進化論講話 丘淺次郎 第十八章 反對説の略評(一) 序・一 自然淘汰無能説
第十八章 反對説の略評
既に第十五章に於て述べた通り、ダーウィン以後の進化論者には、互に相反する極端説を唱へるものがあつて、一方では、生物の進化は主として後天的性質の遺傳によることで、自然淘汰の如きは殆ど何の役にも立たぬと論じ、また他の一方では、生物の進化は全く自然淘汰のみに依ることで、後天的性質は決して子に傳はらぬと論じて居るが、著者はその孰れをも採らず、自然淘汰と後天的性質の遺傳とを共に生物進化の原因と考える。卽ち自然淘汰の功力を認める點では、ヴァイズマン等に一致して、新ラマルク派には反對し、後天的性質の遺傳を否定せぬ點では、新ラマルク派と一致して、ヴァイズマン等に反對するのであるから、今こゝに反對説の略評を試みるに當つては、恰も兩刀づかひの武藝者の如くに、兩面に敵を控へて戰はねばならぬ。尤も兩面ともに、その主要なる部分に對しては賛成するのであるから、寧ろ兩面に味方を持つといふ方が適當かも知れぬが、自然淘汰の功力を疑ふ議論と、後天的性質の遺傳を否定する議論とは、孰れも推理の上に不十分な點があると考へざるを得ぬから、次に順を追うて、この二點に就き著者の説の大要を摘んで述べて見よう。
[やぶちゃん注:「ヴァイズマン」複数回既出既注。
「新ラマルク派」ネオ・ラマルキズム(Neo-Lamarckism)。ウィキの「ネオ・ラマルキズム」を主として以下に記す。「第二章 進化論の歷史(2) 二 ラマルク(動物哲學)」に紹介したラマルクの説と『同様の進化観は古くから存在していたが、その主張を明確に整理したのがジャン=バティスト・ラマルクであった。以降、ラマルクのものと解釈されるようになった彼が説明した進化論は「用不用説」と呼ばれている。生物がよく使用する器官は発達し、使わない器官は退化するという用不用の考えと、それによって個々の個体が得た形質(獲得形質)がその子孫に遺伝するという「獲得形質の遺伝」を』二『本柱としている。また、彼は、生物の進化は、その生物の求める方向へ進むものと考え、生物の主体的な進化を認めた。彼の説明は観念的であり、生物の進化と言う概念を広く認めさせることができなかったが、彼がまとめた「内在する進化傾向」や「個体の主体性」はその後現在に至るまで特に非生物学者から人気がある』『という』。『チャールズ・ダーウィンの自然選択説が』一八五九年に『発表されると、生物の進化と言う概念は大論争の後に広く認められた。しかし自然選択説が受け入れられるには長い時間がかかった。彼の説は、「同種内の個体変異が生存と繁殖成功率の差(自然選択)をもたらし、その差が進化の方向を決める」というものである。後に遺伝の法則が発見され、個体変異の選択だけではその範囲を超える進化は起こり得ないことが明らかになった。しかし直後に発見された突然変異を導入することでこの難点は避けられる。こうして、彼の元の説の難点を補正した説は次第に「総合説」、「ネオダーウィニズム」と呼ばれるようになり、現在に至っている』。『現代的な自然選択説では「個体変異から特定個体が選ばれる過程はごく機械的であり、個体変異の発生も機械的なもの」と考えて』おり、『「突然変異は全くの偶然に左右されるもの」と考えられている。つまり、「その過程に生物の意思や主体性が発揮される必要はない」と考えているのである』。『しかし、たとえば一般の人間にチョウの擬態などを見せれば、「どうやってこんなに自分の姿を他人に似せたのだろうか」といった感想がでることがある。この直感的な疑問は古くからあり、現在でも同様の感想をもつ専門家もいる。