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2018/07/20

譚海 卷之二 阿蘭陀通事西長十郞事

 

阿蘭陀通事西長十郞事

○紅毛(こうもう)通事に西長十郞と云(いふ)者あり。野州栃木領の者成(なり)しが、放蕩にて産を破り長崎まで浪牢(らうらう)せしが、生質(きしつ)器用成(なる)ものにて、阿蘭陀の言語をよくし、後々をらんだ通事西某といふものの弟子と成(なり)て、其氏(うじ)を名乘(なのる)ほどの者に成(なり)、通詞(つうじ)役の末席にも缺(かか)ざるほどの者にて有(あり)。每年おらんだ人江戸へ御禮(おんれい)に來(きた)る時は、長十郞も度々(たびたび)同行し、をらんだ人逗留の内に栃木へも立越(たちこし)、妻子にも年々對面せしと也。或年をらんだ人長崎の御暇(おいとま)相濟(あひすみ)出立(しゆつたつ)のせつ、いつも通詞の人計(ばかり)は船中まで送り行(ゆき)て、酒宴を催し別(わかれ)を敍する事なれば、例の如く諸通詞の者送り行(ゆき)、三里計(ばかり)沖に有(ある)をらんだ船まで行(ゆき)て、酒を酌(くみ)かはしたるに、おらんだ人殊の外悦び、年々各方(おのおのがた)の御引𢌞しにて御用無ㇾ滯(とどこほりなく)相勤め忝(かたじけなく)、此御禮には何にても御望(おのぞみ)の物本國より仕送(しおく)り遣(つかは)すべき由を申(まうし)けるに、みなみな種々の物を賴み遣しける中に、此長十郞戲(たはむれ)に申けるは、われら外に願ひはなけれども、御存じの如く、二三年に一度づつは江戸へ御同道し、逗留の内に在所へも罷越候(まかりこしさふらふ)て、妻子の安否をも問(とひ)侍りしが、我ら事(こと)近年間違(まちがひ)候て六年ほど江戸へ參らず、在所の安否もしれかね候、此(これ)のみ心にかゝり候、是(これ)を知(しり)たき外(ほか)願(ねがひ)はなく候と申ける時、をらんだ人聞(きき)て其安否をしられん事はいと安き事なれども、構(かまへ)て他言(たごん)ありてはならぬ事也といひければ、長十郞此安否しられ申(まうす)事ならば、如何樣(いかやう)の誓言(せいごん)にても立申(たてまうす)べしとて申(まうす)にまかせてちかひをたてける時、和蘭陀人さらばこゝは各方(おのおのがた)のみにて、隔心(へだてごころ)なき事なれば苦しからずとて、やがて大きなる瀨戸物の鉢をとりよせ、其内へ水をたゝへ、長十郞に申けるは、此内を目(ま)たゝきせず能(よく)見すまし居(を)らるべし、在所の安否おのづから知られ侍るべしといひければ、長十郞不思議に思ひながら鉢の内をみつめ居(をり)たれば、水中に栃木道中の景色出來(いでき)、再々(さいさい)其道を行(ゆく)に村舍(そんしや)林木(りんぼく)まで悉く見へければ、餘念なく面白く見入(みいり)たるに、終(つひ)に道中をへて我(わが)在所の門(かど)に至りぬ。門(かど)普請(ふしん)有(あり)て入(いり)がたき樣子なれば、我(わが)家(いへ)の垣の外に木のありたるに上(のぼ)りて、家の内を見入(みいり)たれば、女房縫針(ぬひばり)に精を入(いれ)てうつむき居(ゐ)たり。我(わが)方(かた)をみむくかと見とれて居(ゐ)たるに、漸(やうやく)半時斗(ばか)り過(すぎ)てぬひものを止(や)め、ふと我(わが)顏を見合(みあは)せたれば、うれしく物いはんとするに、女房も驚き詞(ことば)を出(いだ)さんとする時、此阿蘭陀人そのまゝ手を鉢の内へ入(いれ)、くるくると水をかきまはしたれば、在所の景もうせ、長十郞も正氣付(しやうきづ)たるやうにて首(かうべ)をあげ、扨(さて)も扨も今少し殘念なる事也(なり)、妻に逢(あひ)てものをいはんとせしに、水をかき𢌞し失はれし事、千萬(せんばん)殘(なご)り多き事也(なり)と申せしかば、其(その)事也(なり)、今そこにて詞(ことば)をかはさるれば、兩人の内に壹人(いちにん)命(いのち)をたもつ事あたはず、さるによりて詞をかはさんとせらるゝを見てとり、うしなひ進(しん)じたる也(なり)といへり。是(これ)紅毛人(こうもうじん)いか成(なる)術をもちて如ㇾ此(かくのごとき)事をなすや、今に怪(あやし)みにたへざる事也。後年(こうねん)長十郞江戸へ來りし序(ついで)、在所へ越(こし)右(みぎ)物語りをせしかば、女房申けるは、成程其の月日在所へをはして垣の外に居(ゐ)給ふをみて、詞をかけんとせしが、俄(にはか)に夕立(ゆうだち)降出(ふりいで)て見うしなひ侍りしといひけるよし、不思議成(な)る物語也(なり)。

[やぶちゃん注:これは以前、柴田宵曲 妖異博物館 「飯綱の法」の注で電子化している。宵曲のそれは幻術系統の話柄群をコンパクトに纏めたものなので、未読の方は参照されたい。

「我ら事近年間違候て」「間違」は職務上のミスのことか。刑事罰に処するほどのものではないが、御用に関わる有意に問題のある大失態であったことから、江戸への出張が六年も留め置かれたものか。

「隔心(へだてごころ)なき事なれば苦しからず」幻術(恐らくはかなり高度な催眠術)を用いた場合、それが上役である長崎奉行らに知れれば、バテレンが悪魔の術を用いるのを容認するどころか、こちらから望んだということが知れて、通事らは勿論、このオランダ人の所属する組織が日本との関係を絶たれることになる。「通事らの中にそうした告げ口をして、上役の覚え目出度きを求めるような卑怯な心の持ち主はいないことは私(このオランダ人)もよく承知していますから、よろしい! やって進ぜましょう!」の意。

「門普請有て」玄関の門の修理が行われていて。

「うしなひ進じたる也」(孰れかのお命に係わるものなればこそ)術で見えていたものを即座に消失させ申したのである。]

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