(一九三九)年に国指定「天然記念物」となっている。サイト「畜産ZOO鑑」の「長鳴き鶏ってこんなニワトリ!」によれば、新潟県産で、『力強い中高音で謡』い、『謡(うたい)の中間は特に強く張り上げるのが良いとされ、ひらがなの「ろ」を横に見たような謡いかたが良いとされている』。『声の長さ』は八秒から十三秒で、最長記録は約二十三秒(リンク先では、その長鳴きが実際に聴ける。必聴!)。『大型で尾羽も豊富でやや長く、雄大な体形。尾羽は幅が広く、また羽軸が丈夫なため』、『「獅子頭」の髪として使われる』とある。羽は『全身光沢にとんだ緑黒色で、脚も黒く「真黒(ほんぐろ)」とよばれる』。『体重』は♂で約四キロクラム。『活発で』、『体質も強く』、『寿命が長い。やや警戒心が強いが』、『飼い主には良く慣れる』とある。
「冠(さか)」良安は一貫して「さか」としかルビを振らない。国立国会図書館デジタルコレクションの中外出版社刊の活字版「和漢三才圖會」(明三四(一九〇一)年より翌年にかけて刊行)の「雞」でも『サカ』とする。これは「鶏冠(とさか)」の古語で上代から見られる。「とさか」はニワトリなどのキジ科 Phasianidae の一部の鳥に見られる頭上の肉質の冠状突起で、形状によって「単冠(たんかん)」・「ばら冠」・「豌豆(えんどう)冠」などに区別される。♀♂の識別やディスプレイのための機能を持ち、♀より♂でよく発達しており、発達の程度は性ホルモンの影響を受ける(前に記した♀の雄変では♀のトサカが♂のように肥大してくる)。
「大鋸〔(だいぎり)〕」「とさか」の形状からの鶏自体の名称であろう。
「暹羅雞(しやむどり)【「之夜無」。】」現在の「軍鶏(しゃも)」のことである。「日本農林規格」に於けるニワトリの在来種ともされ、昭和一六(一九四一)年に国指定「天然記念物」。ウィキの「軍鶏」によれば、『シャモの名は、当時のタイの旧名・シャムに由来する。日本には江戸時代初期にタイから伝わったとされるが、正確な時期は不明。闘鶏の隆盛とともに各地で飼育され、多様な系統が生み出された。闘鶏は多く賭博の手段とされたため、賭博が禁止されるとともに闘鶏としての飼育は下火になったが、食味に優れるため』、『それ以後も飼育は続けられた。現在は各地で食用として飼育されている(天然記念物でも、飼育や食肉消費は合法)』。『オスは非常に闘争心が強い』。『三枚冠もしくは胡桃冠で首が長く、頑強な体躯を持つ。羽色は赤笹、白、黒等多様。身体の大きさにより大型種、中型種、小型種に分類されるが、系統はさらに細分化される』という。『闘鶏、食肉、鑑賞目的に品種改良が行われてきた。本来が闘鶏であるため』、『オスはケージの中に縄張りをつくり、どちらかが死ぬまで喧嘩をするため、大規模飼育が難しい。食肉用には気性の穏やかな他の品種との交配種も作られ、金八鶏など品種として定着したものも存在する。また海外に輸出され、アメリカにおいてはレッドコーニッシュ種の原種ともなった』。『主な飼育地は、東京都、茨城県、千葉県、青森県、秋田県、高知県など。沖縄方言ではタウチーと呼ぶが、台湾でも同じように呼ばれており、昔から台湾(小琉球)と沖縄(大琉球)の間に交流があったことの裏づけとなっている』。『闘鶏には気性の激しい個体ほど好まれ、闘鶏で負けた鶏や、闘争心に欠けると判定された鶏は、ただちに殺されて軍鶏鍋にされた。そのため、江戸時代から食用としても知られ、江戸末期には軍鶏鍋が流行したとされる。また、戦いのために発達した軍鶏の腿や胸の筋肉には、ブロイラーにはない肉本来のうまみがあり』、『愛好者が多く、他の地鶏に比べて大型であるために肉量が多い。他の地鶏とシャモを掛け合わせた一代雑種の「おとし」、「しゃもおとし」が軍鶏鍋に使われるようになると、鶏肉の代名詞として定着するようになった』とある。