諸國里人談卷之四 枝分桃
○枝分桃(ゑだわけもゝ)
安藝國新庄村と佐東(さとう)村の界(さかい)に大木の桃、一樹あり。南は新庄、北は佐東なり。此桃、佐東のかたへさしたる枝の桃は苦く、新庄のかたへさしたる枝は甘美なり。土人(ところのひと)の云〔いはく〕、「むかし、弘法大師、佐東にて桃を乞(こひ)給ふに、『此桃は甚(はなはだ)苦し。人のくらふにはあらず』と云〔いへ〕り。新庄にて乞給へば、『甘美なり』とてまいらせける、となり。故に一木に甘苦の味ひあり」とぞ。
[やぶちゃん注:弘法大師伝承にしては、これ、ショボい。佐東の側の桃を甘く変じせしめてこそ、でっしょうが!? この話、本邦の植物病理学の開拓者である白井光太郎(みつたろう)の名著「植物妖異考」(大正三(一九一四)年甲寅(こういん)叢書刊行所刊)の「上」に、本「諸國里人談」の本条を引いた上で優れた植物学的考証を添えて考証が載る(国立国会図書館デジタルコレクションの画像のここと次のページで視認出来る)。必見! そこで白井氏は桃の木の寿命から考えると、原木の実存はあり得ないとしつつも、『已ニ幾十代ヲ經タル子孫ナルコト疑ナシ、其子孫ニ代々斯ノ如キ特種ヲ遺傳セリトセバ、珍ラシキ樹ト云フベシ』と述べ、そうした遺伝でないとするなら、方向の違いによって甘苦が生ずるのは、日射量の違いによって、北の枝は温度不足のために充分な成熟が行われなかったことがまず考えられ、また、『寄生菌ノ爲ニ犯サレタルガ爲ニ苦味ヲ生スルコトモアラン』とされ、そうでなかったとしても、『接木』(つぎき)『ニヨリ一本ニ甘苦ノ果實ヲ生セシムルコト容易ナリ、其他ニハ芽ノ變性ニ由ル所謂枝變リナルモノト考フルヲ得ベシ、桃ニ就テノ記錄ハ見ザレドモ、柿ニ就テハ』「柿品」という書に記事があるとしてさらに続けて解説しておられる。白井先生の怪奇談を聴き捨てにしない、真摯な科学的考察に脱帽!!!
「安藝國新庄村と佐東(さとう)村の界(さかい)」広島県広島市西区新庄町と広島市安佐南区の間と思われる。この中央附近(グーグル・マップ・データ)。]