譚海 卷之二 風顚といふ玉の事
風顚といふ玉の事
○風顚(ふうてん)と云(いふ)もの、蠻物(ばんぶつ)にて海鶴の胸骨也(なり)とぞ。下野(しもつけ)の秋谷其(その)印籠(いんろう)の緒(を)しめにせしをみしに、色はうすき黃にして、先にて一點まろき痕(あと)有(あり)。此まろき點至(いたつ)て赤く見(みゆる)事也(なり)。その餘はめだつ色にあらず。こはくよりは色淺く、少し黑色を得たり。
[やぶちゃん注:「風顚」不詳。叙述からは何かが封入されてしまった琥珀のように思われる。江戸時代から近代までは「瘋癲」で精神疾患や異常性格を意味したから、同じニュアンス、見かけない偏奇なものの謂いであろう(琥珀の中には希少なタイプのものは幾らもある)。「フーテンの寅」の定職に就かない流浪者の謂いは現代のものと思われるので、ここにはその意味はない。
「蠻物」南蛮渡来の品。
「海鶴」こういう漢名・和名の鶴及び鳥はいない。海を渡る鶴か。だったら、如何にも蓬莱山に渡りをする神仙の乗り物っぽく、風狂人が好んで騙されそうな代物とは思われる。
「下野(しもつけ)の秋谷」不詳。
「印籠」腰に下げる長円筒形の三重乃至は五重の携帯用の小匣(こばこ)。元は室町時代に印・印肉を入れていた容器であったが、江戸時代には薬を入れるようになった。表面に漆を塗り、蒔絵・螺鈿・堆朱(ついしゅ:朱漆を何回も塗り重ね、厚い層を作り、そこに文様を彫刻したもの。中国で剔紅(てきこう)と称して特に宋代以降に盛行、本邦には鎌倉時代に伝来して室町以降に国産での制作が始まったとされる)などの細工を施し、緒には緒締め・根付が附属する。]