明恵上人夢記 72
72
一、同廿四五日の比(ころ)、夢に云はく、暑預(やまのいも)・甘葛(あまづら)を持ちて上師に奉る。又、小分(こわけ)に分ちて【茶碗の小器に盛る。】、我が處に置く。義覺房、之を持ちて、散動巡行すと云々。
[やぶちゃん注:「71」からの続きとしてその一週間ほど後の承久二(一二二〇)年十月二十四日或いは翌二十五日に見た夢と採る。内容的に前の「71」との親和性がすこぶる強い印象を受ける。というよりも、「71」夢の続きのような形で、「71」で上師(上覚房行慈)から衆生を済度するせよとして賜った「沙糖」(砂糖)に対するもの(儀礼的返礼ではなく、そうした使命を授けられたことへの明恵の応答(覚悟)の表明)として、「暑預(やまのいも)・甘葛(あまづら)」(後注参照)の献上はあるように読める。
「暑預(やまのいも)」正しくは「薯蕷」で「やまのいも」。古くは「薯蕷」と書いた。単子葉植物綱ヤマノイモ目ヤマノイモ科ヤマノイモ属ヤマノイモ Dioscorea japonica。甘味との親和性があり(多くが苦い野老(ところ)(ヤマノイモ属 Dioscorea のトコロ類)に対したものとして「苦くない」のである)、「71」の「沙糖」との連関が認められる。
「甘葛(あまづら)」一般的にはブドウ科 Vitaceae に属する蔓(つる)性植物(ブドウ目ブドウ科ツタ属ツタ Parthenocissus tricuspidata など)のことを指しているとされる一方、甘茶蔓(スミレ目ウリ科アマチャヅル属アマチャヅル Gynostemma pentaphyllum)のことを指すという説もある。参照したウィキの「アマヅラ」によれば、『甘味料のひとつで』、『砂糖が貴重な時代には水飴と並んで重宝された』とし、『縄文時代の貝塚の中から出土されており、この頃から甘味料として利用されたと思われる。安土桃山時代になり』、『砂糖の輸入が活発になると』、『都市部でアマヅラの需要はほぼなくなり、さらに、江戸時代に砂糖の大量供給が実現すると』、『全国的にアマヅラを作るところは少なくなった』。『清少納言は、『枕草子』でかき氷のうえにアマヅラをかけて食べる描写を書いている』(「枕草子」の「物尽くし」の章段の一つ、「あてなるもの」(上品なもの)」の段で「削(けづ)り氷(ひ)にあまづら入れて、新しき金(かな)まりに入れたる」と出る。「金まり」は金属製の御椀)。その蔦(ツタ)の場合の造り方は、『ツタを伐採し、さらに』三十『センチ間隔に切り取』り、その『切り取ったツタの一方に口を当てて息を吹き込み、中の樹液を採取』して、その『樹液を煮詰め』、『水分を飛ばし、粘りのあるシロップ状に』する、とある。まさに「71」の「沙糖」との強力な対応性が認められる。
「義覺房」底本の注によれば、明恵歌集に頻出し(彼の歌と思われるものも四首載る)、別に「六因義覺房」とも称し、『伝未詳』であるが、歌の詞書から、『高雄における明恵の同輩』とする。
「散動巡行」不詳。飛び躍るように巡り歩くことか。雀躍歓喜の法悦を示すものか?]
□やぶちゃん現代語訳
72
承久二年十月二十四日か、二十五日の頃、こんな夢を見た――
私は、薯蕷(やまのいも)と甘葛(あまずら)を持って、これらを上師に奉った。
しかし、上師はそれらをも小分(こわけ)にお分けになられ――それぞれ茶碗のような小さな器にお盛りになられた――、またしても――先の砂糖と同じく――私の所に置かれるのであった。
同輩の義覺房は、このそれぞれが盛られた器を左右に手に持って、驚くばかりの跳び撥ね方でもって辺りを巡り歩き……