諸國里人談卷之四 大樹
○大樹
景行天皇十八年に、筑紫(つくし)の道の後(うしろ)の國に至り給ふ時に、倒れたる木あり。
長〔たけ〕、九百七十丈、百官、その木を蹈(ふみ)て徃來(おうらい)す。
天皇、問(とふ)て云〔いはく〕、
「是、何の木ぞ。」
一(ひとり)の老夫ありて曰(いは)く、
「此樹は櫪(くぬぎ)なり。昔、倒(たをれ[やぶちゃん注:ママ。])ざるのさき、旭(あさひ)の暉(かゝや)くにあたつては、則〔すなはち〕、杵島(きねしま)を隱し、夕日のかゝやくにあたつては阿蘇の山をかくしき。」【「日本紀」。】
○又、云〔いふ〕、昔、近江國栗本郡に大なる柞(はゝそ)の木あり。其圍(めぐ)り、五百尋(ひろ)あり。枝葉(しやう)、繁茂(しげくしげり)て、其木の影、朝(あした)には丹波にさし、夕〔ゆふべ〕には伊勢國にさす。されば滋賀・栗本・甲賀(かうか)三郡(ぐん)に蔭を覆ひ、日影あたらざれば、田畑の作物、熟せず。百姓、これを歎きて、此由を奏す。よつて、掃守宿禰(はきもりのすくね)に命じて、これを伐(きら)しむ。【「後堂」。】
[やぶちゃん注:読み易さを狙って、前半は特異的に改行した。世界樹として洋の東西を問わず、広汎に見られる巨木伝説の一つ。後段部分は「今昔物語集」巻第三十一の「近江國栗太郡大柞語第三十七」)近江(あふみ)の國栗太郡(くるもとのこほり)の大柞(おほははそ)の語(こと)第三十七」に、
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今は昔、近江の國栗太の郡に、大きなる柞の樹、生ひたりけり。其の圍(めぐり)五百尋也。然(しか)れば、其の木の高さ、枝を差したる程を思ひ遣るべし。其の影、朝(あした)には丹波の國に差し、夕(ゆふべ)には伊勢の國に差す。霹靂(へきれき)する時にも動(うご)かず、大風(おほかぜ)吹く時にも搖(ゆる)がず。
而る間、其の國の志賀・栗太・甲賀(かうか)三郡の百姓、此の木の蔭に覆ひて日(ひ)當らざる故に、田畠(でんばく)を作り得る事、無し。此れに依りて、其の郡々(こほりこほり)の百姓等(ら)、天皇(てんわう)に此の由を奏す。天皇、卽ち、掃守(かにもり)の宿禰(すくね)□□等(ら)を遣して、百姓の申すに隨ひて、此の樹を伐り倒(たふ)してけり。然(しか)れば、其の樹伐り倒して後、百姓、田畠を作るに、豐饒(ぶねう)なる事を得たりけり。
彼(か)の奏したる百姓の子孫、今に其の郡々に有り。
「昔は此(かか)る大きなる木なむ有ける。此れ希有の事也。」となむ、語り傳へたるとや。
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と出る。「五百尋」は、人体尺で、両手を左右に広げ伸ばした長さを「一尋」(凡そ五~六尺)とする。ここは短い五尺をとると、百五十一・五センチメートルとなるから、七百五十七・五メートルとなる。また、「掃守の宿禰」宮内省に属した掃守寮(かにもりのつかさ)の役人。宮中の掃除・鋪設を担当した。古くは「かむもり」と訓じた。「宿禰」は古代の「八色(やくさ)の姓(かばね)」の一つ(第三位)。なお、この近江の巨木伝説は「古事記」の仁徳天皇の条を始めとして、異伝が頗る多い。
「景行天皇十八年に……」「日本書紀」景行天皇十八年[やぶちゃん注:単純西暦換算八八年。]七月甲午[やぶちゃん注:四月。]の条に、
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秋七月辛卯朔甲午。到筑紫後國御木。居於高田行宮。時有僵樹。長九百七十丈焉。百寮蹈其樹而往來。時人歌曰、
阿佐志毛能 瀰概能佐烏麼志 魔幣菟耆弥 伊和哆羅秀暮 彌開能佐烏麼志
爰天皇問之曰、「是何樹也。」。有一老夫曰、「是樹者歷木也。嘗未僵之先。當朝日暉、則隱杵嶋山。當夕日暉、亦覆阿蘇山也。」。天皇曰、「是樹者神木。故是國宜號御木國。」。
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歌は、
あさしもの みけのさをばし まへつきみ いわたらすも みけのさをばし
(朝霜の御木(みけ)のさ小橋(をばし)群臣(まへつきみ)い渡らすも御木のさ小橋)
「櫪(くぬぎ)」ブナ目ブナ科コナラ属クヌギ
Quercus acutissima。漢字表記は「櫟」「椚」「橡」「栩」「功刀」等。和名語源説は「国木(くにき)」とも言われる。
「九百七十丈」二千三百九十四メートル。
「杵島(きねしま)」肥前国(佐賀県)にあった杵島郡(きしまぐん)。現在の佐賀県西部武雄市(たけおし)附近一帯。ここ(グーグル・マップ・データ)。
「近江國栗本郡」旧栗太(くりた)郡。誤りではなく、「和名類聚抄」などでは「栗本郡」とも記されており、当初は「くりもとぐん」と呼ばれていたが、やがて「くりたぐん」と変化した。古代には近江国府が郡内の勢多(瀬田)に置かれた。現在の草津市・栗東市の全域・大津市の一部・守山市の一部に相当する。旧郡域(但し、明治期)は参照したウィキの「栗太郡」を見られたい。
「柞(はゝそ)」小学館「日本大百科全書」によれば(幾つか私が追記した)、コナラ(ブナ目ブナ科コナラ属コナラ Quercus serrata)の古名とも言うが、古くはナラ類(ブナ目ブナ科コナラ属
Quercus に属する前種コナラを含めた、本邦産種であるクヌギ Quercus actissima・ナラガシワ
Quercus aliena・ミズナラ
Quercus crispula・カシワ Quercus dentata・アベマキ Quercus variabilis)の総称ともされる。「万葉集」に「山科の石田(いはた)の小野(をの)の柞原(ははそはら)見つつか君が山道(やまぢ)越ゆらむ」(巻第九・藤原宇合(うまかい)・一七三〇番)と詠まれ、のちにこの「石田(いしだ)のははそ原」は歌枕となり、また「ははそ葉の」は「母」の枕詞となった。「古今和歌集」では、とくに「佐保山」の景物として類型化し、「秋霧は今朝はな立ちそ佐保山の柞(ははそ)の紅葉(もみぢ)よそにても見む」(前書「是貞のみこの家の歌合のうた」・よみ人しらず・巻第五 秋歌下)などと詠まれた。「源氏物語」の「少女(をとめ)」の帖では、六条院の冬の町の御殿に植えられた様子が描かれ、「更級日記」には「ははその森」という紅葉の名所が挙げられてある。
「後堂」不詳。識者の御教授を乞う。]