諸國里人談卷之四 八幡木
〇八幡木(〔はち〕まんき)
土佐國野根山(のね〔やま〕)街道の傍(かたはら)に檜の株あり。徑(わたり)一丈五尺に餘る。莚(むしろ)八疊を敷(しく)。梺(ふもと)の奈半利(なはり)村の八幡の社は、他の木を混(まじへ)ず、此一樹を以〔もつて〕、棰(たるき)・屋根板まで、悉(ことごとく)、成就す。よつて、俗にこれを「八幡木(はちまんき)」と呼(よん)で、周りに注連(しめ)を引て崇(あが)む。社(やしろ)は、方、四、五間ばかり有り。今に存ス。
[やぶちゃん注:「土佐國野根山(のね〔やま〕)街道」ウィキの「野根山街道」によれば、『高知県東部の奈半利町』(なはりちょう)『と東洋町を結んでいる尾根伝いの街道で』、奈良時代の養老年間(七一七年~七二四年)に『整備された官道で、奈良と土佐国府を結ぶ街道「南海道」の一部である。高知県安芸郡奈半利町と東洋町野根を尾根伝いに結ぶ行程約』三十六キロメートル、高低差約千メートルの街道は、古くは「土佐日記」の『著者紀貫之の入国の道として、また、藩政時代には参勤交代の通行路として使用された。現在は「四国のみち」環境省ルート』の自然歩道『として整備されている』とある。ここの尾根ルート(グーグル・マップ・データ)である。「高知県」公式サイト内の「野根山街道」がよい。但し、その詳細な案内を見ても、どうもこの霊木の「檜の株」はない。しかし、謂われを持つ「栂」の株や、巨木であった「宿屋杉」(胸高での周囲が十六・六メートル、高さ三十二メートル、樹齢千年以上だったという。昭和九(一九三三)年の室戸台風で倒壊した。巨大な株が現地に保存されてある)というのがあるから、探せば、この杉の株もあるのではないか、という気がしてくる。
「徑(わたり)一丈五尺に餘る」直径四メートル五十五センチメートル越え。
「莚(むしろ)八疊を敷(しく)」根の周囲は優に八畳分はあるということ。
「奈半利(なはり)村の八幡の社」不詳。奈半利町内には国土地理院図を見ると、七つの神社が確認出来る(グーグル・マップ・データでは、名前はおろか、神社マークさえも示されない。なんじゃこりゃ? って感じ)。奈半利駅の直近の奈半利小学校の東北近くに「八幡様」という場所をナビゲーション・サイトでは見出せるが、神社はない。近くに多気(だけ)坂本神社があるが、八幡神は祭神でない。「社は、方、四、五間」(七メートル二十八センチメートルから九メートル九センチメートル)とあるから、当時は、それなりの建物であったことが判る。或いは、明治以降に合祀統合されてしまったものか。識者の御教授を乞う。
「棰(たるき)」垂木に同じい。]