大和本草卷之八 草之四 鹿角菜(ツノマタ)及び海藻総論後記 / 大和本草卷之八 草之四~完遂
鹿角菜 本草水菜ニ載ス大寒無毒解熱然𪜈性不
良其形鹿角ニ似テ小ナリ海中岩間ニ生ス乾シ收
メ用ル時水ニ浸シ醋ニ和乄食フ
[やぶちゃん注:以上の「鹿角菜」ここで終わり、以下の二字下げ部分は海藻類全般についての益軒の感想と後記が続く。書き下し文ではここにアスタリスクを挿入した。]
本草所載水草苔類不過于十餘品無海草門
凡本草載諸海産甚略矣本邦海中所産藻苔
之類各處土地ニヨリ異品多シ窮知リカタシ不可
枚擧凶年ニハ貧民海草ヲ取食ヒ飢ヲ助クル事山
蔬ニマサレリ海草ノ民用ニ利アル事亦大ナル哉然
海草之性皆寒冷滑泄能傷脾胃伐發生之氣
脾胃虛冷之人不可食又海草有蟲子之毒者
不可食
大和本草卷之八[やぶちゃん注:終りを意味する柱。書き下し文では省略した。]
○やぶちゃんの書き下し文
「鹿角菜(ツノマタ)」 「本草」は「水菜」に載す。大寒。毒、無し。熱を解す。然れども、性、良からず。其の形、鹿の角に似て、小なり。海中の岩間に生ず。乾し收め、用ふる時、水に浸し、醋に和して食ふ。
*
「本草」〔の〕載する所の水草・苔の類、十餘品の過ぎず、海草門、無し。凡そ「本草」は諸海産を載すること、甚だ略せり。本邦の海中、産する所の藻・苔〔(のり)〕の類ひ、各處、土地により、異品、多し。窮め知りがたし、枚擧すべからず。凶年には、貧民、海草を取り食ひ、飢〔(うゑ)〕を助くる事。山蔬〔(さんそ)〕にまされり。海草の民用に利ある事、亦、大なるかな。然〔(しか)れども〕、海草の性〔(しやう)〕、皆、寒冷・滑泄〔(かつせつ)にして〕、能く脾胃〔(ひい)〕を傷〔つけ〕、發生の氣を伐〔(た)〕つ。〔ゆゑに〕脾胃虛冷の人、食ふべからず。又、海草、蟲-子〔(むし)〕の毒有るは、食ふべからず。
[やぶちゃん注:「鹿角菜(ツノマタ)」は紅藻植物門紅藻綱真性紅藻亜綱スギノリ目スギノリ科ツノマタ属ツノマタ Chondrus ocellatus。田中次郎著「日本の海藻 基本284」によれば、属名Chondrus は「軟骨質の」、種小名 ocellatus は「角叉」の意。ツノマタ属は本邦では八種が知られており(但し、鈴木雅大氏のサイト「生きもの好きの語る自然誌(Natural History of Algae and Protists)」のスギノリ目のページを見ると、何と、二十一種も挙げらてある。当該サイトは日本産海藻リストである)、形状が近似し、それらも多くは食用とされるから、益軒のこれはそれらも総て含むと考えた方がよいだろう。田中氏によれば、『潮間帯下部に生育する代表的な紅藻である。体色は七変化』で、『緑、青、紫、赤などの色合いのものがある。基本的には広い枝が二叉分枝する。枝はねじれることが多い。高血圧などの民間薬の原藻としても知られ』、『カラギーナン寒天としても食されることが多い。汁の実や刺身のつまにも使われる。また漆喰の糊料としても有名である』とある。最後なので、今まで盛んに参考にさせて戴いた鈴木雅大氏のサイトの、ツノマタのページもリンクさせておく。ぼうずコンニャク氏の「市場魚貝類図鑑」のツノマタのページによれば、和名「ツノマタ(角又)」は『鹿の角のように股状になっているところから』の呼称で、『ツノマタを食用としている地域は少なく、主に壁土に入れる、石けんなどとして利用していた』。『食用としている地域で有名なのは、千葉県銚子市、茨城県鹿嶋市などで、コトジツノマタ』(コトジツノマタ(琴柱角叉)Chondrus elatus。鈴木雅大氏のサイトのコトジツノマタのページも参照されたい)や『ツノマタを煮溶かして固めて食べ』、『これを海藻』・『海草』と称し、『千葉県銚子市、茨城県神栖市でコトジツノマタ、ツノマタをブレンドして煮溶かしてコンニャク状に固めたもの』を指すという。『海藻らしい風味が楽しめて、なかなか美味』とある。先の鈴木雅大氏のサイトのコトジツノマタのページで現物が見られる。涎が出てきた。
