諸國里人談卷之五 源五郞狐【小女郞狐】
○源五郞狐【小女郞狐】
延寶の頃、大和國宇夛(うた)に「源五郞狐」といふあり。常に百姓の家に雇はれて農業をするに、二人三人のわざを勤む。よつて民家(みんおく)これをしたひて招きける。何國(いづち)より來り、いづれへ歸るといふを、しらず。或時、關東の飛脚に賴まれ、片道十餘日の所を、往來、七、八日に歸るより、そのゝち、度々徃來しけるが、小夜(さよの)中山にて、犬のために死せり。首にかけたる文箱(ふばこ)を、その所より大和へ屆けゝるによりて、此事を知れり。又、同じ頃、伊賀國上野の廣禪寺といふ曹洞宗の寺に、「小女郞狐(こぢよらうきつね)」といふあり。源五郞狐が妻なるよし、誰(たれ)いふとなく、いひあへり。常に、十二、三ばかりの小女(しようぢよ)の㒵(かたち)にして、庫裏(くり)にあつて、世事(せじ)を手傳ひ、ある時は野菜を求めに門前に來(きた)る。町の者共、此小女、狐なる事をかねて知る所也。晝中(はくちう)に豆腐などとゝのへ歸るに、童(わらべ)ども、あつまりて、「こぢよろ、こぢよろ」と、はやしけるに、ふり向〔むき〕て莞爾(ほゝゑみ)、あへてとりあへず。かくある事、四、五年を經たり。其後(そののち)、行方(ゆくかた)しらず。
[やぶちゃん注:「莞爾(ほゝゑみ)」これは①のルビ。③では「につこりし」とルビする。
「延寶」一六七三年から一六八一年まで。
「大和國宇夛(うた)」「宇多」であるが、これは奈良県宇陀(うだ)郡。現存(曽爾(そに)村・御杖(みつえ)村)するが、旧郡は二村に現在の宇陀市の大部分を加えた広域。この辺り(グーグル・マップ・データ。宇陀郡の西に斜めに宇陀市は広がる)。
「小夜(さよの)中山」静岡県掛川市佐夜鹿(さよしか)にある峠。標高二百五十二メートル。ここ(グーグル・マップ・データ)。
「伊賀國上野の廣禪寺といふ曹洞宗の寺」三重県伊賀市上野徳居町に現存。ここ(グーグル・マップ・データ)。先の現宇陀郡辺りから概ね三十キロメートル北に当たる。]
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