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2018/07/26

明恵上人夢記 75

 

75

一、又、此の比(ころ)、夢に、兩人の女房有り。其の形、顏は長く、白き色なり。兩人同意して、上皇に、能々(よくよく)予之(の)御氣色(おんけしき)、吉(よ)かるべき事を申し入(いる)る。之に依りて、御感(ぎよかん)有る由、語らる、と云々。

 又、大きなる土器(かはらけ)の如き星あり。予を護り給ふ由を思ふと云々。

[やぶちゃん注:「此の比」「74」夢が承久二(一二二〇)年(推定比定)十月二十七日で、しかもその前は殆んど日を置かずに夢記述が示されてあって、次の「76」夢が同年(推定比定)十一月七日であるから、十月二十七日前後というよりは、承久二(一二二〇)年十月二十八日から十一月六日までの九日(同年十月は大の月)の間の夢とするのが自然な気がする。但し、二夢連続で記載されているものの、それが連続して見られた夢であったかどうかは、判らない。しかし別な折りの夢であったとしても、同じ条にかく纏めて、「一」の頭を置かなかったということは、この二つの夢が、明恵にとっては、ある種の強い連関(親和性)を持って記憶されていたことを強く示唆するものではあろう。

「女房」後に上皇云々とあるから、後宮の女官である。

「其の形、顏は長く、白き色なり」女性的な観音菩薩の造顔に似ているように思われる。

「上皇」後鳥羽上皇。「承久の乱」の勃発は、この七ヶ月後の承久三(一二二一)年五月十四日のことである。この時期、後鳥羽院と鎌倉幕府の関係は最悪の状態にあった。明恵が朝廷方に強いシンパシーがあり、乱では後鳥羽上皇方の敗兵を匿っており、乱後も、朝廷方についた貴族や武家の子女・未亡人たちを保護するため、承応二(一二二三)年に山城国に比丘尼寺善妙寺(高山寺別院で高山寺の南にあったが、早期に廃絶して現存しない。現在の右京区梅ヶ畑奥殿町内の(グーグル・マップ・データ))を造営したりしていることは言わずもがなである。私の栂尾明恵上人伝記 63 承久の乱への泰時に対する痛烈な批判とそれに対する泰時の弁明の前後なども参照されたい。

「御氣色」表情や態度に現れた心のさまであるが、ここは仏者としての心底(しんてい)と採ってよかろう。「御」は「女房」の明恵への敬意の接頭語なので訳さなかった。

「土器」素焼きの杯(さかずき)と採る。]

□やぶちゃん現代語訳

75

 また、承久二年の十月末から十一月の初めの頃、こんな夢を見た――

 二人の女房がいる。その顔形は、長く、抜けるように白い色をしている。

 その二人が二人ながら同意して、後鳥羽上皇に、よくよく、拙僧の心のさまが、めでたく正法(しょうぼう)に基づいて善(よ)きことを奏上し申し上げた、と語り、これをお聴きになられたによって、上皇さまは大いにご感心遊ばされた由を、私に語って下され……

 

 また、同じ頃、別にこんな夢も見た――

 非常に大きな土器(かわらけ)のような星が中天に輝いているのを見た。

 それを眺めながら、私は、

「ああっ! あの御星(おんほし)は、私をお護り下さっている!』

と思って……

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