古生物の進化の系列や、野外における個々の生物の見事な適応を研究するうち、「これらを説明するためには、生物自身がそのような方向性を持っていると考えざるを得ない」とする専門家も現れた。彼らが好んだ説が生物に内在的な進化の方向を認める定向進化説である』。『また、たとえば「鳥の飛行能力などは、複数の形質がそろわなければ、そのような能力獲得が難しい」と言われることもある。そのような立場を取る人によれば「ダーウィンの説明では、この問題への解答は困難である」と見なす。中間型の機能も、「生物自身がそのような方向性を何らかの形で持っている」とする』(注『ネオ・ラマルキズムを採用しない立場では、一般的には前適応』(preadaptation:生物進化に於いて、ある環境に適応して器官や行動などの形質が発達するに当たって、それまで他の機能を持っていた形質が転用された時、この転用の過程や転用された元の機能を指す。既注。本文の次の「自然淘汰無能説」で丘先生が指摘される『作用の轉換』はそれである)『や自然選択の累積効果、共進化』(Co-evolution:一つの生物学的要因の変化が引き金となって別のそれに関連する生物学的要因が変化すること。例えば、『ある鳥が上手く飛べなくても、対抗者も上手く飛べなければ』、『生存と繁殖には問題がない』といったものを指す)『などで説明される』。)『ダーウィニズムが進化論において主流の地位を占めた後でも、獲得形質の遺伝を証明しようとする実験が何度か行われている。特に有名なのは、オーストリアのパウル・カンメラーによるサンバガエル』『の実験である』(本文で既出既注)。『彼は両生類の飼育に天才的な才能を持っていた』(注『マダラサンショウウオでも同様の実験を行っていた』(これも本文で既出既注)『と伝えられ、陸で交接を行い足に卵をつけて孵化まで保護するサンバガエルを、水中で交接・産卵させることに成功した。水中で交接するカエルには雄の前足親指の瘤があって、これは水中で雌を捕まえるときに滑り止めの効果があると見られる。本来この瘤はサンバガエルには存在しないのだが、カンメラーはサンバガエルを』三『世代にわたって水中産卵させたところ』、二『代目でわずかに』、三『代目ではっきりとこの瘤が発現したと発表した。つまり、水中で交接することでこの形質が獲得されたというのである。ところが』、『公表された標本を他の研究者が検証してみたところ、この瘤はインクを注入されたものであることが発覚。実験自体が悪質な捏造であると判断され、カンメラーは自殺した』(注『但し、公表された標本は実験中のものとは明らかに異なり、確かに瘤はできていたとの実験の途中経過を見た人による証言もある。或いは共同研究者によって何等かの理由ですり替えられたというのであるが、疑惑を持たれた研究者が(標本の検証以前に)既に亡くなっていたことから、真偽のほどは分からない。アーサー・ケストラーの言う』よう『に検証した側が捏造に関わっていたという見方もある』。この捏造事件は私の過去の注でも二度既注しているので参照されたい)。『その後、サンバガエルの水中飼育に成功した例は存在しない』。『カンメラーと同じ頃、ソビエト連邦では』果樹の新種改良を数多く手がけ、居地を冠して「コズロフの魔術師」と呼ばれた生物学者イヴァン・ヴラジーミロヴィッチ・ミチューリン(ロシア語:Ива́н Влади́мирович Мичу́ринIvan
Vladimirovich Michurin 一八五五年~一九三五年)『によって獲得形質の遺伝が力説され』(注『春化処理によるヤロビ農法の提唱者であり、春化処理による種の性質の獲得に基づく進化論を主唱した』)、『生物学界に一定の支持を得ていた。その中の一人である』ウクライナ生まれのソ連の生物学者トロフィム・デニソヴィチ・ルイセンコ(ウクライナ語:Трохи́м
