譚海 卷之二 元文年中武州秩父領山中隱里發見の事
元文年中武州秩父領山中隱里發見の事
○元文年中田中久五郞殿秩父領御代官の時、大雨の後山中より古き椀(わん)の類(たぐゐ)多く流れ出(いで)しまゝ、此奧に人家有(あり)やと尋(たづね)られしに、未だ存(ぞん)ぜず候由申せども、不審に思はれ、手代兩人に申付(まうしつけ)、獵師五人鐡炮を持(もた)せ、鍋釜飯料(めしりやう)等迄用意し出(いだ)し候處、其夜は山中に寄宿し、明朝又々山ふかく分入(わけいり)たるに、豁然(かつぜん)たる一大村(いちだいそん)に至り、所のものに此村の主(あるじ)はいづくぞと尋ければ、向ひの門(もん)有(ある)家當所の殿さまに御座候と申候まゝ、卽刻歸り右の次第申候まゝ、久五郞殿江戶へ御伺(おんうかがひ)申上(まうしあげ)られ候處、猶又とくと穿鑿致候樣に仰付(おほせつけ)られ、久五郞殿人數(にんず)千人斗(ばか)り召(めし)つれ罷越(まかりこし)、例の如く山中に一宿し、翌朝右の村に至り、直(ただち)にさきの殿さまといへる家へ案内をこひ、主人に對面し、是までいづかたへみつぎ物差上(さしあげ)候や、此度(このたび)上意にて御尋被ㇾ成(おたづねなられ)候由申候時、只今迄一向何(いづ)かたへも貢物(みつぎもの)差出候事無ㇾ之(これなく)候が、年々貢物差上度(たき)心願(しんぐはん)有ㇾ之候へども、今まで幸便(こうびん)なくもだし罷在(まかりあり)候、難ㇾ有(ありがたき)事也とて御請申(おんうけまうし)ければ、則(すなはち)上(かみ)より竿(さお)を御入被ㇾ成(おいれなられ)、地面御吟味の所、大がい五千石程の地也(なり)、書上(かきあげ)には千石と申上候事也。武州といへども山中なれば此比(このころ)まではかく知れざる隱里(かくれざと)もありけり、珍しき事也とぞ。
[やぶちゃん注:「元文」一七三六年から一七四一年まで。徳川吉宗の治世。
「田中久五郞」不詳。
「幸便」そこへ行く、又はそこへ何かを届けるのに好都合な機会。
「竿」検地の測定に用いる竿。]