明恵上人夢記 66
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初夜の行法、子夜の行法、後夜の坐禪、早朝の行法、餘時の隨意の坐禪。
朝合三度
承久二年 同八月十一日 遮失顯德
三時始之
一、七月、
一、同九月廿日の夜、夢に云はく、大きなる空の中に羊の如き物有り。變現窮り無き也。或るは光る物の如く、或るは人躰(じんたい)の如し。冠を着け、貴人の如く、忽ちに變じて下賤の人と成り、下りて地に在り。其の處に義林房有り、之を見て之を厭(いと)ひ惡(にく)む。予之方へ向ひて將に物云はむとす。予、心に思はく、是は星宿の變現せる也。予、之を渇仰(かつがう)す。願はくは不審を決せむ。卽ち、予に語りて曰はく、「多く人之(の)信施を受くべからず。」。卽ち、之を領ず。予、問ひて云はく、「予の當來之(の)生處(せいしよ)は何所(いづこ)か。」。答へて曰はく、「忉利天(たうりてん)也。」。問ひて曰はく、「彼(か)の天に生じて、已に五欲に就著(しゆうぢやく)せずして、佛道を修行せむか。」。答へて曰はく、「尓(しか)也。」。天の云はく、「尓(なんぢ)は頭(かうべ)を燒くべからざるか。」。答へて曰く、「尓也。」。心に思はく、『後生(ごしやう)吉(よ)くして此(これ)を志さば、何にてもありなむ。現世に人の前にて、何とも在るべくはこそはと云はる。』と思ふ。又、白(まう)して言はく、「常に此(かく)の如く護持せしむべし。」。答へて曰はく、「尓也。」。卽ち、覺(さ)め了(をは)んぬ。
[やぶちゃん注:底本注に、『以下』、ずっと後の「同八日の夜、山の峯に於いて、遙かなる海の上を見ると云々」『まで「明恵上人夢記」と題する一冊』とある。冒頭部は明恵が自身に課した厳重な勤行既定のメモであるが、それが夢の前に配されていることは、その覚悟が、その後に見た自身の夢と密接な関係性を持っていると明恵が強く認識していることを示している。
「初夜」通常ならば、初夜は六時(仏家に於いて一昼夜を晨朝(じんじょう)・日中・日没(にちもつ)・初夜・中夜・後夜(ごや)の六つに分けたもの。この時刻ごとに念仏や読経などの勤行を行う)の一つである戌の刻(現在の午後八時頃)に行う勤行のことである。
「子夜の行法」「子夜」は「しや」と読んでおく。「子(ね)の刻」のことで午前零時頃に行う勤行。「中夜」は現在の午後十時頃から午前二時頃までの広汎な時制を指すので、それと同じと考えてよい。
「後夜の坐禪」現在の午前四時頃に行う座禅。「朝合三度」はこれの左注と採るならば、朝と合わせて三度の座禅ということか。ということは、朝は二度定期の坐禅を行っているということであろうか。よく判らない。
「餘時」その他の時間。
「承久二年 同八月十一日」ユリウス暦一二二〇年九月九日。「承久の乱」の前年である。
「遮失顯德」よく判らぬが、「遮失」が「遮二無二」の「遮」と同義であるとすれば、「失を断ち切る」の意で「不断に」の意か。「顯德」は仏法の徳を顕かにすると採れば、そうした厳しい徹底した勤行をこの日、「三時始之(三時(さんじ)、之れを始む)」(「三時」は先の六時の晨朝 ・日中・日没 の昼三時と初夜・中夜・後夜の夜三時を指すから、イコール、全日を指す)で、完全に隙間なく開始したという意か。
「一、七月」以下何も書かれていないから、前の時制よりも前の七月に見た夢を記そうとして、そのままになったものか。
「同九月廿日」ユリウス暦十月三十日。
「義林房」既出既注であるが、再掲しておく。明恵の高弟喜海(治承二(一一七八)年~建長二(一二五一)年)の号。山城国栂尾高山寺に入って明恵に師事して華厳教学を学び、明恵とともに華厳教学やその注釈書「華厳経探玄記」の書写校合に携わった。明恵の置文に高山寺久住の一人として高山寺の学頭と定められ、明恵の没後も高山寺十無尽院に住した。明恵一次資料として重要な明恵の行状を記した「高山寺明恵上人行状」は彼の手になる。弟子には静海・弁清などがいる(以上はウィキの「喜海」に拠る)。この奇妙な挿入シークエンスは、明恵のこの弟子に対するというよりは、彼に代表される諸々の明恵の弟子たち総てに対する、明恵の潜在的な不満或いは心的複合(コンプレクス)がシンボライズされているように読める。
「渇仰」深く仏を信じること。咽喉の渇いた者が水を切望するように仏を仰ぎ慕う意。「かつぎやう(かつぎょう)」と読んでもよいが、私は一律、「かつごう」と読むことにしている。
「不審」何故に、わざわざ私の現前にかくも現われたのだろうという明恵の疑問。
「信施」信者が仏・法・僧の三宝に捧げる布施。「しんぜ」と読んでもよいが、濁音化はこの語の場合、私は生理的に嫌いである。
「領ず」諒承した。
「忉利天」仏教の世界観に現れる天界の一種。忉利はサンスクリットのトラーヤストリンシャ
(或いはその俗語)の漢音写。「三十三天」と意訳する。須弥山(しゅみせん)の頂上には、帝釈天(インドラ)を統領とする三十三種の神が住んでおり、中央に帝釈天、四方にそれぞれ八天がいるので、合計三十三天となる。殊勝殿や善法堂をはじめ、数々の立派な建物・庭園・香樹などを備わり、一種の楽園としてイメージされている。釈迦の母が、死後、ここに転生したため、釈迦が彼女に説法するために、一時、ここに昇り、帰りに三道宝階によって地上へ降ったとされる(以上は平凡社「世界大百科事典」に拠った)。
「五欲」原義は眼・耳・鼻・舌・身が存在することから生ずる五種の欲望。色欲・声欲・香欲・味欲・触欲であるが、判り易く別に示されるものは財欲・色欲・食欲・名誉欲・睡眠欲である。
「尓(しか)也」その通りである。請けがう台詞。
「當來之生處は何所か」来たるべき来世の私の生まれ変わることになっている時空間は何処か?