Дени́сович Ли́сенко/ロシア語:Трофим
Денисович Лысенко/ラテン文字転写:Trofim
Denysovych Lysenko 一八九八年~一九七六年)『はミチューリンの理論を発展させ、これを獲得形質と判断し』、『独自の進化論を述べた。しかし、これには現象そのものの理解に問題があり、現在ではこれを支持するものはいない』(彼は社会主義理論を生物学に牽強付会させ、メンデル遺伝や遺伝子概念を否定するばかりか、自然選択をも否定することでダーウィン進化論から逸脱してしまったスターリンの幇間的似非科学者であり、彼に反対したために粛清された科学者は三千人を越えるとされる)。二〇〇〇年頃までの『分子遺伝学では、専ら「遺伝における情報の流れはDNAを翻訳して形質が発現する」とされ、「一方通行である」とされていた。この説、仮説を』「セントラル・ドグマ」(central
dogma:遺伝情報は「DNA →(転写)→ mRNA
→(翻訳)→タンパク質」の順に伝達されるという分子生物学の規定の基底概念。一九五三年にDNAの二重螺旋構造を発見したフランシス・クリック(Francis
Crick 一九一六年~二〇〇四年)が一九五八年に提唱した)『という。この仮説の枠内においては「個体が獲得した形質がDNAに情報として書き戻されることはあり得ない」とされる。つまり「獲得形質の遺伝は認められない」とする。この仮説は原則的には現在も広く認められているところである。ただし、この説は、すでに若干の例外となる現象、すなわち細胞レベルでの「遺伝子の後天的修飾」が知られるようにはなってきており、セントラル』・『ドグマが過大視されすぎたとして、それを修正するための研究が進行中である。このような研究は「エピジェネティックス」』(epigenetics:DNA塩基配列の変化を伴わない、細胞分裂後も継承される遺伝子発現或いは細胞表現型の変化を研究する学問領域の意。既注済み)『と呼ばれており、各国で盛んに研究が行われており、後天的修飾の起きる範囲は一体どの程度なのか(どの程度にとどまるのか)、その仕組みはどうなっているのか、といったことが日々解き明かされようとしてはいる』。『「進化に関して、生物の側に何等かの主体的な方向づけができるはずだ」との説も繰り返し唱えられている。たとえば』、『複数の古生物学者によって展開された定向進化説は、生物の中に、何かの形で進化を方向づける仕組みがあることを想定している。その点でこの説はラマルクの流れを汲むものといってよい。今西錦司の』「棲み分け理論」『説にも、これに似た部分がある』。現在も、『生物体にはもともと備わっている何らかの』『進化の原動力』が存在すると主張する学者は事実、有意にいる。]
一 自然淘汰無能説
生物進化の事實に對しては、最初激しく反對説が出たが、後には漸々減じて、今日では殆ど全く無くなつた。然も反對者の多數は門外漢であつた故、學問上有力な反對説は終に一度も無かつたやうな有樣で、現今では何れの國でも普通の學識のある人は皆之を認めるに至つたが、ダーウィンの唱へ出した自然淘汰の説は之とは大に趣が違ひ、最初は生物學者の仲間に甚だしく之を尊重する人が多かつたが、次第にその功力を疑ふ人などが出來て、近來に及んで却つて反對者の數が增したやうな傾がある。然も反對者は悉く生物學者であるから、一應尤に聞えるやうな議論も決して少くない。素よりその中には單に誤解に基づくもの或は文字の解釋の相違によるものなどもあるが、これらを除いても尚澤山の議論がある。こゝにそれを一々掲げて評する譯には行かぬが、總括してその主要な點を言へば、凡そ次の三つ位に約める[やぶちゃん注:「つづめる」。]ことが出來よう。
