譚海 卷之二 明智日向守墓幷石川五右衞門の手のかたの事
明智日向守墓幷石川五右衞門の手のかたの事
○京都三條通白川橋の出(で)はづれ、九臺町といふ所に弓屋と云(いふ)茶屋有。その裏に古き墳墓あり、是(これ)明智日向守の墓也とぞ。又山崎(やまざき)寶寺(たからでら)の門のはしらに人の手の跡あり。是は盜人石川五右衞門なる者の手のかた也といへり。
[やぶちゃん注:前者は明智光秀の首塚と伝えられる、現在の京都府京都市東山区梅宮町(ここ(グーグル・マップ・データ))にあるもの。但し、実際の首塚は粟田口附近にあったもので、ここは移転した供養地に過ぎない。
「山崎寶寺」京都府乙訓郡大山崎町(おおやまざきちょう)にある真言宗天王山又は銭原山(古くは「補陀洛山」と称した)宝積寺(ほうしゃくじ)。ここ(グーグル・マップ・データ)。『聖武天皇が夢で竜神から授けられたという「打出」と「小槌」(打出と小槌は別のもの)を祀ることから「宝寺」(たからでら)の別名があ』る、とウィキの「宝積寺」にあった。この寺の「石川五右衞門なる者の手のかた」は現存しない模様。南西ごく直近にある大阪府三島郡島本町(ここ(グーグル・マップ・データ))にある水無瀬神宮神門にならば、「石川五右衛門の手形」が現存するから、これの誤伝かも知れぬ。どどんぱ氏のブログ「無計画的日常譚」の「石川五右衛門の手形が! 水無瀬神宮」に写真有り。どどんぱ氏によれば、『この神社に祀られた名刀を盗もうとしていた石川五右衛門が結局盗むことができず、手形だけを残して立ち去った』とある。]

