明恵上人夢記 77
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一、同十一月八日の夜、夢に云はく、説戒之(の)時、每日、人數(にんず)、倍(ばい)する也。常住之(の)人の外に、客僧、加はると思ふ。又、人、有りて云はく、「然(しか)なり。」と云々。又、溫室(うんじつ)に入りて、數多(あまた)の人數(にんず)と沐浴すと云々。
[やぶちゃん注:承久二(一二二〇)年十一月八日と採る。
「説戒」(せっかい)は受戒(出家や在家の者など、それぞれの立場で守るべき戒を受けること)を求める者に戒律を説くことであるが、特に半月毎に同じ地域の僧を集め、戒本を読み聞かせ、自身を反省させ、罪を告白させる集まりを謂う。布薩(ふさつ)とも呼ぶ。
「客僧」「かくそう・きゃくそう」(現代仮名遣)二様に読める。私は「かくそう」(特に原義はそれがよい)と読みたい口である。原義は「修行や勧進のために旅をしている行脚僧」であるが、他に「余所の寺や在俗の家に客として滞在している僧」を指す。ここは原義に加えて派生の意も含むと採った方が自然な気がする。
「溫室」寺院で湯浴(あ)みをするための建物。湯殿であるが、実用的なそれよりも行の一環として僧に湯浴みをする場所と採った方が、「沐浴」の意とともに私には腑に落ちる。鎌倉時代のそれは、概ね、湯を湛えたものが配置された蒸し風呂形式のもので、湯槽に入る形ではないので注意されたい。]
□やぶちゃん現代語訳
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承久二年十一月八日の夜、こんな夢を見た――
説戒の時、毎日、前の日の倍の人数が、これ、押し寄せて来る。常住の僧の以外に、数多の客僧(かくそう)が、これ加わっていると思われる。また、ある人の側にあって曰く、「その通りである。」と……また、温室(うんじつ)に入っても、そこには、これまた、驚くほど数多(あまた)の人々がいて、彼らとともに、私も沐浴するのであった……