先づ第一には如何なる器官の形狀・構造でも、極めて僅少な相違位では、生存競爭上勝敗の定まる標準とはならぬ。それ故自然淘汰の結果として、或る點の僅に勝つたものが生き殘り、僅に劣つたものが死に絶えるとは信ぜられぬ。例へばこゝに二疋の蝙蝠があると想像して見るに、翼の長さに一分[やぶちゃん注:三ミリメートル。]位の長短の相違があつた所が、翼の長い方が必ず適者で、短い方が必ず不適者であるとは、日々の經驗上信ずることは出來ぬ。されば自然淘汰によつて生物の種屬が漸々進化するといふ説は、實際には適せぬ場合が甚だ多いとの論である。之はミヴァート・ネゲリ・スペンサーなどの論じた所で、一應正當な議論であるが、之に對する著者の考は既に第十四章に述べて置いた通りで、一疋と一疋とを捕へて比較すれば、如何にもこの説の如く翼の長い蝙蝠が敗けて、翼の短い方が勝つことも往々あるが、蝙蝠の翼が今日程に發達してなかつた時代の有樣を想像して見るに、若し翼が僅でも長くて、飛翔が僅でも速なものが、翼の稍〻短い、飛翔の力の稍〻弱いものに比較して、統計上聊[やぶちゃん注:「いささか」。]でも勝つ機會が多くあるやうならば、長い間には漸々翼の長いもののみが生存することになり、その結果として種屬が進化して行くべき筈である。かやうなことは一個一個の場合に就いて觀察する
ことは出來ぬが、全體を見れば決して疑へぬ事實で、人間社會を見ても之と同樣な現象は幾らもある。凡そ統計上の規則といふものは、たゞ全體を通ずれば正しいが、一個一個の場合には當ることもあれば、當らぬこともあつて、一部分だけを見たのでは、到底全體に關する大きな規則は發見することは出來ぬ。生存競爭の結果、適者だけが生き殘り、代々自然の淘汰が行はれるから、生物種屬は漸々進化する筈であるといふダーウィンの説は、略〻斯かる統計上の規則とも見倣すべきもので、一種屬の生物個體の間に現れる多くの變化の中から、生存競爭上聊でも都合のよい變化が統計上勝を占めるといふ大勢だけをいひ表したものに過ぎぬ。それ故、この點は實際觀察した事實を基としたものでは無く、單に理窟上から推し考へた論であるが、たゞ考へて見ても最も眞らしいのみならず、斯く假定すれば、生態學の範圍内にある無數の事實を容易に説明することが出來る所から推せば、先づ之を正當な斷定と見倣して置くより外はない。特に今日自然淘汰説に反對する人は幾らもあるが、生物各種に固有な攻擊・防禦の器官、外界の變動に應ずべき性質などは如何にして生じたものであるかといふ問題に對し、自然淘汰説に代つて説明を與ふべき適當な假説を考へ出した人は一人もない有樣故、たとひ多少の不明の點があつたとしても、今日既に之を全然打棄ててしまふのは、兎に角、尚甚だ早まり過ぎたことといはねばならぬ。
[やぶちゃん注:「蝙蝠」脊椎動物亜門哺乳綱ローラシア獣上目翼手(コウモリ)目 Chiroptera のコウモリ類。
「ミヴァート」ダーウィンの進化論とカトリック教義を調和させようとして双方から批判されたイギリスの生物学者セント・ジョージ・ジャクソン・マィヴァート(St. George Jackson Mivart 一八二七年~一九〇〇年)。彼は「ダーウィンのブルドッグ」ハクスリー(Thomas Henry Huxley 一八二五年~一八九五年)ともかつては親しかった。また、この人は知られた猫についての格言“We cannot, without becoming
cats, perfectly understand the cat mind.”でも知られる。
