諸國里人談卷之四 遊行柳
○遊行柳(ゆぎやうやなぎ)
下野國芦野(あしの)にあり【奧州の界〔さかひ〕。】。柳のもとに、淸潔の淸水(しみづ)、流れたり。傍(かたはら)に社(やしろ)あり。「溫泉(ゆぜん)大明神」と号(がうす)。
道のべの淸水流るゝ柳陰しばしとてこそ立とまりけれ
西行
此歌よりの名木也。然れば「西行柳」といふべかりけるを、うたひ物に、柳の精靈(せいれい)、遊行上人に逢(あひ)たると云〔いふ〕附會の説より「遊行柳」と云。
[やぶちゃん注:本条の挿絵がここに載る(①)。但し、キャプション(上部欄外左)は「道邊の柳」(「邊」は「連」のようにも見えなくもないが、以下の西行の歌から「邊」で採る)。これは私としてはまず、私の『今日のシンクロニティ「奥の細道」の旅14 遊行柳 田一枚植ゑて立ち去る柳かな』を読んで戴きたく思う。
「下野國芦野(あしの)」現在の栃木県那須郡那須町芦野。「遊行柳」は現在、国指定の「おくのほそ道の風景地」の名勝の一つとなっている。ここ(グーグル・マップ・データ)。流石に、これについてのネット記載は有象無象あるが、私はmaki ken氏のサイト「BeNasu那須高原の歩き方」の「おくのほそ道 田の畦に立つ芦野 遊行柳」が写真も豊富でお薦めである。
「溫泉(ゆぜん)大明神」(原本は「ゆせん」)近くには芦野温泉もあるが、こう称するのは殺生石のそばにある温泉(ゆぜん)神社である。「遊行柳」からは北西十九キロメートル弱であるが、いわば那須一帯の温泉の総元締め的存在であり、「遊行柳」の近くには温泉神社の相殿八幡宮(現在、温泉神社)がある。ここ(グーグル・マップ・データ)。
「道のべの淸水流るゝ柳陰しばしとてこそ立とまりけれ」西行の名吟とされ、「新古今和歌集」の「巻第三 夏歌」に載る(二六二番)が、「けれ」は「つれ」の誤り。
題しらず
道の邊(べ)に淸水ながるる柳蔭しばしとてこそ立ちどまりつれ
「西行法師家集」では初句を「道の邊の」である。また、この歌は「山家集」には見えない。なお、「新古今和歌集」のそれは二首で後に(二六三番)、
よられつる野もせの草のかげろひて涼しくくもる夕立の空
とある。
「うたひ物」謡曲「遊行柳」世阿弥の名作「西行桜」に対抗して、晩年の観世信光が書いた複式夢幻能。初演は永正一一(一五一四)年。西行の掲げた「道のべに」の和歌を骨子として、歌に詠まれた老いた柳の精が閑寂な風情をみせる高度な能。奥州に至った遊行上人(ワキ)(時宗の総本山である清浄光寺(遊行寺)の歴代住職の称。これを一遍上人と比定断定する記載をネット上には見かけるが、それは全くの誤りである。冒頭のワキの「名ノリ」に『われ一遍上人の教へを受け』とあるからである)の前に、老人(前シテ)が現れて、先代の遊行上人の通った古道に案内し、西行の歌に名高い朽木(くちき)の柳という名木を教え、上人から十念を授かると柳のあたりに姿を消す(中入)。里人(間(あい)狂言)が出て、上人に柳の物語をして退く。上人の念仏のなかに、柳の精(後シテ)が白髪の老翁の姿で現れ、和漢の柳の故事を物語り、報謝の舞を舞って消える(以上は概ね小学館「日本大百科全書」に拠った)。]