諸國里人談卷之三 土團子
○土團子(つちだんご)
甲斐國巨摩郡(こまのこほり)團子新井(だんごあらい)といふ、山の崕(がけ)に「土團子」とてあり。少(すこし)の大小はあれども、常の團子のごとし。丸きあり、また、少(すこし)角(かど)だちたるもありけり。色は、うす黃色にして、大豆粉(だいづのこ)を衣(ころも)にせしごとく也。割(われ)ば、中に、黑き土、饀(あん)のごとくにあり。麓(ふもと)へ轉げおつる事、沙石(させき)のごとし。
[やぶちゃん注:「山梨新報」公式サイト内の「山梨の地名と民話」の「7」に次注の「團子新居」の地名由来が書かれてあり、そこにこの「土團子」(そこでは「団子石」とある)の正体が説明されてあり、原物の写真もある。それによれば、これは同地区の北七キロメートル強に位置する茅ヶ岳(北杜市と甲斐市に跨る標高千七百四メートル)が約百万年前に噴火した際に噴出した火山性の岩石である。『外側が黄色、中が黒褐色。まるであんの入った団子のように見えることから「団子石」と呼ばれ、団子新居の地名の由来になったといわれる』。『団子石は、直径』二センチメートル『前後の球状の火山性の石』で、『全国でも産出され、「珍石」として知られる。団子石を展示している双葉歴史民俗資料館によると、団子石は火口内で、マグマで結晶化した輝石や磁鉄鉱などが凝灰岩や安山岩の破片に付着』し、『これに、ナトリウム、カルシウムなどケイ酸質の土壌が付いて形成されたといわれ、茅ケ岳山麓の標高』千メートル『前後のローム(火山灰)層下部で産出』されるとし、『甲斐ヒルズカントリー倶楽部(同市)周辺では今でも見つかるといい』、十八『番ホール近くには「団子石の碑」』『が建っている』(リンク先に写真有り)。『また』、『同市と韮崎市の境にあるホッチ峠などでは、かつては団子石よりも一回り大きい「饅頭(まんじゅう)石」が産出されたという』ともある。また、『団子石をめぐる弘法大師の伝説も伝わっている』として、山梨県連合婦人会編「ふるさとやまなしの民話」から以下が紹介されている。『弘法大師が修行をしながら旅をしていた時、茅ケ岳の麓を通ると、山中で老婆が団子を売っていた。長旅で空腹だった大師は「団子を恵んでください」と老婆に布施を求めたが、欲張りな老婆は「この団子は石なので食べられません」と断った』。『大師は老婆の強欲を哀れみ、心根を正すために経を唱えると、団子は本当の石に変わってしまったという。今も村奥の山中からは「団子石」が見つかり、村人はこの石がたくさん出る集落を「団子」と呼んだという』とある。
「甲斐國巨摩郡團子新井」現在の山梨県甲斐市團子新居。ここ(グーグル・マップ・データ)。]