「ネゲリ」スイスの植物学者カール・ヴィルヘルム・フォン・ネーゲリ(Karl Wilhelm von Nägeli 一八一七年~一八九一年)。一八四二年に細胞分裂を始めて観察・報告した人物とされ、また、後に染色体と呼ばれることになる構造を発見した。しかし、メンデルのエンドウを用いた実験に批判的だったことでもよく知られる。
「スペンサー」著名なイギリスの社会学者ハーバート・スペンサー(Herbert Spencer 一八二〇年~一九〇三年)。彼は〈社会進化論〉(theory of sociocultural
evolution)を唱え、現今、ダーウィンの進化論の説明に出現するポピュラーな用語としての「進化」(evolution)及び「適者生存」(survival of the fittest)という聴き慣れた言葉は実はスペンサーが賦与した意味や造語であった。一方でスペンサーは実はラマルキズムを高く評価しており、獲得形質の遺伝の重要性をも評価していたとされている。]
次にまた孰れの器官でも、一定の度までに發達し、一定の大きさ、形狀を具へるに至らなければ、その器官固有の作用を營むことが出來ず、隨つて生存競爭上、何の役にも立たぬ。例へば前の蝙蝠の例に就いていうても、翼といふものは、空中に身體を支へるに足るだけの大きさに發達するまでは、飛翔の器官としては全く役に立たぬ。他の器官とても皆斯くの如くで、一定の度まで發達した後でなければ用をなさぬが、何の役をも務めぬ器官が少し位大きくても小くても、生存競爭に於ける勝敗がそれによつて定まるわけでないから、自然淘汰によつてその器官が發達し、大きくなる見込はない理窟であるとの反對説がある。之も一應尤に聞える議論であるが、生物界には作用の轉換といふことがあり、また生長の聯關などといふこともあるから、これらの働によつても隨分斯かることが出來ぬとも限らぬ。
作用の轉換といふのは、生物の習性の變化した結果、今まで或る役を務めて居た器官が漸々他の役を務めるやうに移り換ることであるが、凡そ如何なる器官でも、一定の役目を務めるには、それを務めるに足るだけの構造を具へなければならぬことは無論のことで、例へば手が手として働くには、必ずそのために一定の形狀・構造を具へて居なければならぬ。外の物に就いていうてもその通りで、團扇は風を生ずるためには扁平でなければならず、摺粉木(すりこぎ)は味噌を摺るには棒狀でなければならぬ。然るに一定の形狀・構造を具へて居る以上は、これらの物をその元來の目的以外に用ゐることも出來る。卽ち摺粉木を單に一種の棒として、味噌を摺るより外の目的に用ゐることも出來れば、人間の手を單に一定の形狀を有する肢として、水中游泳の道具に用ゐることも出來る如く、凡そ如何なる器官も、その固有の作用の外に、その形狀・構造等に基づく所の副貳的[やぶちゃん注:「ふくじてき」。「副貳」の原義は本来は「正本に対するその写本」を指すが、ここは「二次的」「副次的」の意でよい。]の作用を務めることも出來るもの故、生物の習性が變ずる場合には、或る器官は今まで務めて居た固有の作用をやめて、今までは副貳的であつた方の作用を、今から後は主として務めるやうになる。例へば陸上を走る獸類の子孫でも、水邊に出て魚を捕へて食ふやうになれば、生存競爭上、巧に游ぎ得るものが勝を占めるわけ故、代々この標準によつて淘汰が行はれ、初め走るのに適して居た足も、途中から役目が變じ、漸々水中游泳に適する形狀・構造を具へるやうになつてしまふ。河獺・臘虎(らつこ)・膃肭臍(をつとせい)・海豹(あざらし)・鯨等を順に竝べて置いて、その足を比較して見れば、實際各〻この通りの徑路を歷て變化し來つたものと信ぜざるを得ぬが、斯くの如き作用の轉換が屢〻あれば、自然淘汰によつて既に或る方面に一定の度まで發達した器官をそのまゝ取つて材料とし、更に自然淘汰によつて之を他の方面へ向つて發達せしめ、その形狀・構造等を造り改めることも出來るわけ故、こゝに掲げた反對説の功力は餘程まで消えてしまふ。