進化論講話 丘淺次郎 第二十章 進化論の思想界に及ぼす影響(三) 三 進化論と教育
三 進化論と教育
教育書を開いて見ると、精神は人間ばかりに存するもの故、教育の出來るのも人間ばかりに限るなどと書いてあるが、之は確に間違で、他の動物の中にも、子を教育する類は幾らもある。而して如何なる動物が子を教育するかと調べると、皆腦髓の梢〻發達した高等動物で、比較的子を生む數の少い種類に限るやうである。
動物は何のために子を教育するかといふに、凡そ動物には命の長いものもあれば、短いものもあるが、如何なる種類でも、壽命には必ず一定の制限があるから、種屬の斷絶せぬためには、常に生殖して死亡の損失を補はなければならぬ。而して若し生れた子が皆必ず生存するものと定まつて居たならば、一對の親から一生涯の間に僅に二疋の子が生れただけでも、親の後を繼いで行くことは出來る筈であるが、生存競爭の劇烈な現在の世の中では、生れた子が殘らず生長するといふ望は到底ない。魚類・昆蟲類を始め多くの下等動物では、初めから無數の卵を生むから、そのまゝ打捨てて置いても、その中二疋や三疋は生長し終るまで生存する機會があるが、梢〻少數の子を生む動物では、單に生んだだけでは、まだ種屬維持の見込が附いたとはいへぬ。必ず之を教育して競爭場裡に出しても、容易に敗ける患[やぶちゃん注:「わづらひ」。]はないといふまでに仕上げなければならぬ。されば教育ということは、生殖作用の追加とも見るべきもので、その目的は生殖作用と同じく、種屬の維持繁榮にあることは、少しも疑を容れぬ。
以上述べたことは、生物學上明な事實であるが、之を人間の場合に當て嵌めて見てもその通りで、教育書には、教育の目的は完全なる人を造るにあるとか何とか、種々高尚な議論が掲げてあるに拘らず、實際に於ては總べて種屬の維持繁榮を目的として居る。尤も[やぶちゃん注:底本は「最も」であるが、特定的に訂した。]こゝに種屬といふのは動物學上の種屬ではない。人間の造つて居る種々の團體のことで、この團體に幾つもの階段があるから、教育の目的も之を行ふ團體次第で多少異ならざるを得ない。例へば一家でその子弟を教育するのは、現在の一家の主なる人々が死んでも、後に一家を繼續するものを遺すためで、一藩でその子弟を教育するのは、現在の藩士が死んでも、後に之を繼續するための立派なものを遺すためである。また一國がその子弟を教育するのは、現在の國民が死んでも、その後に世界列國の競爭場裡に立ち、立派に一國を維持し且榮えて行くだけのものを遺すためである。完全な人を造るとか、人間本來の能力を發展せしめるとかいふ文句は、如何にも立派に聞えるが、實は極めて漠然たるいひ方で、完全な人とは如何なるものか、人間本來の能力とは何かと押して問へば、その答は決して一樣でなく、その定義を定めるためにまた種々の議論が出て、益〻實際から遠ざかるやうになる。然るに實際に於ては議論の如何に拘らず、知らず識らず生物學上の規則に隨ひ、こゝに述べた如くに、皆種屬の維持繁榮を目的として居るのである。
從來の所謂教育學といふものは、哲學などと同樣に、たゞ思考力ばかりに依賴して考へ出したもの故、哲學と同じく、十人寄れば十種の學説が出來、相似た説を持つたものは集まつて學派を造り、互に爭つて孰れが正しいか、分からぬやうであるが、學派が幾つもあつて相爭つて居るやうでは、孰れを取るにしても直に之を應用するのは甚だ不安心なことである。一時はヘルバルトでなければならぬやうにいふたかと思ふと、その次にはまた全く之を捨てて他の新説を取るといふやうな世の有樣を見ると、所謂教育學説といふものを學ぶのは全く無益な骨折で、之を基礎として、その上に論を立てるのは大なる誤謬の原因であると思はざるを得ぬ。生物進化論が確定して、人間の位置の明になつた今日では、單に思考力のみに依賴して考へ出した説は、先ず根據のない空論と見倣すの外はないから、教育學も今後は舊式哲學・形而上學などとは全く緣を斷ち、生物學・社會學等の基礎の上に、實驗的研究法によつて造り改めなければ、到底長く時世に伴うて進步して行くことは出來ぬであらう。
