大和本草卷之八 草之四 鹿尾菜(ヒジキ)
【和品】
鹿尾菜 順和名比須木毛伊勢物語ニヒジキモヲ哥
ニヨメリ海中石ニ附テ生ス圓ニ乄末尖ル乾セハ黑色ナリ
煮テ食ス貧民米ニマシヱテ飯トシ粮ヲ助ク
○やぶちゃんの書き下し文
【和品】
「鹿尾菜(ヒジキ)」 順が「和名」に、『比須木毛(ヒズキモ)』。「伊勢物語」に「ひじきも」を哥によめり。海中、石に附きて生ず。圓〔(まどか)〕にして、末、尖る。乾かせば、黑色なり。煮て食す。貧民、米にまじゑて飯とし、粮〔(かて)〕を助く。
[やぶちゃん注:褐藻綱ヒバマタ目ホンダワラ科ホンダワラ属ヒジキ Sargassum fusiforme。長さ三十~八十センチメートル、時に一メートルに達するものもある。主枝は円柱状で太さは三~四ミリメートルである。宮下章氏の「ものと人間の文化史 11・海藻」の「第二章 古代人海藻」の「鹿尾菜(ヒズキモ・ヒジキモ)」によれば、『庶民にはよく食べられていたに違いない』『が、支配階級には余り食べられなかったらしく、記録に見られることが少ない。養老令』(天平宝字元(七五七)年施行)『では貢物に指定されていないが、延喜式』(完成は延長五(九二七)年であるが、施行は康保四(九六七)年)『になってから貢納品に選ばれた。しかし貢納価値は低かった。志摩国の名産なので伊勢神宮の神饌に選ばれ、後世』、「伊勢ひじき」『として有名になる素地は古代からできていた』とする。かつては旧態然とした形態分類から Hizikia 属として独立させていたが、現在はご覧の通り、分子系統学的研究によってサルガッスム(ホンダワラ属)に移されている。春から初夏にかけての磯(潮間帯)の風物詩的な存在と言える。生体時は幼体はやや緑色が多いが、成体になると、全体に薄い褐色を呈する。言わずもがなであるが、加工されたようには黒くはない。なお、近年、本種が無機ヒ素の含有率が有意に高いことから、多くの国で警告がなされていることはかなり知られている。ウィキの「ヒジキ」によれば、二〇〇一年十月、『カナダ食品検査庁』『は、発癌性のある無機ヒ素の含有率が、ヒジキにおいて他の海藻類よりも非常に高いという報告を発表し、消費をひかえるよう勧告した』。『これは複数の調査によって裏付けられ』、『イギリス』『・香港』『・ニュージーランドなどの食品安全関係当局も同様の勧告を発表した』。しかし、『一方、日本の厚生労働省は』、二〇〇四年七月、『調査結果のヒ素含有量からすると、継続的に毎週』三十三グラム『以上(水戻しした状態のヒジキ。体重』五十キログラム『の成人の場合)を摂取しない限り』、『世界保健機関(WHO)の暫定的耐容週間摂取量を上回ることはなく、現在の日本人の平均的摂取量に照らすと、通常の食べ方では健康リスクが高まることはない、との見解を示した。また、海藻中のヒ素による健康被害があったとの報告はないとした』とある。ともかくも、福島第一原発の放出した放射性物質による癌発症リスクの方を心配した方が遙かに現実的である。
『「伊勢物語」に「ひじきも」を哥によめり』第三段。
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むかし、男、ありけり。懸想(けさう)しける女のもとに、「ひじき藻」といふ物をやるとて、
思ひあらば葎(むぐら)の宿に寢(ね)もしなむ
ひしきものには袖をしつつも
二條の后(きさき)の、まだ帝(みかど)にも仕うまつりたまはで、ただ人にておはしましける時のことなり。
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この歌は後の「大和物語」百六十一段にもほぼ同様の話として載る。「ひしきもの」は贈った「ひじき藻」を詠み込みつつ、「引き敷き物」、逢瀬の「褥(しとね)」を掛けて主意の共寝を詠った。「二条の后」は在原業平の悲恋の相手藤原高子(たかいこ:清和天皇の女御となり、後に皇太后となった陽成天皇の母)。]
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