蝙蝠の翼の如きも、空中を自由に飛翔するためには、一定の度までに發達した後でなければ用をなさぬが、たゞ樹の枝から枝へ飛び移るといふだけには、翼の形が十分具はらずとも、相應の役に立つ。また樹の枝に登るだけならば、少しも膜の必要はない。それ故、初め單に樹の枝に登つただけの動物も、若し後に至つて枝から枝へ飛び移る習慣が生じたならば、少しでも表面の廣い四肢を具へたものが勝を占め、自然淘汰の結果、指の間の膜が漸々發達し、膜の發達が一定の度まで進めば、空中を多少飛ぶことも出來るやうになり、飛ぶことが出來るやうになれば、その中で最も巧に飛ぶものが生存競爭に勝を占めるやうになるから、また自然淘汰の結果、益〻飛翔に適する構造を具へたものが出來て、初め簡單な前足も終には全く翼の形を呈するに至るべき筈で、説明上特別の困難を感ずる點は少しもないやうである。
[やぶちゃん注:「河獺」脊索動物門脊椎動物亜門哺乳綱ローラシア獣上目食肉(ネコ)目イヌ亜目クマ下目イタチ上科イタチ科カワウソ亜科 Lutrinae。
「臘虎(らつこ)」イタチ科カワウソ亜科ラッコ属ラッコ Enhydra lutris。現生種は一属一種。
「膃肭臍(をつとせい)」哺乳綱食肉(ネコ)目イヌ亜目クマ下目(鰭脚類)アシカ科オットセイ亜科 Arctocephalinae。
「海豹(あざらし)」クマ下目(鰭脚類)アザラシ科 Phocidae。
「鯨」ローラシア獣上目鯨偶蹄目鯨反芻亜目クジラ目 Cetacea。]
生長の聯關といふのは、前にも一度述べた通り、一の器官が一定の方向に發達すれば、或る他の器官が之と聯關して或る他の方向へ發達することで、何故かやうな現象が起るかは、今日の所、一々十分には解らぬが、若干の事實は經驗上確に知れて居る。元來生物の體は、若干の器官に分けて論ずることは出來るが、總べてが集まつて働くので、初めて生活し得る次第故、各個の器官が他に無關係に獨立に變化することの出來ぬのは、無論のことである。それ故、若し一の器官が自然淘汰によつて發達したならば、之と聯關して生存競爭上に餘り必要のない或る器官が發達し、終には生存競爭上一定の價値を有し得る度までに生長することも最も有り得べきことと思はれる。而して、一且生存競爭上に威る役に立つやうになつた上は、その器官の優劣は最早勝敗の定まる一標準となるkら、自然淘汰によつて益〻進步することは素より疑がない。
尚次の如き反對説もある。「自然淘汰説では生存競爭の結果、常に適者が生き殘るといふが、この適者というものは如何にして出來るか。生物に變異性のあることは誰も認めるが、偶然に生ずる變異の中に、何時も外界に丁度適するやうな變異があるといふことは甚だ受取り難いことである。丁度必要な折に丁度都合のよい變異が何時も現れるといふことは、たゞ偶然起る變異ばかりでは到底出來ることでない。之には何かその外に原因がなければならぬ」との論であるが、或る人はこれは生物自身が生れながら持つて居る所の「益〻完全の域に進む」といふ性質に基づくことであらうなどと唱へた。この流儀の考は、ダーウィン以後に幾度も繰り返して種々の學者によつて發表せられたが、之はたゞ事實を言ひ表すだけで、少しも説明にはならぬ。生物は總べて進化するものであるが、その原因は生物に固有な進化性に存するのであるというた所で、その進化性といふものが如何なるものか解らぬ以上は、説明としては何の役にも立たぬ。その上、地質時代の時の長さを考へて見れば、生物の一代每に現れる變異が、如何に少くとも、終には積つて著しい變化を起すべきわけ故、ダーウィンの自然淘汰の説だけで説明には十分であつて、他にかやうな假説を設ける必要は少しもない。
