諸國里人談卷之四 皷瀧【蛛滝 有明櫻 屏風岩 高塚淸水】
○皷瀧(つゞみのたき)【蛛滝 有明櫻 屏風岩 高塚淸水】
攝津國有馬郡湯本の南八町ばかりにあり。水の落(おつ)る音、皷の聲(こへ[やぶちゃん注:ママ。])に似たり。よつて此名あり。それより八町山奧に「蛛滝(くもたき)」といふあり。蛛の網をはりたるごとくに、四方へちりて落(おつ)る也。「皷の瀧」の傍(かたはら)に「有明櫻」と云〔いふ〕名木あり。○「屏風岩(びようふういわ[やぶちゃん注:ママ。])」。「四十八瀨川」の内にあり。弘法大師六字の名号を書(かき)給ふ。雨降りて濕(うるほひ)せば、今以〔いまもつて〕見ゆるなり【高〔たけ〕五丈斗〔ばかり〕の大石也。】。○「高塚(こうづか)の淸水(しみづ)」と云〔いふ〕冷水あり。秀吉公、有馬入湯の時、茶の湯の水とす。
[やぶちゃん注:「皷瀧」有馬温泉温泉街から南南西へ直線で八百八十メートル圏内(「南八町」(八百七十三メートル))の位置にある。ここ(グーグル・マップ・データ)。「有馬温泉観光協会」公式サイト内の「有馬温泉マップ&周辺案内」の「鼓ヶ滝公園」によれば、『うっそうとした木々の間から、ポン!ポン!と鼓を打つかのような軽やかな落水の響きが滝壷から聞こえていたことに由来する名称です。六甲山の清らかな水がとうとうと流れ落ち、森林浴に最適です。初夏の夕暮れには蛍があたり一面をとびかうなか、涼やかなカジカの鳴き声が聞こえます』とあり、同ページに「有明櫻」の写真も載る。
『それより八町山奧に「蛛滝(くもたき)」といふあり』鼓ヶ滝の上流域には「蛛滝」は見出せない。しかし、グーグル・マップ・データで見ると、当該距離の附近には多数の砂防ダムが形成されている(ここ。或いはこれがその名残なのかも知れぬ)から、或いは滝は消滅してしまったのかも知れない。但し、その直近の上流部分には「滑滝」・「白石滝」・「七曲滝」・「蟇滝」がある。「蟇」がありゃ「蜘蛛」もあろうと思われる。
「屏風岩」不詳。「四十八瀨川」(現在の大多田川。後注参照)の川中に存在し、「弘法大師」が「六字の名号」(「南無阿彌陀佛」であろう)を書いたもので、今でも「雨降りて濕(うるほひ)せば」見える、高さ「五丈斗」(十五メートル強)の「大石」という条件を満たすものは蓬莱峡の小屏風岩や大屏風岩であろうか。但し、調べると後者の高さは四十~五十メートルもある(前者はその半分とあるから、或いは小屏風岩のことを指すか?)し、今は弘法大師の話も見当たらず、専らロック・クライミングの記事ばかりだから、ここじゃあないのか? 識者の御教授を乞う。
「四十八瀨川」当時、有馬温泉に向かう一般的なルートは、生瀬(なまぜ:現在の兵庫県西宮市生瀬町(なまぜちょう))の宿から有馬街道を辿るのが一つであった。有馬温泉の土産物店「吉高屋」店主kamejirusi氏のブログ「江戸時代の有馬温泉へ『いらっしゃ~い!』①」のこちらの記事によれば(古書・古地図の画像多く、必見)、『山崎(大山崎町)、芥川(高槻市)、郡山(茨木市)、瀬川(箕面市)、池田、米谷(宝塚市)を経て、武庫川を渡船し生瀬(なまぜ)宿に至りました。)、翌朝』、『大多田川の河原から”四十八瀬”を遡り、「座頭谷」(昔、盲人が湯治の為有馬へ行く途中迷い込み餓死したという伝説があり、今でもバス停の名前になっています。)などの難所を経て』、『やっと舟坂の休み所(現西宮市山口町船坂)に到着。暫く休憩した後、再度河原等を伝って、午後になって遂に有馬にたどり着きました』(下線太字やぶちゃん)とあり、「四十八瀬飛越の図」も示されている。則ち、「四十八瀬」とは有馬街道に併走する武庫川の支流大多田川を何度も渡渉しなければならないことを指していることが判る。実際、グーグル・マップ・データ(例えばここ)を見ると、この大多田川は現在、多数の砂防堤が設置されており、かなりの暴れ川であったことが判るのである。kamejirusi氏も続けて、『生瀬から有馬に至るこのルートは湯山道(生瀬街道)と呼ばれ、滑稽本』「滑稽有馬紀行」(文政一〇(一八二七)年刊。文・挿絵ともに浮世絵師福智白瑛(狂歌名・大根土成)作。木版墨摺三冊。滑稽本の体裁で有馬温泉を案内した手引書とkamejirusi氏の先行文にある)『でも紹介されていますが、面白いのは生瀬で間違って土橋を渡ってまっすぐ行くと丹波、播州に通じる道で、有馬へ行く湯山道(生瀬街道)は左側の大多田川の河原に下りて”四十八瀬”の道無き道を岩から岩に飛び移りながら行かないと行けなかった点で、しかも暴れ川だった』ため、『大水の度に微妙にコースが変わったそうです。(生瀬から有馬までは』二里(約八キロメートル)で、『『滑稽有馬紀行』では主人公の太郎助と才六は道を間違えて土橋を渡ってしまい、とんでもなく時間をロスしたり、四十八瀬ではずぶ濡れに成り』、『裸になりながら』、『船坂に到着するというお定まりのボケをかまします』とあるのである。
『「高塚(こうづか)の淸水(しみづ)」と云〔いふ〕冷水あり。秀吉公、有馬入湯の時、茶の湯の水とす』個人サイト「NATURAL HIGH FREAKS」のこちらで、「鼓ヶ滝」の上流に現存(二〇〇二年に再発見)することが判った(地図有り)。但し、写真を見る限りでは管理が悪く、かなり荒れている。]