私は即座に漱石の「こゝろ」の以下の印象的なシークエンス(リンク先は私のブログ版の公開当時と月日をシンクロさせたもの)「『東京朝日新聞』大正3(1914)年7月17日(金曜日)掲載 夏目漱石作「心」「先生の遺書」第八十五回」の「先生」とKの房州旅のコーダの『我々は眞黑になつて東京へ歸りました。歸つた時は私の氣分が又變つてゐました。人間らしいとか、人間らしくないとかいふ小理窟は殆ど頭の中に殘つてゐませんでした。Kにも宗教家らしい樣子が全く見えなくなりました。恐らく彼の心のどこにも靈がどうの肉がどうのといふ問題は、其時宿つてゐなかつたでせう。二人は異人種のやうな顏をして、忙がしさうに見える東京をぐるぐる眺めました。それから兩國へ來て、暑いのに軍鷄(しやも)を食ひました。Kは其勢(いきほひ)で小石川迄歩いて歸らうと云ふのです。體力から云へばKよりも私の方が強いのですから、私はすぐ應じました』を思い出す。
「兀(はげ)て」「禿」の誤字。「兀」は「高く突き出ているさま」を指す語。
「南京雞(なんんきんどり)」南京軍鶏或いは越後南京軍鶏であろう。小型の軍鶏で、前者については丈は三十センチメートルほどにしかならず、手乗りになるという記載もある。
「和雞(しやうこく)」先の「小國」の当て訓。
「矮雞(ちやぼ)」昭和一六(一九四一)年、国天然記念物に指定。次の独立項で「ちやぼ 矮雞」として出るのでそちらで注する。
「本綱」巻四十八の「禽之二 原禽類」の巻頭の「雞」。
「長尾鷄」高知県原産の尾長鶏国特別天然記念物指定)がいるじゃないかと思った。ウィキの「オナガドリ」を見ると、『オナガドリの始まりは、江戸時代に土佐藩主の山内家が、参勤交代の際に使う飛鳥という槍飾りに用いる長い鶏の尾を農民から集めたことに』始まり、明暦(一六五五年~一六五七年)頃の土佐国大篠村(現在の高知県南国市大篠)で、武市利右衛門がオナガドリの原種白藤種を作り出した』。『伝説では地鶏とキジや山鳥と交配して作ったとされているが、正確な記録は残されていない』とある。本「和漢三才図会」は正徳二(一七一二)年頃(自序クレジット)の完成であるから、既にオナガドリはいたと考えてよい。以下、『土佐には東天紅鶏やチャボを含めて鶏の美しさを競う文化があり、オナガドリもその一環として、昭和初期には高知県内全体で飼育数が』五百『羽以上に増えた。雨戸の戸袋で飼って尾羽の抜けを防ぐ、ドジョウなど動物性蛋白質の餌を与えるといった、尾羽を伸ばすための工夫が凝らされた』。大正一二(一九二三)年に『国の天然記念物に指定されたが、太平洋戦争が始まり、その数は』九『羽まで激減』したため、昭和二七(一九五二)年に『国の特別天然記念物に指定された』。『ニワトリは通常一年に一度羽が生え換わるが、オスのオナガドリは尾羽が生え換わらないため、尾が非常に長くなる。明治時代までは尾の長さは』三メートル『程度であったが』、『大正時代に止箱(とめばこ)と呼ばれる縦長の飼育箱が開発され、尾が損傷しないよう』、『鳥の動きを抑制する飼育法が行われるようになり、尾がさらに長く成長するようになった』。『尾は若いうちは一年に』八十センチメートルから一メートル『程度、成長するが』、『加齢とともに尾の伸びる早さは鈍る。鶏が長生きした場合には尾の長さが』十メートル『以上に達することもあり、最も長いのは』昭和四九(一九七四)年に十三メートル『という記録がある』。『現在では尾がそれほど長くならなくな』『っている』が、『これは近親交配の増加が影響しているとみられ、南国市ではDNA解析を基にした交配で、元の姿を取り戻す保護作戦を始めている』とある。無論、「本草綱目」の「長尾鷄」は全くの別品種である可能性が高いかも知れぬが、まあ、わざわざ「本朝、未だ曾つて有らず」と言うのはおかしいでショウ! 良安先生!