要するに著しい變異の間に自然淘汰の行はるべきことは、實驗によつても證明の出來る確な事實であつて、之に對しては反對すべき餘地はない。或る人が、綠色の「かまきり」と枯草色の「かまきり」とを多數に集め、之を細い毛で一疋づゝ緣葉や枯葉の上に繋いで留まらせて置き、鳥の來て喰ふのを待ち、後に喰い[やぶちゃん注:ママ。]殘されたものを勘定して見た所が、自身と色の違ふ所に留まらされたものは悉く鳥に喰はれて一疋も殘らなかつたが、自身と同じ色の所に置かれたものは大部分喰ひ殘されてあつた。之は僅に一例であるが、かやうなことは無論到る所にある。されば、自然淘汰の働きに就いて疑のあるのは、生存競爭の際に、極めて僅の變異の間にも、自然淘汰が行はれるや否やといふ點であるが、之は前にも述べた通り、一個一個を取つて見れば決してそのために勝敗が定まるとは思はれぬ。倂しながら一種内の變異は必ずしも極めて僅かなものばかりとは限らず、相似たものの間の相違は僅かであつても、極端と極端とを比べると、その間には著しい相違があるのが常である。それ故、全部を假に二組に分けて競爭をさせたとすれば、僅でも生存に都合のよい變異を多く含む組の方が、統計上に勝を占めることは餘程眞らしい。生物界に於ける生存競爭の結果などを論ずるに當つては、常に全部を見渡し、全體の形勢を考へることが必要で、之を忘れると兎角誤つた結論に陷り易いやうである。
右の外、近年の實驗研究の中には、一見して淘汰の功力を疑はしめるものがあるから、念のため附け加へて置くが、それはヨハンセンの唱へ出した純系内に於ける淘汰無功の説である。純系といふのは、一本の植物を基とし、決して他の植物から花粉を受けることなしに生じた子孫をいふ。卽ち他の血統が混じ入ることのないやうにして、代々繁殖せしめた子孫の系統を指すのであるが、ヨハンセンの實驗によると、かやうな純系内では、如何に淘汰を行つても、その結果は少しも現れぬとのことである。例へば、純系内では代々豆の粒の最も大なるものを選んで蒔いて見ても、別に段々豆の粒の大きなものが生ずるに至らず、その平均の大きさは何時までも舊のまゝである。之を見ると、淘汰は全く何の役にも立たぬ如くに考へられるが、實際の自然界には、純系なるものは決してない。植物でさへ人が態々造らなければ純系は容易に得られるものでなく、雌雄の別のある動物には純系なるものは恐らく全くないであらうから、生物界に行はれる自然淘汰の結果は、決して純系内に於ける實驗を基として論ずべきわけのものではない。その上、雌のみで代々子を生む動物に就いて行つた實驗の結果によると、純系内に於ても、ヨハンセンがいふやうに、淘汰が眞に無功であるや否や、まだ頗る疑はしいやうである。
[やぶちゃん注:「ヨハンセン」デンマークの植物学者で遺伝学者のウィルヘルム・ルドゥウィッグ・ヨハンセン(Wilhelm Ludvig Johannsen 一八五七年~一九二七年)。ここに書かれている通り。生物の集団が純系になってしまうと、ダーウィンの選択説が成立しなくなるという「純系説」の提唱者として知られる。ウィキの「ウィルヘルム・ヨハンセン」によれば、『現在の視点では、豆の重さの違いは環境によるもので、環境の影響による差は次代には伝えられないと考えられているので、当然の結果であるが、当時は連続変異に働く、淘汰の有効性に疑問を深めるような役割を果たした』。『遺伝学の用語、phenotype とgenotypeを論文』『の中で初めて用いた。この論文は改定され』、『ドイツ語に訳されて』『発刊され、遺伝学の基礎的なテキストとなった』とある。]