諸國里人談卷之四 裏見滝
○裏見滝(うらみのたき)
下野國日光山に四十八瀧あり。「裏見の瀧」は大石、山の崖(はな)に出〔いで〕て岩窟あり。高〔たかさ〕一丈あまり、深さ二丈ばかり。三途川の媼(うば)とて老女の石像あり。これより瀧の本(もと)に出〔いで〕て、瀧の裏を見る。高二丈ばかり、上に石像の不動明王あり。これを見る者、恐怖して敬せずといふ事、なし。不淨の人、玆(こゝ)に至れば、天狗のために命(めい)を失ふ、と云〔いへ〕り。
[やぶちゃん注:ウィキの「四十八滝」によれば、「日光四十八滝」は栃木県日光市内の「華厳の滝」・「霧降の滝」・「竜頭の滝」・「湯滝」・「裏見滝」・「初音滝」・「寂光滝・「白糸滝」・「丁字滝」・「玉簾の滝」・「マックラ滝」などが知られるところで、『日光市一体の滝の総称』であり、『日光七十二滝とも呼ばれる』とあり、『実際に四十八滝存在するといわれる』ものの、『含まれる滝は諸説あり』、確かでないとする。中でも「華厳の滝」と「霧降の滝」『は日本の滝百選、華厳の滝は日本三名瀑』(後の二つは和歌山県那智勝浦町の「那智の滝」と、茨城県大子町(だいごまち)の「袋田の滝」)の一つであるとある。この「裏見滝(うらみのたき)」は栃木県日光市丹勢町にあり、現行の落差は十九メートル、滝幅二メートルである。ここ(グーグル・マップ・データ)。ウィキの「裏見の滝」によれば、『滝の裏には』寛永元(一六二四)年に『出羽三山から迎えられたという不動明王像が現在もある。松尾芭蕉は』元禄二(一六八九)年に『裏見滝を訪れ、滝に関する記述と俳句を奥の細道に残している』。但し、明治三五(一九〇二)年に『滝上部の岩が崩壊し』、『裏から見ることができなくなった』とある。
「岩窟」「高〔たかさ〕一丈あまり、深さ二丈ばかり」岩窟の高さは三メートル余で、穴の深さは六メートルほど。
「三途川の媼(うば)とて老女」三途川の渡し賃六文銭を持たずにやって来た亡者の衣服を剥ぎ取る老婆の鬼である奪衣婆(だつえば)。ウィキの「奪衣婆」によれば、江戸『末期には民間信仰の対象とされ、奪衣婆を祭ったお堂などが建立された。民間信仰における奪衣婆は、疫病除けや咳止め、特に子供の百日咳に効き目があるといわれた』とある。]