「長鳴鷄〔(ながなきどり)〕」先に掲げた、サイト「畜産ZOO鑑」の「長鳴き鶏ってこんなニワトリ!」には「蜀鷄(トウマル)」の他に、「東天紅鶏(トウテンコウ)」と「声良鶏(コエヨシ)」が挙げられている。少なくとも今は超長鳴きの三種がいますよ! 良安先生!
「南越」中国南部からベトナム北部にかけての地方(嶺南地方)の旧称。
「南海」広東省の沿岸地域ととっておく。
「石雞〔(せきけい)〕」これは現代中国でも「石鷄」を当てるものの、広義に見てもニワトリの類ではない、キジ科イワシャコ属イワシャコ(岩鷓鴣)Alectoris
chukar である。同種につてはウィキの「イワシャコ」を参照されたい。但し、本種は中国では殆んどの分布が内陸の丘陵や高地であり(渤海湾湾奧のやや内陸部には分布)、「潮、至れば、卽ち、鳴く」という叙述とは(これが海辺であるとするならば)齟齬する気がするので、「本草綱目」のそれは或いは全くの別種である可能性が高いのではないかと私には思われる。
「蜀中」四川省。
「鶤鷄〔(うんけい)〕」これは現行では先の「蜀雞(とうまる)」の異名である。
「楚中」湖南・湖北地方。
「獊鷄〔(さうけい)〕」不詳。なお、「本草綱目」では「傖鷄」となっている。
【竝びに、高さ三、四尺。】此等は、
「總廓無星天」不詳。無限の宇宙の外郭のことか。
「吮〔(すす)〕る」「吸う・舐める」の意。殻の内側をそうするということであろう。
「啐(しゆつ)」辞書に「啐啄(そったく)」という語が載り、「そつ」は「啐(さい)」の慣用音。雛が孵(かえ)ろうとする際に雛が内から突(つつ)くのを「啐」、母鳥が外から突くのを「啄」と称するとあって、原義は「禅に於いて師家と修行者との呼吸がぴったり合うこと。機が熟して弟子が悟りを開こうとしている時を指して言う語」とし、そこから、転じて「得難(えがた)い絶好の時機」の意とある。今の安倍政権の政治には「啐啄(そったく)」はなく、あるのはただ「忖度(そんたく)」のみというわけだ。ただ、言っておくが、今現在、「忖度」を悪い意味でしか認識していない国民が、最早、大半なのではないかと思うと悲しい。これは、それほど「忖度」という語が死語になりかかっていたということなのだ。「忖」も「度」もフラットに「はかる」の意であり、「他人の気持ちを推(お)し測ること・推察」というやはりフラットな意味だということをもっと理解しないと、そのうち、「忖度」は悪い用語として「特定の人間の便宜を図る不公平な配慮」という意味に成り下がってしまう! 「良い忖度」と「悪い忖度」という使い分けをするべきである。安倍政権のそれは無論、「最悪不当の差別的忖度」と言うわけだ。
「哺(くゞめ)」動詞「哺(くく)む」(マ行下二段活用・「口の中食べ物を含ませる」の意)の名詞化。
「※(ひよこ)」(「※」=「𣫠」-「殳」+「鳥」(一字の中の構成要素に「鳥」が二つある))雛(ひよこ)。実は東洋文庫訳では字を説明するのに用いた「𣫠」の字で翻刻しているのであるが、私の調べた限りでは、この字は「鳥の卵」の意であって、「雛(ひよこ)」の意味ではないので採らない。
