諸國里人談卷之四 印杦
○印杦(しるしのすぎ)
和州三輪に印杦といふあり。相傳ふ、伊勢國奄藝(あきの)郡の獵人(かりうど)、異(ことなる)女に逢(あひ)て一子を儲(まう)く。後、母子ともに行方(ゆきかた)しらず。
戀しくは尋ても見よわが宿は三輪の山もと杦たてる門〔かど〕
此哥を殘せり。夫(をつと)、神木のもとにこれを尋求(たづねもと)めて、三人、同じく、神となる。當社の祭に勢州奄藝郡(あきのこほり)の人、來て、これを行ふは此謂(いゝ[やぶちゃん注:ママ。])なりと云り。又、「日本紀」・「舊事記」等の説あり。
[やぶちゃん注:現在の奈良県桜井市三輪の大神(おおみわ)神社にある、三輪の大神の示現(=「印」)した杉(「杦」は「杉」の行書体から作られた俗字)、「神の坐(ま)す杉」とされてきた杉(但し、当初は神杉として信仰されていた境内地の七本の杉のことを指していたらしい)。現在は杉も根本だけが覆屋の下に残っている。「大神神社」公式サイト内のこちらやグーグル・マップ・データの「しるしの杉」の左コンテンツの写真を見られたい。
「伊勢國奄藝(あきの)郡」「奄藝」「安藝(安芸)」であるが、ここの郡名は「あけ」と読むのが正しい。郡域はウィキの「安芸郡(三重県)」の地図で確認されたいが、現在の津市の一部(河芸町各町・大里各町・高野尾町・安濃町各町・美里町各町)と亀山市の一部(楠平尾町・関町萩原・関町福徳)である。
「戀しくば尋ても見よわが宿は三輪の山もと杦たてる門」この歌、「古今和歌集」の「巻第十八 雑歌下」に「よみ人しらず」で載る一首(九八二番)、
わが庵(いほ)は三輪の山もと戀しくは訪(とぶら)ひ來ませ杉たてる門(かど)
の異形。岩波新古典文学大系の注によれば、この歌は『中世には三輪明神の歌とされた古今伝授秘伝歌』であり、『もとは三輪の巫女(みこ)に関する歌謡』であったか、とする。
『「日本紀」・「舊事記」等の説あり』「舊事記」は「くじき」と読み、「先代舊事本紀」のこと。全十巻。天地開闢から推古天皇までの歴史を記述する。序文には聖徳太子・蘇我馬子らが著したとするが、偽書で、大同年間(八〇六年~八一〇年)以後(九〇四年~九〇六年以前)に成立したと考えられている。但し、この「説」というのは三輪山伝説のことを指しているのであろうが、具体的に「日本書紀」及び「先代旧事本紀」のどこのどういう内容を指しているのかは私にはよく判らない。]