明恵上人夢記 73
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一、同廿六日の夜、一向に、三時、坐禪す。夢に、一つの大きなる山より、懸樋(かけひ)、通ふ。其の源は遼遠にして、予の頂(いただき)の上に當(あた)る。水、殊に偉大(とほじろし)と云々。又、其の曉、一つの大きなる蟲有り。形、蜈(むかで)の如し。崎山の尼公の手を、させり。十藏房、有りて、之を去らむと欲すれども、能くせず。高辨、之を去らむと欲すれば、逃れて奧へ入らむと欲す。卽ち之を拂ひ去る。
[やぶちゃん注:前に徴して、承久二(一二二〇)年十月二十六日と採る。
「一向に」只管(ひたすら)に。
「三時」は六時〔六分した一昼夜〕を昼三時と夜三時に纏めたもの。晨朝(じんじよう)・日中・日没(にちもつ)を昼三時、初夜・中夜・後夜を夜三時という。則ち、夜を徹して座禅したのである。
「偉大(とほじろし)」底本のルビ。このような形容詞は私は聴いたことがない。非常に強く畏れ多い偉大なる精神のパワーを以って脳天から脳髄及び全身に滲み徹ってくることを謂うか。
「形、蜈(むかで)の如し」形は百足(むかで)に似ているが、百足ではないのである。
「崎山の尼公」底本注に『湯浅宗重女。崎山良貞室』とある。明恵の母の妹の信性尼(伯母とする記載もある)。既注であるが、再掲しておくと、崎山良貞(?~元久元(一二〇四)年)は明恵の養父で、紀州有田川下流域を支配した豪族。明恵の庇護者でもあり、彼の没後、未亡人であった彼女によって、良貞の屋敷が寺として明恵に寄進されてもいる。
「十藏房」「52」夢に既出であるが、不詳。ただ、そこでも記した通り、この少し後に出る、「夢記」の中でも女性性の強く暗示される重要な夢の一つ、通称「善妙の夢」(承久二(一二二〇)年五月二十日の夢。以下で記載時制が逆転している)で唐渡来の香炉を明恵に渡すのがこの十蔵房で、同夢では明恵にある種の開明を示す立場にあるように読めるから、私には弟子とは読めない。
「高辨」明恵の法諱。]
□やぶちゃん現代語訳
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承久二年十月二十六日の夜、只管、三時通して、座禅した。その最中、こんな覚醒夢を見た――
一つの大きな山から、長大な筧(かけい)が通っている。
その筧の源は遙か遠くであって、その下端は私の頭の頂きの上に当たってある。
そこを流れ下って落ちる水は、これ、殊の外、何か、強く、畏れ多く、偉大な精神の力を以って、私の身内に深く徹して滲み渡ってくることが感じられ……
また、その暁方に、やはりこんな別の覚醒夢を見た――
一つの異様に大きな虫がいる。形は、蜈蚣(むかで)に似ている。
崎山の尼君の手を、刺した。
傍らに十蔵房がいて、これを除き去ろうとしたけれども、上手く出来ない。
私こと高弁が、これを除き去ろうとすると、その虫は逃げて、奧の方へと逃げ入ろうとする。
しかし、私は、首尾よく、これを払い去ることに成功する。