「糏(こゞめ)」屑米。米の欠片(かけら)。
「亮亮〔(りやうりやう)〕」ごく明瞭ではっきりしていること。
「呵坤(あくび)」「欠伸」。
「各曷課(こつかつこを[やぶちゃん注:ママ。])」「課」は音「クヮ(カ)」で、現代中国音「kè」(カタカナ音写:クゥーァ)で異様な感じに見えるが、オノマトペイアとして、れを素直に発音してみると、「コッカッコオ!」で、今の鶏鳴の擬音「コッコッ、コケッコ!」に非常に近いことが判る。
「其の鳴くや、雌(めどり)、先づ、雄の翅を啄-叩(つゝ)いて、其の時を知らしむるとき、則ち、雄〔(をどり)〕、聲を發す。蓋し、此れ、陰陽相待の義か」鶏が鳴く時は、実は、まず、雌鶏(めんどり)が雄鶏(おんどり)の羽を突(つつ)いて、「鬨を挙げる時が来ましたよ」とそれとなく知らせる。すると雄鶏が、やおら鬨の声を発するのである。いや、これはまさに雌雄=陰陽相待(普通は相対する陰陽が時に相い応じて新たな創造的変化の推進を行うこと)の原理に基づくものか。
「韓詩外傳」前漢の韓嬰(かんえい)の撰になる「詩経」の詩句を引いて古事古語を考証した書。説話集に近い。現行本は全十巻。ウィキの「韓詩外伝」によれば、韓嬰は「漢書」の「儒林伝」によれば、『文帝の博士・景帝の常山太傅』を歴任し、『武帝の前で董仲舒と論争をしたが、韓嬰の説くところは明晰であって、董仲舒は論難することができなかったという』碩学である。「詩経」の『学問として、前漢では轅固生の斉詩・申公の魯詩・韓嬰の韓詩の』三『つの説が学官に立てられた。これらを三家詩(さんかし)と呼ぶ。現行の毛詩が古文の説であるのに対し、三家詩は今文に属する』。『韓詩について』は「漢書」の「芸文志」にはそれらの多数の著作が挙げられてあるが、『宋以降』、この「外伝」『以外は滅』んでしまい、三家詩ではこれが『現存する唯一の書物である』とある。同書は直接に「詩経」と『関係する書物ではなく、一般的な事柄や、いろいろな故事を述べた上で、話に関係しそうな』「詩経」の『句を引いたもので』、全部で三百条あまりの『話を載せるが、その中には「詩経」を『引いていないものも』二十八『条あり、脱文かと』も言われる、とある。以下の鶏の五徳は巻二に以下のように出る。良安の割注挿入はよろしくない。
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伊尹去夏入殷、田饒去魯適燕、介之推去晉入山。田饒事魯哀公而不見察、田饒謂哀公曰、「臣將去君、黃鵠舉矣。」。哀公曰。「何謂也。」。曰、「君獨不見夫雞乎。首戴冠者、文也。足搏距者、武也。敵在前敢鬥者、勇也。得食相告、仁也。守夜不失時、信也。雞有此五德、君猶日瀹而食之者、何也。則以其所從來者近也。夫黃鵠一舉千里、止君園池、食君魚鱉、啄君黍粱、無此五者、君猶貴之、以其所從來者遠矣。臣將去君、黃鵠舉矣。」。哀公曰、「止。吾將書子言也。」。田饒曰、「臣聞、食其食者、不毀其器、陰其樹者、不折其枝。有臣不用、何書其言。」。遂去、之燕。燕立以爲相、三年、燕政大平、國無盜賊。哀公喟然太息、爲之辟寢三月、減損上服。曰、「不愼其前、而悔其後、何可復得。」。「詩」云、「逝將去汝、適彼樂國、樂國樂國、爰得我直。」。