「本草」「本草綱目」の巻十九の「草之八」には海藻は「海藻」・「海蘊」・「海帶」・「昆布」・「越王余」・「石帆」・「水松」の七つしか載らず、巻二十一の「草之十」を見ても海苔を乾した「乾苔」が載る程度で、益軒の「十餘品」というのが他に何を指しているのかはよく判らない。他の項に分散して出るか。判明したら、追記する。
「海草門、無し」海藻(或いは顕花植物としての海草)の部立がないことを言う。
「山蔬〔(さんそ)〕」山菜。
「滑泄」既出既注。漢方の症状としては激しい下痢の水様便を指すが、ここは便をそうした状態にしてしまう性質の意であろう。
「脾胃」既出既注。漢方では広く胃腸、消化器系を指す語である。
「發生の氣を伐〔(た)〕つ」漢方では人体も自然界の春と同様に、人体内で生気が発生する、起ると考えるから、そのメカニズムが致命的に断たれるということであろう。
「脾胃虛冷の人」既出既注。虚弱体質、或いは、体温が有意に低下するような疾患に罹っている人、或いは、消化器系疾患等によって衰弱している人。
「海草、蟲-子〔(むし)〕の毒有るは、食ふべからず」「蟲子」は虫のことであるから、海藻に虫が寄生し、そのために毒化しているものがあるから、それは食ってはいけない、というのであろう。海藻類に寄生する生物(博物学的な意味での虫類)としては、節足動物門甲殻亜門軟甲綱真軟甲亜綱フクロエビ上目端脚目ドロクダムシ亜目ワレカラ下目 Caprellida に属するワレカラ類(代表種はワレカラ科ワレカラ属マルエラワレカラCaprella acutifrons・トゲワレカラ Caprella scaura・スベスベワレカラ Caprella glabra など。私の「大和本草卷之十四 水蟲 介類 ワレカラ」を参照されたい)や甲殻亜門マルチクラスタケア上綱Multicrustacea Hexanauplia 綱橈脚(カイアシ)亜綱 Copepoda に属するコペポーダ類の中の葉上性カイアシ類(「強酸アミジグサに生活する葉上性カイアシ類」が参考になる。藻体をかじったり、汚損させたりする害虫としては認識されており、海産で本邦には三十種はいるらしい)等がいるが、これらが人体に有害な毒性を持つという話は聴いたことがない。プランクトン食をするそれらの中に有毒な種がいる可能性は否定は出来ないが、ワレカラヤカイアシ類が付着した海藻で食中毒を起こしたというようなケースは私の知る限りでは報告されていないと思う。寧ろ、何遍も注した通り、オゴノリ類の中毒死亡例が複数あること、それを説明するとされる、prostaglandin E2(プロスタグランジンE2)摂取に始まる人体内機序の例や、ハワイで発生したオゴノリ食中毒の要因研究の過程で疑われているアプリシアトキシン aplysiatoxin という消化管出血を引き起こす自然毒(これは単細胞藻類である真正細菌 Bacteria 藍色植物門 Cyanophyta の藍藻(シアノバクテリアCyanobacteria)が細胞内で生産する猛毒成分)といった物質やそれを含んだ藻類が付着した海藻を知らずに摂取する結果として中毒が起こることはあり得るし、海産中毒や死亡例では原因が不明なケースもある。古くから食べられてきた種でも、海域が廃棄物によって汚染されているものもある。危きは口にせず、は悲しいが、しょうがない。
残す水族の本文は巻十三の魚類のみ。但し、「附錄」と「大諸品圖下」がまだある。]