明恵上人夢記 74
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一、同廿七日の夜、前(さき)の如く、一向に三時、坐禪す。上師在りて、予の爲に、不倫の如き僧等(ら)五人、之を殺害(せつがい)す。殺生罪之躰(せつしやうのつみのてい)に非ず、と覺(おぼ)ゆと云々。
[やぶちゃん注:前に徴して承久二(一二二〇)年十月二十七日と採る。「73」夢の翌日というか、後半の暁方の覚醒夢を見た日の夜である。これもまた、明恵自身の決めた前夜と同じ修行法を繰り返しており、やはり同じく座禅中の覚醒夢であるだけに、「73」の二夢と本夢との連関性は、より強いように私には思われる。しかも、
――自分の師が手ずから血に染めて、彼、明恵のために、売僧(まいす)を五人も殺害するのを目撃し、しかも、それを見ている明恵は、その師匠の殺人行為を仏教最大の五悪の筆頭であるはずの「殺生の罪」には当たらぬ正法(しょうぼう)に背かぬ正当な行為であると認識する――
という、一見、驚愕極まりない内容なのである。しかし、これは、見ている明恵が「五人」の破戒僧は実際の僧ではない、反仏教的な何らかのシンボルであることを認識しているということに他ならないと読める。
「上師」前例に倣い、母方の叔父で出家当初よりの師である上覚房行慈と採る。当時、生存。
「不倫」仏者として踏み行うべき道から外れていること。女犯(にょぼん)に限る必然性はこの場合、全くないであろうと私は読む。]
□やぶちゃん現代語訳
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承久二年十月二十六日の夜、前夜と同様、只管(ひたすら)に夜を徹して座禅をする。その間に、またしてもこんな覚醒夢を見た――
上師がおられる。
――その尊(たっと)き上師が 何と!
――他でもない
――私こと、明恵のために
――破戒に等しい行いを成していた僧ら五人を
――これ、殺害なさるのを
――見た。
――しかし、それを目撃しながら、
――私は
『これは殺生の罪に当たるものでは――ない――』
と確かに自覚し、平然としていられた……