「尓(なんぢ)は頭(かうべ)を燒くべからざるか」「お前は自身の脳味噌を焼かないことはないか?」か。所詮、「人としての下らぬ智などを惜しまぬことはないか?」、さらには「人としての命を失ってしまうことを惜しむような気持ちはないか?」という意味で採る。
「後生(ごしやう)吉(よ)くして此(これ)を志さば、何にてもありなむ。現世に人の前にて、何とも在るべくはこそはと云はる」――『「死後の後生が仏法に則(そく)して善きものとなる」と心から信じているならば、この現在の仮象でしかないお前がどうなろうとよいのが真理である。現世に於いて、相対的な他者に対して、何かの存在であろうなどという考えることは、それこそ、全く無意味なことである』と仰っておられるのであろう。――という意味か。]
□やぶちゃん現代語訳
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◎初夜の行法・子夜の行法・後夜の坐禅(朝と合せて三度となる)・早朝の行法・その他の時間の随意の坐禅
◎承久二年 同年八月十一日 徹底した厳格な勤行(それを日々完全に始動した)
○七月にこんな夢を見た――
[やぶちゃん注:以下、記載なし。]
○同承久二年九月二十日の夜、こんな夢を見た――
……大きな虚空の中(うち)に、羊の如き「なにもの」かが存在しているのが見える。
それは――変現の窮りなき、しかし、確かな存在――である。
それは、或いは「光るもの」のようでもあり、また、或いは人間の姿のようでもある。
冠(かんむり)を被り、貴人の如くであったかと思えば、忽ち変じて下賤の民草の姿ととなり、そうして地上へ下って、「しっか」と立った。
その附近には、私の弟子義林房が立っていたのが見えるのであるが、その「なにもの」かは、これを見て、義林房のことを――或いは、そこに義林房いることを――何故か、厭(いと)い憎んでいることが、ありありと私には感ぜられた。
そうして、その「なにもの」かは私の方に向かって、まさに何かを言わんとした。
その時、私が心に思ったことは、
『これは! 仏菩薩を守護なさる星宿の変化示現(へんげじげん)されたものである! 私は、それを心から信ずるものである! 願わくは、「何故に、かく畏くも、私の現前に現われなさったものか?」という、大いなる疑問を、これ、明らかにせずんばならず!』
という切実な思いなのであった。
すると、直ちに、「そのお方」は私に仰せられた。
「あたら、多く人の信施(しんせ)を受けてはならない。」
私は即座に、その命を肯(がえん)んじた。
そうして私は「そのお方」にお訊ねした。
「私めの、来たるべき来世の存在する所は何処(いづこ)にて御座いますか?」
と。
「そのお方」は答えて仰せられた。
「忉利天(とうりてん)である。」
と。
「そのお方」は即座に再度、私にお問いになれた。
「汝(なんじ)は、かの忉利天に転生し、既に五欲に執着することなくして、正しき仏道を修行する覚悟があるか?」
と。
私は答へて申し上げた。
「その通りで御座います。」
と、しっかりと。
「天の星宿の権現なるお方」が、また、お問になられた。
「汝は汝の脳髄が焼き尽くされて消滅することを恐れぬか?」
と。
お答えした。
「その通りで御座います。」
と、しっかりと。
その瞬時、私が心に思ったことは、
『これは――「後生(ごしょう)が仏法に則(そく)して善(よ)きものとなる」と心から信じているのであるならば、この現世のお前という存在がどのようになろうと、そんなことは、どうでもよいことなのである。現世に於いて他者の前にあって、何らかの存在であろう、ありたい、などと思うことは、これ、全く無意味なことなのである――という真理を仰せられているのだ!』
という確信であった。
そうして「そのお方」は最後に、また、仰せられた。
「常に、かくの如く、正法(しょうぼう)を護持するがよいぞ。」
と。
私は自信を持ってはっきりと答えた。
「その通りで御座います!」
その瞬間、私は夢から醒めていた。
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