諸國里人談卷之四 津志瀧
○津志瀧(つしだき)
安藝國山縣(やまがた)郡津志瀧の上に霊験の觀音あり。瀧の下に「潛石(くゞりいし)」とて、さし出〔いで〕たる石あり。瀧水、これにあたつて漲(みなぎ)り、浪を飛(とば)するに、參詣の人、傍(かたはら)に立(たつ)て、「滝水、とゞめ給へ」と喚(よばは)つて念ずれば、しばらくがほど、水、一滴も落(おち)ず。その間に、石の下を潛(くゞ)り、走り通るなり。是、大慈大悲の佛力(ぶつりき)奇なりといふべし。「念彼(ねんぴ)」の段に「波浪不能投(はらうふのうもつ)」とあるは、則(すなはち)、是なり。
[やぶちゃん注:「安藝國山縣(やまがた)郡津志瀧」これは現在の広島県山県郡北広島町中原龍頭山(りゅうずやま)のことではなかろうか? ここ(グーグル・マップ・データ)。北広島町都志見(つしみ)の北境界外直近がピークである。滝は同山の南東麓のここ(NAVITIME)に「津志瀧」ではないが、「駒ヶ滝」(名馬「摺墨」と「生喰(いけづき)」が育った地と伝承することに由来)という江戸時代から知られた名瀑があり、いろいろ調べてみると(ハイカーや登山サイトで複数確認)、この滝の背後には弘法大師所縁の洞窟があるとし、そこに(「津志瀧の上」ではないが)観音像があって、現在も滝を潜って参拝することまで突き止めたので、沾涼が言っているのはこの滝と考えてよいであろう。この話、柳田國男「一目小僧その他」の「隱れ里」に『廣島縣山縣郡都志見の龍水山に、駒ケ瀧一名觀音瀧と稱して高さ十二丈幅三丈の大瀧あり、其後は岩窟で觀音の石像が安置してあつた。始め瀑布の前に立つ時は水散じて雨の如く、近づくことは出來ぬが、暫くして風立ち水簾轉ずれは、隨意に奧に入り佛を拜し得る、之を山靈の所爲として居たさうである』と出る。『柳田國男「一目小僧その他」 附やぶちゃん注 隱れ里 一〇』を読まれたい。
『「念彼(ねんぴ)」の段』「観音経」の冒頭で掲げる「法華経」の「観世音菩薩普門品」の「偈)」の一節、「或漂流巨海 龍魚諸鬼難 念彼觀音力 波浪不能没(わくひょうるーこーかい りゅうぎょーしょーきーなん ねんぴーかんのんりき はーろうふーのうもつ)」を指す。――或いは大海原に漂い流され、龍や異魚や数多の鬼神の難に遭遇しようとも、かの観音の広大無辺の慈悲の力を念ずれば、大波浪といえども沈めることは出来ぬ。――の意。]