[やぶちゃん注:「ヘルバルト」ドイツの哲学者・心理学者・教育学者であったヨハン・フリードリヒ・ヘルバルト(Johann Friedrich Herbart 一七七六年~一八四一年)。少なくともドイツ語圏に於いて教育学の古典的人物の一人と見做される人物。家庭教師の教育下に幼少時より哲学への関心を抱く。私塾で自然科学を学び、ギムナジウム在学中に人間の意志の自由に関する論文を書き(一七九〇年)、卒業生代表として「国家において道徳の向上と堕落を招来する一般的原因について」の演説を行う(一七九三年)など、早くから非凡さを発揮した。イエナ大学で法律を学び、そこでフィヒテの哲学に影響を受ける一方、ゲーテ・シラー・ヘルダーの住むワイマールを訪れては、芸術的素養を身につけた。卒業後の三年間、ベルンのシュタイゲル家の家庭教師となったが、グルンドルフにペスタロッチを訪ねたこと(一七九九年)ことなどを契機として、関心が教育学へと向かい、後、ゲッティンゲン大学で教育学・倫理学・哲学を講じ(一八〇二年~一八〇九年)、主著「一般教育学」(一八〇六年)・「一般実践哲学」(一八〇七)を著した。ケーニヒスベルク大学に招かれて名誉あるカントの講座を継承し(一八〇九年)、「心理学教本」・「哲学綱要」を著す一方、教育セミナーや実験学校を付設して、教育実践面にも活躍した。一八三三年、再び、ゲッティンゲン大学に招かれ(一八三七年まで)、教育学体系を基礎づけた「教育学講義綱要」(一八三五年)を著し、教育の目的を倫理学に、方法を心理学に求めて、多面的興味の喚起を唱えた。ツィラー(Tuiskon Ziller 一八一七年~一八八二年)によって五段階に発展させられた教授法とともに明治二十年代(一八八七年~一八九六年)に日本に紹介され、谷本富(とめり 慶応三(一八六七)年~昭和二一(一九四六)年:讃岐国高松生まれ。松山公立病院附属医学所、同人社を卒業後、帝国大学文科大学の選科生となり、哲学全科を修了、さらに特約生教育学科で御雇教師ハウスクネヒトからヘルバルト教育学を学んだ。但し、彼は明治三三(一九〇〇)年から三年間、ヨーロッパに留学し、帰国後、京都帝国大学理工科大学講師に就任、一九〇六年刊の「新教育学講義」は留学の成果であったが、それまでのヘルバルト一辺倒から転じ、新教育を強く提唱している。明治三八(一九〇五)年に文学博士、翌年に京都帝国大学文科大学教授となり、新設の教育学教授法講座を担当、一九一〇年には再び海外に留学している。しかし、大正元(一九一二)年九月、『大阪毎日新聞』紙上で乃木希典の殉死を、その古武士的質祖・純直な性格はいかにも立派なるにも拘わらず、なんとなくわざと飾れるように思われて、心ひそかにこれを快しとしなかった、などと批判したことから、強い非難を浴び、翌年、兼任していた大谷大学・神戸高等商業学校を辞任、さらに同年八月には京都帝国大学総長澤柳政太郎により、谷本を含む七教授が辞表提出を強要されて辞職に追い込まれた。その後は著述家・論客として活動、龍谷大学講師・大阪毎日新聞社顧問を務めた。ここはウィキの「谷本富」に拠った)を中心として大きな影響を及ぼした(以上は小学館「日本大百科全書」をベースとした)。]
教育は種屬維持のために必要であるが、人間は種々の團體を造つて生活するもの故、實際教育するに當つては、如何なる團體の維持繁榮を目的とすべきかを明瞭に定めて置かねば功がない。漠然たる文句で教育の目的をいひ表して置くことは、單に理論の場合には差支がないかも知れぬが、教育は一日も休むことの出來ぬ實際の事業故、單に一通りにより意味の取れぬ極めて判然たる目的を常に目の前に定めて置くことが必要である。さて人間の生存競爭の有樣を見るに、團體には大小種々の階級があるが、競爭に於ける最高級の單位は人種といふ團體で、人種と人種との間にはたゞ强いものが勝ち、弱いものが敗けるといふ外には何の規則もないから、自分の屬する人種が弱くなつては、他に如何に優れた點があつても種屬維持の見込はない。それ故、實際教育するに當つては人種といふ觀念を基として、人種の維持繁榮を目的とせねばならぬ。生物界では分布の廣い生物種屬は必ず若干の變種を生ずるもので、變種は尚一層進めば獨立の種となるもの故、斯かる種屬は初め一種でも後には必ず數種に分れ、互に劇しく競爭して、その中の少數だけが、後世まで子孫を遺すことになるが、人間の如きは最も分布の廣い種屬で、既に多數の人種に分れて居ること故、今後は益〻人種間の競爭が劇しくなり、適するものは生存し、適せぬものは亡び失せて、終には僅少の人種のみが生き殘つて地球を占領するに違ない。この競爭は今から始まるわけではなく、既に從前から行はれて居たことで、歷史以後に全く死に絶えた人種も幾らもあり、將に死に絶えんとする人種も澤山にある。今日の所で、後世まで子孫を遺す見込のあるものは、ヨーロッパを根據地とする若干の人種とアジヤの東部に住んで居る若干の人種と僅に二組に過ぎぬ。されば如何なる種類の教育でも、常にこれらの事實を忘れず、他の生物の存亡の有樣に鑑み、進化論の説く所に隨つて、專ら自己の屬する人種の維持繁榮を計らねばならぬ。
[やぶちゃん注:丘先生が敢えてロシア(ソヴィエト)とアメリカ合衆国を挙げておられないのがすこぶる面白い。検閲を配慮したか。]
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