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「文」人倫の道の基本となる学識。
「傅〔(つ)くる〕は」装着しているのは。
「食〔(しよく)〕を見ては相ひ呼ばふは」餌を見つけると、互いに同朋を呼ばうのは。
「夜を守りて時を失はざるは」熟睡することなく、夜を測って、時間をうっかり忘れてしまうことなく(鬨を作る)のは。
「葛洪」(二八三年~三四三年)は西晋・東晋時代の道教研究家。ウィキの「葛洪」から引く。『字は稚川で、号は抱朴子、葛仙翁とも呼ばれる。後漢以来の名門の家に生まれたが』、『父が』十三『歳の時になくなると、薪売りなどで生活を立てるようになる』。十六『歳ではじめて』「孝経」「論語」「易経」「詩経」を『読み、その他』、『史書や百家の説を広く読み暗誦するよう心がけた。そのころ』、『神仙思想に興味をもつようになったが、それは従祖(父の従兄弟)の葛仙公とその弟子の鄭隠』(ていいん)『の影響という。鄭隠には弟子入りし、馬迹山中で壇をつくって誓いをたててから』、「太清丹経」「九鼎丹経」「金液丹経」と『経典には書いていない口訣を授けられた』という。二十歳の『時に張昌の乱で江南地方が侵略されようとしたため、葛洪は義軍をおこし』、『その功により』、『伏波将軍に任じられた。襄陽へ行き広州刺史となった嵆含』(けいがん)『に仕え、属官として兵を募集するために広州へ赴き』、『何年か滞在した。南海郡太守だった鮑靚』(ほうせい)『に師事し、その娘と結婚したのもその頃である。鮑靚からは主に尸解法(自分の死体から抜け出して仙人となる方法)を伝えられたと思われる』。三一七『年頃、郷里に帰り』、『神仙思想と煉丹術の理論書である』「抱朴子」を『著した。同じ年に東晋の元帝から関中侯に任命された。晩年になって、丹薬をつくるために、辰砂』(硫化水銀)『の出るベトナム方面に赴任しようとして家族を連れて広東まで行くが、そこで刺史から無理に止められ』、『広東の羅浮山に入って金丹を練ったり』、『著述を続けた。羅浮山で死ぬが、後世の人は尸解したと伝える。著作には「神仙伝」「隠逸伝」「肘後備急方」『など多数がある』。
「凡そ、古井(ふるゐ)及び五月〔の〕井中、毒、有り」酸素欠乏を指している。
「感應志」東洋文庫版の「書名注」に、『晉の』博物学者として知られる『張華の『感応類従志』か。一巻。宋の賛寧にも『感応類従志』一巻がある』とある。調べて見たが、孰れかは判らなかった。
「五〔の〕酉〔(とり)〕の日」元旦から数えて五回目の酉の日の意か。
白雞の左の翅を以つて、灰に燒き之れを揚ぐれば、風、立ちどころに至る。黑犬の皮毛を以つて、灰に燒き、之れを揚ぐれば、風、立どころに止むなり。』〔と〕。相ひ傳ふ、如〔(も)〕し、人、有りて、池川に溺(をぼ[やぶちゃん注:ママ。])れて、未だ屍骸を尋ね獲〔(え)〕ざれば、則ち、鷄を板筏〔(いたいかだ)〕に乘せて水上に泛〔(うか)ぶれば〕、鷄、能く所在を知りて、鳴く。是に於いて、其の骸〔(むくろ)〕を探(さぐ)り獲〔(と)〕る。]